9 はじめてのレジスタンス
「よう、目が覚めたか」
どうやらボクはいつの間にか眠っていたらしい。鼻をくすぐる、肉の焼けるいい匂いで意識を取り戻した。
周囲を見回すが、ここはあの木の虚ではない。知らない部屋だ。ボクはベッドに寝かされていたようで、服もこの世界に来たときに着ていたガウンではなく別の布の服になっていた。
部屋の隅で、おじさんが何かを調理している。あっちを向いているが、声をかけてきたということはボクが起きたとわかっているのだろう。
「……ここはどこですか?」
邪魔をしちゃいけないかなと思ったが、無言で居るのも少し気まずかったので質問を投げる。
おじさんはしばらく無言で調理を続けていたが、すぐに完成したようで器に盛り付けてからこっちに振り返った。
「ここは猟師の森小屋だ。俺はダン。今朝方森で狩猟をしていたら、木の虚の中で寝ているお前を見つけてな。明らかにワケアリっぽい格好だったんで、勝手ながら保護した。お前の名前は?」
「エルです」
ナクアルさんのときは隠したが、今回は素直に答えた。あのときはこれから助けられるということに対して抵抗感があったからだけど、今回はもう助けられてしまっていたから、その違いだろう。
ダンは調理中は背が丸まっていたが、かなりの大男だった。金髪碧眼だが髪もひげもボサボサで、知らない動物の皮で作られた服を着込んでいる、いかにも猟師といったおじさんだ。
ダンは丸太を椅子代わりにしてベッドのすぐ横に座った。料理の盛りつけられたお皿は、テーブルがなかったのでボクの居るベッドの上に置かれている。
いい匂いのする焼き立ての肉団子だ。緑色のソースがかかっているが、串が刺さっているので手を汚す心配はない。ダンはそのうちの1つを取って口に入れる。
「野ウサギといくつかの薬草を潰して焼いた薬膳料理だ。うん、ちゃんと中まで火が通っている。少し癖はあるが、元気になれるぞ。食え」
「ありがとうございます。いただきます」
断る理由もないので串を手に取って肉団子に齧りつく。
凄い。一口齧っただけで、明らかに今まで食べてきたもののすべてを凌駕した。本能がもっとこれを食えと叫ぶ。
ボクが理解している味覚は甘いと塩辛い、それから多分苦いと酸っぱい。この団子は少し塩っぽくて、ほんのちょっとだけ甘い。だけどそれ以上に、なにか本能を殴りつけるような味わいが、この肉団子にあった。
ボクは夢中になって肉団子を食べた。よく噛んで食べるように病院で教えられていたはずなのに、そんなことは忘れてすぐに飲み込んでしまう。肉団子をとる手は止まらず、気がつけばあっという間にお皿は空になっていた。
「すげえな。それだけ食えればもう元気いっぱいだ。そんなに美味かったか?」
「……はい! ありがとうございました!」
美味いというのを、ボクは知らなかった。
美味い。美味しい。正義の味方も悪役も夢中になっていた、ボクが今まで感じることのできなかった、本物の食の喜び。これがおいしい、ということか。
偶然にもダンが教えてくれたその味覚に、ボクは反射的に感謝し、無意識で頭を下げていた。
「いいってことよ。それだけの金はもう貰ってるしな!」
ダンは懐から数枚の金貨を取り出してガハハと笑う。そう言えばボクは袋に詰めた硬貨と一緒に寝ていたんだ。ここに連れて来られる途中で少し取られたのだろう。
元々ボクのものではないし、これだけの喜びを教えてくれたのなら全部あげても安いものだ。ダンにはそれほど感謝しているので、ついそのことを伝えてしまった。
「ボクは今まで美味しいというものを知らなかったので、本当に感謝しています。ボクの持っていた金貨で良ければ、全て差し上げます。本当にありがとうございました」
そう感謝を告げてもう一度頭を下げるが、ダンはそれを慌てて止めた。
「よ、よしてくれ。あんなもん店で食っても大した金額じゃないんだ。もちろん金貨はもらうが、全部は貰いすぎる」
「そうですか? 正直なところ、ボクみたいな子供があんなところであれだけのお金を持って寝ていたら、盗られるだけならまだマシ、最悪殺されていてもおかしくないと思いますけど……」
「そう思うんならあんなところで寝てるんじゃねえ!」
ダンは大げさに驚きおどけて見せていたが、ボクの言葉で急に顔つきが真面目なものになる。
「エル。俺はお前さんを助けた。助けたからには、助けたものの責任ってのがある」
「はい」
「お前の身に何があったんだ? あんな格好で魔物の出る森の中にいたなんて、どう考えても普通じゃねえ。それに金についてもだ。これだけあれば王都の市民権を買った上でしばらくは遊んで暮らせる、夢みてえな大金なんだ。正直俺はまだ夢を見てるんじゃねえかって思ってるくらいなんだぜ?」
「……それは……」
ダンの目は真剣そのもので、中途半端な言い逃れはできないだろう。
なので自分の身に起きた事実を、嘘を交えて正直に話すことにした。
「少し長くなりますが、ボクはあの森に入る前、とある村にいました」
「村…… っつーと、8号開拓村か?」
「名前は知りません。ボクはそこに連れてこられたんです。その前のことは、記憶を失っていて…… ともかく、森に入る前は村にいました。最初は村の人は良くしてくれたんですが、しばらくしていると様子がおかしくなって……そこでボクはある人物から、村の秘密を教えられたんです」
実際にはたった数時間の出来事だが、ここまでは嘘ではない。
「その人が言うには、その村は盗賊に支配されていて、村人は全員奴隷として売られるのを待っている状態だったんです。ボクはまだ村に連れてこられたばかりだったから、きっと盗賊たちも油断していたんでしょう。なんとか隙を見て、夜のうちに村を出ました。お金は、その人から貰いました」
「…………そうか」
話すに連れてダンの眉間のシワが深くなり、怒りで顔が紅潮していくのがわかる。
嘘だとバレたかな? 間違っていることは言っていないつもりだけど、色々端折ったせいで無理があるのはわかっている。
「そうしてなんとか村から脱出には成功したんですが、元々この辺には土地勘もなく、森を彷徨っているうちにあの木に隠れて……」
「それで俺が助けにってことか。よくわかったよ」
すっと立ち上がったダンはそのまま静かに外へ出ていく。そして、
『ーーーーーーーッ!!!!』
獣のような咆哮とともに、地響きがした。一瞬だが、それこそ地震のような揺れがあった。
何があったんだろう。そう思っていると、ダンが戻って来た。全身になにかの力をまとい、周囲が少し歪んで見える。
「えーっと……?」
「エル、お前も大変な目にあっていたんだな。だがお前の話で全てがはっきりした!」
ボクにはさっぱりだが、ダンの中では何かが繋がったらしい。
「安心しろ。お前の身は必ず俺が守る。改めて名乗るが、俺はこのドントル領の不正を調査しにきた、カンキバラ解放軍所属の戦士だ」
うわ、めんどくさそうな名乗りを上げたぞ。
ボクの手をがっと握るダンの力は強く、簡単には振りほどけそうにない。ああ、また正義の味方に掴まってしまった。今回ははっきりとボクのミスだから仕方ないが。
それよりも気になることがあった。ドントル領というのはこの辺の地名だとして、不正とは何のことだろうか。あそこは盗賊に襲われただけの村じゃない?
