誕生日会
翌朝、目覚ましが鳴るのと同時に起き上がり、急いで一階へと向かった。
「・・・まどか!」
朝食を食べている妹に声をかけた瞬間、どこにいたのか数人の女性に腕を捕まれた。
「お嬢様、お待ちしておりました」
「え?」
「パーティーのお支度の時間です」
白髪頭を綺麗にまとめた女性がお辞儀した。
「あの、いや、でもパーティーまでまだ・・・」
「入浴、顔パック、ドレスに合わせたヘアメイク、手足のマニキュア。お時間はいくらあっても足りません」
機械的にそう言うと、当惑した私を別室へと連れていく。
(妹と話す方が大事なのに!!)
私の気持ちをくみ取ってくれる人は誰もおらず、そうこうしている内に妹は外出。私は数人の見知らぬ美容部員たちと共に取り残された。
もうどうにでもなれと、自暴自棄になりながら、されるがまま大人しくしていると、数時間後、ようやく「出来ました」と一人の女性が言った。
「こちらへ」
言われるがままに鏡の前に立つと、そこに映っていたのはとんでもなく美しい白石透だった。
(フランス人形…より可愛い!)
色白の肌によく合った、薄ピンク色のフレアのドレス。シフォンドレスには、様々な花が刺繍されており、動くたびにきらりと光る。
(ほ、宝石じゃないよね・・・)
「こちらは、奥様が用意された日本に一枚しかない最高級のドレスでございます」
「お母様が・・・?」
一体なぜ、と思ったが、その答えはすぐ分かった。
白石家よりは財力的に劣るとは言え、豪邸に住んでいる藤堂家は、外観からして美しさにこだわっているのが見て取れた。門をくぐるとすぐに噴水があり、その向こうにアテネ神殿のような玄関ポーチが見えた。普段は誰もいないようだが、今日は黒服の男性が一人立っており、玄関ドアの前で誰かと揉めていた。
「お迎えの時間になりましたら、お呼び下さい」
平松は、私にプレゼントを持たせるとお辞儀をして帰って行った。
砂利道を慣れないヒールで歩いていると、扉の前にいるのが、目の覚めるような青いドレスを着た伊坂だと分かった。普段と異なり髪型も可愛くアレンジしている。
「だから、私も誘われたんです!」
「招待状がなければ、お通しすることは出来ません」
頑なに豪奢な扉を守っている黒服の男は、伊坂を突っぱねている。ちらりと横を見ると、窓越しに藤堂が数人の女子と笑っているのが見えた。
(悪趣味・・・)
「ごきげんよう」
私が声をかけると、黒服の男はいきなりピシッと立った。
「これは。白石のお嬢様!」
「白石さん!良かった~」
伊坂は安心したのか、涙声になっている。
「何事?」
「こちらのお嬢様が、招待状もないのに呼ばれたと申しますので・・・」
「あら、そう?」
そして私は身につけていた小さいバッグの中を探すふりをする。
「あら、どうしましょう。私も招待状を忘れてしまったみたいだわ」
わざとらしく、ふうとため息を吐いた。
「でも入れないのであれば、残念ね。伊坂さん、帰りましょう」
そう言って踵を返そうとすると、男は慌てたように言った。
「白石のお嬢様は絶対にお迎えしろ、と奥様から言われていますので!」
「でも、招待状がありませんわ」
「問題ありません!」
「そう。なら、こちらのお嬢様も入れますわよね。私が入れて、彼女が入れないなんて、そんな不公平なことあり得ないですもの」
男は当惑しきった顔で、私と伊坂を見比べている。
恐らく藤堂に招待客以外は通すなと言われているが、藤堂の母親からは白石のお嬢様は逃がすなと言われている。
(娘か、母か)
男の葛藤が顔に現れている。
「では、そちらのお嬢様も一緒にお入り下さい」
藤堂の母が勝った。
「ありがとうございます」
伊坂が小さな声で言った。
「一緒に来れば良かったわね。ごめんなさい」
