悪影響
「何かあったの?」
22時近くに帰宅した妹が、ぼーっとダイニングテーブルに座っている私を見て、声をかけた。
「表情が暗いけど」
「え?ううん、大丈夫」
慌てて笑顔を作り、さっと立ち上がった。
「あ。そうだ、今日プリンを作ったんだけど、食べる?」
「食べますわ!」
飛び上がらんばかりに、まどかが言った。
厳しいルールでもあるのか、家政婦の芦屋は一度もスイーツを作ったことがない。大きな食品庫にもお菓子の類いは一切なかった。
スプーンを用意し、冷蔵庫で冷やしたプリンを妹の前に置いた。
まどかは目をキラキラさせながら、それを一口食べる。
「美味しい!」
喜んでいる妹の顔を見ると、さっきまでの重い気持ちが一気に吹っ飛んだ。
「これが作れるお姉さまは凄いわね」
本気で感心している様子だ。
「ありがとう」
私は一呼吸置き、ずっと気になっていたことを口にした。
「まどか。知っていたらで、いいんだけど」
妹が顔を上げた。
「るーちゃんの将来の夢って聞いたことある?」
「将来の夢?」
考え込むように妹は言った。
「う~ん。どうでしょう。最近は全く話してなかったから」
「そっか。白石透が将来なりたかったものに、なってあげたかったのだけど」
「あ、一つあったわ!」
両手を合わせて妹が言った。
「え!なに?」
私は身を乗り出した。これでこれから進むべき道が見えるかと思われた。
「天城さまのお嫁さんですわ!」
(・・・はい、無理)
すっと椅子に戻る。
「数年前に、高校に入ってからは花嫁修行をする、と言っていた気がするわ」
「うん、それは、ちょっと」
何かを察したのか妹は一瞬間を置いて言った。
「そうね。今のお姉さまは、天城さまがお嫌いなのよね」
「な、なぜそう思うの・・・?」
「天城のやろ~!と言ってたもの。二度も」
「あ・・・」
(そうだ。聞かれていたんだった。もはや誤魔化しは意味ないか)
「まあ、正直なところ、私もなぜお姉さまがあそこまで天城さまに執着していたのか分からないわ。特に優しい訳でもなく、仲が良い訳でもないのに」
まどかは首を傾げた。
「顔、かしら?」
時々妹はずばりと凄いことを言う。
「原作では近所にいた唯一の男の子だったから、とは描いてあったけど・・・」
私は自分用の形の悪くなったプリンを口に運んだ。
(天城の顔が好みだったというのも一理あるのか…?)
ぼんやりと天城の顔を思い浮かべてみた。
普段は愛想のない無表情に、抑揚のない低いトーンの話し方。しかしそれが透に対しては一変し、人を射るような目つきの鬼顔。
(いや、ないな。冷静に考えなくても、好きになる要素ゼロだ。やはりただの設定か?)
首を傾げる。
「ねえ、お姉様は?生前の夢は何だったの?」
ふとまどかが聞いた。
「私?私の夢は・・・」
手元のスプーンを見つめる。
(田舎を出た時は、都会でオシャレな子に囲まれて輝かしい生活を送るって意気込んでたけど・・・。その時もその後も、何も考えてなかった)
今思うと、いきなり実家を飛び出して都会に移り住んだのは軽率だった。もっと真剣にやりたい事を考えて、両親に伝えていれば、そうすれば、家業を継がない決定も大反対されなかったかもしれない。喧嘩別れして、一生会えない、なんてことはなかったかもしれない。
「お姉様・・・?」
沈黙したままでいる私の顔を、妹が心配そうに覗き込んだ。
「覚えてない、みたい」
あははと笑いながら誤魔化す。
嘘だ。本当は、就きたい仕事も将来なりたい職業も一つもなかったんだ。ただ、平穏で刺激のない田舎から出て行きたかった。それだけ。
(私って空っぽ・・・)
ずしんと肩が重くなった。
「良かったわ。また今から見つけられるチャンスがあって。お姉さまの二度目の人生に感謝ね」
「・・・え?」
私は顔を上げて、天使のように微笑む妹の顔を見た。
「生前のお姉さまも、過去の白石透も、どちらも夢がなかったのだから、これから見つければいいのよ。何を選んでも、それは正式なお姉さまの夢になるわ」
小学生とは思えない大人びた台詞がすっと胸に流れこんでくる。
(私が選んでいいの・・・?るーちゃんの将来を?)