「ドントル領はニーム王国内の再開拓地にあたる領土だ。ニーム王国は隣国のザンダラ統一国と長年小競り合いをしている敵対関係にあったが、数年前に和平条約が成立した。その後戦争のせいで放置されいた国内問題の1つとして、食料資源の確保と居住可能な土地を広げようというのがドントル領の役目だった」
聞いてもいないのにダンはこの領のことについて話し始めた。だから村の名前が8号開拓村だったのか。
「しかしお前さんも知ってるようにここは魔物の出る森が近い僻地だ。元々の土地がすでに人で溢れているわけでもないのに、新規開拓や再開拓を目指そうなんて人間は少ない。だが領主にとって再開発は国からの命令で放置するわけにも行かない。そこで領主は安価な労働力を確保することにした。……奴隷だ」
そういえば地下にいたお姉さんは耳の先が尖っていて、ダンやナクアル、盗賊の村長のように金髪碧眼でもなかった気がする。
「ただでさえ奴隷はニーム国内では禁止だというのに、問題なのはその輸入元にある。彼らはザンダラ統一国の出身だ。あの国は元々亜人種の連合国家だったんだが、これはニーム王国との戦争のために組まれた暫定的な連合だった。なので和平が結ばれると、今度は統一国内で分裂が起きた。それぞれの種族の国に戻ろうとしたわけだ。その混乱のさなか、元の国に帰ろうなどと嘯いて統一国民を騙し、奴隷として連れ去る輩が現れた」
「……そんなことが……」
「お前もそうやって無理に連れられてきたんだろ? 黒髪に黒目なんてのは珍しいからな。きっと強いショックのせいで記憶がないんだ。お前さんは人間のようだが、奴隷に使われているのは亜人も多い。特に自然魔法に優れ、見た目も美しいエルフなんかがよく使われていると聞く」
「エルフ! あの、それって耳の尖っている人ですか?」
「そうだ。……ということはあの村にもエルフがいたのか?」
「はい。エルフのお姉さんが……」
そこでふとおかしな点に気がつく。あの村は現在盗賊が支配していて、村人は奴隷にして売るのだと言っていた。なのにダンの話だと村の運営は元々奴隷で行われていたことになる。
もちろん盗賊がそれを知らなかった可能性もあるが、領内に他国出身であろうエルフが居るのはおかしいと流石に気がつくのではないか?
「あの、でもボクがいた村は盗賊に支配されていたんです。その盗賊は村人を奴隷にすると言っていたそうですけど……どういうことなんでしょうか」
「それがやつらの姑息なところだ。ドントル領主はある程度まで奴隷に村を開発させ、時期を見て奴隷商の子飼いの盗賊に襲わせて奴隷を回収する。村は空になるが開発済みなので、領主はそこに正規の開拓民を安く呼び寄せる。開拓民にとっては村としての機能がすでにあるので、新規開拓地よりは人が集まりやすい。その結果だけを王国に報告すれば、土地の再開拓は問題なく成功したということになるってわけだ。そして奴隷商から新たな奴隷をまた買い入れて、新たな土地を開発する……という流れだ」
なんだかややこしいが、要するに領の発展のために奴隷を使用し、自前で回収すると足がつくから盗賊にやらせている、ということのようだ。
なお盗賊に襲われるとその分の税の免除があるようで、そういった意味でも儲けを出しているのだとか。
「俺たち開放軍はこの噂を聞いていたが、確認しようにも奴隷たちは自分たちが過去の敵国民だとわかっているから助けを求められないでいた。なんとか証拠を集めようとしても、いつの間にか正規の開拓民になりかわってるせいでそれ以上の追求が困難だったんだが……エル、お前さんという生き証人が現れた以上、やつらは言い逃れができない!」
ダンは力強く拳を握りしめ、大きく振り上げた。
「今度こそ領主の不正を暴き、奴隷にされた同胞たちを開放させるんだ! そのためにエル! お前の力を貸してくれ!」
そう言ってこちらに手を伸ばす姿は、まさに正義の味方のようで。
だからボクは困ってしまった。
だってボクは悪役なのだから。
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