私も小声で返す。
男が金色の取っ手に手をかけ、両開きの扉を開けた。
「わあ・・・」
私の代わりに、隣にいる伊坂が感嘆の声を漏らした。
中に入るとすぐに目に入るのは、白で統一された壁に大理石の床。そして二階へと続くカーブを描いた階段が二つ。誕生日仕様にしているせいか、ピンクや白の風船や、チカチカと輝く電球が飾られている。
(凝ってるな・・・)
隣の部屋からカツカツとヒールのがして、藤堂が来ると分かった。私はすぐさま伊坂に、持っていた紙袋を一つ渡した。
「え、これは?」
説明する前に藤堂が「いらっしゃい」と満面の笑みでやってきた。
「白石さん、来てくれて嬉しいわ」
真っ赤なドレスに身を包んだ藤堂は、いつもと雰囲気が違った。嫌いな相手だが、今日の主役は美しいと認めざるを得ない。私は軽くお辞儀をしながら口を開いた。
「素敵なドレスね」
「まあ、ありがとう!白石さんの、ドレスも・・・」
そう言って藤堂は言葉に詰まった。自分が思っていた以上に高級そうなドレスだったからか、顔を取り繕うのも忘れ、ドレスを食い入るように見つめている。
「こ、これは、どこで・・・」
藤堂の声が震えているのが分かった。
「あら、白石のお嬢様!」
唖然としている藤堂の後ろから、藤堂の母親が現れた。
体のラインが出るタイトな白いワンピースを着ている。髪も後ろで綺麗にまとめられ、清潔感のあるすっきりとした印象を受けた。娘の誕生日だから、自分も着飾ったのだろう。化粧もしっかり施されている。
「来て下さったのね。お忙しいのに」
「ええ。お招き頂きありがとうございます」
藤堂の母親も私の前で立ち止まると、私の着ているドレスと下から上へと眺めた。
「す、素晴らしいドレスね」
悔しそうな色が瞳の奥で揺れた。
(…ああ、これか)
母親が関心のない娘の為に、超高級品のドレスを仕立てさせた理由が分かった。
(マウントを取りたかったのね。嫌いな娘を通してでも)
たかが誕生日会に欠席すると聞いただけで、わざわざドバイから電話してきた理由も頷ける。こんな高価なドレスに投資したのだから、見せびらかさないと意味がない。
「あの・・・私もお招き頂きありがとうございます!」
伊坂が意を決した様子で、お辞儀をした。
我に返ったように藤堂が伊坂を見た。上から下へと視線を這わせる。もっと貧相なドレスを着てくるかと期待していたようだが、思ったより高級なドレスを着ているが為に何も言えなくなっている。
「プレゼントは?ありませんの?」
藤堂が笑みを作っていった。ドレスとは別のところから仕掛けるつもりのようだ。
「え?」
「不要とは言いましたが、まさか冗談を真に受けた訳ではありませんよね?」
「あの、私、プレゼントは・・・」
顔を真っ赤にしたまま、小さくなっている伊坂の腕を突っつく。伊坂がこっちを見たので、視線で先ほど渡した紙袋だと合図をする。戸惑った様子だったが、紙袋を藤堂の目の前に差し出した。
「こちら、です」
「は・・・?」
藤堂が戸惑いの色を隠せずにいると、先に母親が反応した。
「まあ!これは、一日5食限定の伝説のチーズケーキじゃないの!」
「え?あ・・・」
「早朝に行っても売り切れるっていうのに!ありがとう、娘の為に!ずっと食べたかったのよ、私も!」
母親は伊坂にハグした。
「あとで、皆で食べられるよう冷蔵庫に入れておきますわね」
そう言うと陽気にその場を離れた。
(本当に感謝すべきは、平松だな)
「藤堂さん。そろそろ、私たちを案内して下さらない?」
私がため息交じりに言うと藤堂は、不機嫌そうに「こっちよ」と先導した。
部屋が二つあるところの仕切りを取り払って一つの会場にしたのか、家の中に本当にパーティー会場が出来ていた。思っていたより、招待した人も多く、部屋の中は満杯に近い。