目頭が熱くなり、涙が出そうになる。
「まどか、あり・・・」
そこまで言いかけた時、玄関の方が騒がしくなり、誰かが入ってきた。その人物は、娘二人が向かい合っている姿を見、それから食べかけのプリンに視線を移した。
「な、何をしているの・・・?」
母の声が震えている。
私もまどかも驚きのあまり、恐ろしい形相の母親の姿が近づいてくるのを黙って見ているしかなかった。
「透!」
近所中に響き渡るような声で叫んだ。
また殴られると覚悟したが、平手打ちは飛んでこなかった。
その代わり、母親はまどかに向かって言った。
「まどかさん。二階で勉強してなさい。今日中に問題集を一冊終わらせること。いいわね?」
時計をちらりと見るとすでに23時に近い。
「はい、お母さま」
消え入りそうな声でまどかは言うと、静かに席を立った。
「原田さん。まどかさんが、ちゃんとやるまで眠らせないように」
母親の後ろから荷物を運んで入って来た、母親専用の家政婦である原田は、恭しく頭を下げるとまどかに続いた。
二階でドアが閉まる音がして、家中がしんと静まり帰った。
「透さん、説明して?」
母親が口を開いた。
心臓が激しく鼓動し、全身から冷や汗が出る。
「どうして、言いつけが守れないのかしら?簡単なことでしょう!」
平手打ちが飛んで来る。そう思った瞬間、思考より先に体が動いてしまった。
「な!」
寸前のところで、腕を掴んでいた。
「は、離しなさい!母親になんてことを・・・」
予想もしなかった娘の行動に母親が声を詰まらせた。
「娘なら叩いていいと思っているのですか、お母様は?」
母親は力尽くで、私の手から腕を引っこ抜いた。
毎日筋トレを日課にしているとは言え、小さい透の体はまだ身長も力もある母親の力には敵わない。
「話をすり替えないで。私は、言いつけの話をしているのよ!」
「・・・なぜ、妹と話してはいけないのですか?」
冷静に私は聞いた。全身が震えているが、気にならなかった。
「貴女の存在が、まどかさんに悪影響だからよ!」
そんな事も分からないの、と軽蔑した視線で私を見下ろす母親。
「悪影響・・・?」
「何の才能もない貴女が、貴重なまどかさんの時間を無駄にしていると思うと、寒気がするわ。貴女と違って、あの子には将来があるのよ!」
(つまり、白石透には将来がないと・・・?)
私は奥歯を噛みしめた。
「どうして姉妹でこうも違うのかしら」
憎しみの籠もった母親の高い声が脳内に響く。
「今日、担任の先生から連絡があって試験結果がどうこう言っていたけど」
母親は続ける。
「貴女の成績が良くたって悪くたって、関係ないの。貴女はただ、お友達と楽しく遊んでいるだけでいいの。その分の支援はしてあげているわ。これからだって、高価で手に入りにくいお洋服も沢山買ってあげるつもりよ」
(つまり、金はやるから静かにしてろって事ね。一方は将来大物にしたい娘、そしてもう片方は金持ち界のマウント用の娘。・・・つまり人形)
いつの間にか体の震えは収まり、脳内が冷静に機能し始める。
「お金だって自由にしていいの。その代わり、約束して頂戴。まどかさんに近づかないこと。いい?貴女の存在は彼女にとって邪魔でしかないの。妹に迷惑をかけて楽しい姉なんている訳ないわよね?だからもう、一緒にご飯を食べたりしないで頂戴。食事の世話は、家政婦がやる仕事よ」
「言いたいことは分かりましたわ、お母様」
私はにっこりと笑った。
「妹に近づかない。学校へ休まずに行く。この二点でよろしいかしら?」
母親はいきなり態度が急変した娘の姿に、眉をひそめた。
「そうよ。次、約束を破いたら・・・」
「約束ではありませんわ、お母様。勘違いなさらないで。これは単にお母様の要望だもの。約束と要望は全く違いますわ」
これは一方的に言われているだけであって、私は自分でその要望を飲むかどうか決めると態度で示す。もちろん、従うつもりはない。
「では、明日も学校がありますので、失礼します」
私はさっとその場から離れた。
部屋に戻り、しばらくすると何かが割れる音がした。
また母親がヒステリーを起こしているのだろう。まどかの部屋から原田が慌てて出て行くのが分かった。