真ん中の長テーブルには、ウェディングケーキのようなそびえ立つケーキが目立っており、その周りには、見た目華やかなブリケットや、手の平サイズのゼリーや苺のシュークリーム、パステルカラーのマカロンやフルーツ盛り合わせが並んでいた。
私は既にプレゼントの山が出来ているところに、持っていた紙袋を置いた。
「結構いるね」
伊坂が私にこっそりと耳打ちした。こういった大勢のパーティーは落ち着かないのだろう。
「時期を見てさっさと抜け出しましょ」
パーティーが苦手な私も小声で返す。
伊坂は「うん」と頷いたあと、私の腕を取って真面目な顔で言った。
「あの、さっきは本当にありがとう。本当に何から何まで助けられてばかりで・・・」
「いいえ。お役に立って良かった」
そう言った瞬間、頭がぴりっと痛んだ。
(また、「記憶」か・・・)
〈藤堂さま。そのバッグ、もしかして・・・!〉
〈限定品のでは?〉
〈ええ。私、お父様に言っても買って貰えなかったの!〉
藤堂の興奮した声が聞こえる。
〈誰からのプレゼントですの?〉
〈決まってるじゃない。白石さんよ〉
〈そうね!彼女しかいないわね!あの子は何でも買ってくれるわ〉
〈私たちの第二のお財布よね〉
〈こら、失礼よ~〉
〈藤堂さまもよく、あの子はただのお財布って言ってますわよ〉
〈え、そうかしら?〉
藤堂含めた、数人の女子が声高らかに笑っている。
〈このネックレスも、実は白石さんにおねだりして買って頂きましたの。お友達って言えば何でも買って下さるわ〉
〈私は、このブレスレットよ〉
〈お誕生日でもないのに、よく貢いでくれますよね〉
〈あの子は、お金しか取り柄がないのよ〉
〈お財布でいること以外に価値はないわ〉
私は未だチリチリと痛む、額を押さえた。
(そうだ、このシーン。藤堂が陰口を叩いているところをたまたま目撃しちゃうんだ。そこで、もう藤堂は親友じゃないと気づいたるーちゃんはかなり傷ついて・・・)
「白石さん?」
心配そうに伊坂が顔をのぞき込んでいた。
「具合悪い?」
「いいえ。ちょっとお手洗いに」
「あ、うん」
何か食べてるねと、嬉しそうな顔をしている伊坂をその場に残し、私はお手洗いへと向かった。
(藤堂の裏切りを見る為に、誕生日会が避けられなかったのか?)
広い洗面台に立ち、一人ふうとため息を吐く。
(でも、あのシーン。漫画では伊坂さんはいなかった気がする)
そもそもパーティーでの内容をそこまで詳しく覚えていない。
私は頭を抱えた。
「思い出せ、私・・・」
その時、水が流れる音がして、誰かが出てきた。
私の近くを通りすぎた時にふわっと香る、ラベンダーの匂い。モデルのようにすらりとした背丈は、鏡に映った姿から見るに頭二個分違った。長い手足が強調される袖のない深い紺色のドレスを着ている。腰まで伸びたまっすぐな黒髪は艶やかで、伏せたまつげは長かった。
どこを取っても非の打ち所がない外見の彼女を、私は知っていた。
「・・・何か?」
私の視線に気づいたのか、女性が顔を上げた。切れ長の瞳に高い鼻。どこか異国情緒を思わせる端正な顔つき。そして高校生とは思えない落ち着いた態度。
「西園寺響子さん」
私は口を開いた。
「初めまして、ですわね。お会いできて光栄ですわ」
洗面台に几帳面に並べられたタオルで、手を拭いている彼女は驚いたように顔を上げた。
「白石透です。以後、お見知りおきを」
「白石、透…?」
まるでこの名前を口の中で味わうように、西園寺は言った。
「ああ、婚約者の・・・」
そして、口角を少しあげて私の手を取った。
「ええ。よろしくどうぞ、白石さん」
「それでは失礼します」
丁寧にお辞儀をし、私はその場を離れた。




