2 ハイモアの悪夢
◆ハイモア
ヴァルデスと別れてからの日々は、平和なものだった。
「見てハイモア、花が綺麗ね」
「ええ、そうですね。メルシエ様」
ザンダラを抜けドゥブレイを経由し、海を渡ったメルシエとハイモア。
今いるのはジュープという小国で、そこではザンダラやニームの話題など1つも出てこない。それどころか旅の途中で出会った商人たちですら、ザンダラが長年戦争をしていたことすら知らなかった。
そんな平和な国の外れの森で、2人はひっそりと暮らしている。
初めのうちは何もかもが新鮮だった。
家を作るために近くの村の人手を借りて、その代価としてハイモアは狩りをした。
メルシエは小物作りや料理を教わって、たまに村での問題を解決するために知恵を貸し、ザンダラでの知識を披露すると賢者のようだと褒められていた。
月に1度は行商人が来て、ハイモアが狩った動物の干し肉や魔物の毛皮を売りに出す。明らかに足元を見られていたが、こんなところまで来ているのだからそこまで不当でもなかった。
そんな平和な日々は、ある日突然終わりを告げる。
ある日夢を見た。それはかつて同僚だった騎士の夢で、なぜお前は戦いもせずに生きているのだと責められた。
これが悪夢か。自責の念に駆られて魘されるのだろうとハイモアは思っていたが、なぜか夢の中の自分は酷く冷酷で、お前が弱いせいでみんなが死んだのだと言い返して斬り殺した。
そんなことを自分がするはずがない。
ハイモアの意識は急速に覚醒したが、目が覚めると無意識のうちに剣を握っていた。それだけでも本来ならありえないのに、その剣には血がついていた。
「……なん、で……?」
「どうしたの、ハイモア。狼でも出たのかしら?」
「……いえ。なんでもありませんよ」
メルシエを起こしてしまったが、ハイモアは誤魔化して剣をしまった。
その日から、ハイモアは人を殺す夢を見るようになった。
しばらくのうちは、殺されていった同僚の騎士たちだった。彼らは次々にハイモアを責め、自分の責任ではないと断じて彼らを返り討ちにしていった。
そもそもハイモアはメルシエ誘拐の現場で戦っているし、戦って負けてバランス・ブレイカーの計画に利用されたのだ。あっさり死んだ騎士たちよりも苦しみは長かった。
だから自分だけが責められるのは間違いなのだと、そんな自信があった。
次に見た夢に出てきたのは、知らない冒険者たちだった。
俺たちはただの荷運びの護衛だったのに、お前らのせいであんなバケモノに殺されたと責められた。あんなバケモノとは、たぶんヴァルデスのことだろう。
当然ハイモアはその冒険者達を斬って捨てた。冒険者の依頼は決して安全なものだけではない。それを承知して護衛していたはずだ。
更に言うなら、その依頼主が責められるべきだ。そいつらこそ悪の元凶バランス・ブレイカーなのだから。
目が覚めるとやはり剣を握っていて、その刀身は血で濡れていた。
◆
「最近よく眠れていないようだけど、無理をしていない?」
「……ええ。問題ないですよ」
ハイモアはメルシエと同じベッドで寝ているので、どうしても悪夢の日には彼女に感づかれてしまう。
でも、だからと言ってどうすることもできない。この夢の原因はわからない。
悪夢の登場人物は、日が立つに連れて増えていった。
ヴァルデスの倉庫を襲撃した兵士たちが現れた。彼らはなんの躊躇いもなく殺した。
頭を覆うマスクをした兵士たちも現れた。よく知らないが兵士なので殺した。
2人組の追い剥ぎのような男が現れた。こいつらはなぜか片方しか殺せなかった。どうでもいいはずなのに、なぜかそれが不満だった。
どこかの制服を着た女が現れた。彼女は情報を与えたのになぜ殺したのか逆上していた。会ったこともなかったので殺した。
「……私はこんなにも簡単に人を殺せる人間だったか?」
目が覚めると、剣ではなく手が血に染まっていた。でもそれは錯覚だったようで、すぐに血は蒸発していった。
その次の日に出会ったのは、軍の司令官だった。
「あなたも死んだのですか」
「ああクソ。忌々しい獣人め! お前があんなのと関わっていなければ、私が殺されることはなかった! 見ろ、私の後ろに続く部下の列を!」
司令官が指差す方向には、今までとは比べ物にならない数の人間がいた。
「あいつらの殆どは計画のことは知らず、バランス・ブレイカーの事も知らなかった! それなのに、あの場にいたと言うだけで死んでしまった! お前が余計な抵抗をするから、あの無能の王女が生き足掻かなければ、こんなことには……」
「姫様を侮辱するな」
ハイモアは話を最後まで聞かずに司令官を殺した。
元はと言えばお前たちがあんな組織を使っていたせいで、今の私たちの状況がある。
それを姫様が悪いだと? 到底許せるものではなかった。
「お前たちも同じだ! 知らなかった? あの地下施設は基地内部にあったんだ。不審な荷物の移動が堂々と何度も行われていたのに、それを知らなかった、気がつかなかった、無視をしていた。それで許されると、本気で思っているのか?」
ハイモアは兵士たちを殺した。殺して殺して、殺し続けた。何日にも渡って殺した。
だけどふと気がつく。その兵士たちはハイモアを責めていなかった。
「た、助けて……」
「無理だ。ここは私の夢の中。お前たちは私の悪夢で、殺すしかない」
「本当にそうなのか? 俺たちは何もしていない。何もするつもりもない。ただいるだけで、罪だというのか」
「そうだ。お前たちが私の悪夢である以上、私の中にある以上、排除しなければならない」
兵士たちは悔しそうな表情で首を振り、ハイモアは躊躇わずに剣を振り下ろした。
◆
ある日悪夢がピタリと止まった。
「あら。今日は早かったのね」
「……ええ、今日は早くに仕留められたので……メルシエ様、この方は?」
「いつも来る行商人の方の、お弟子さんだそうよ」
「師匠が店を持つことになったんで、周回ルートを引き継ぐことになりました。これからよろしくお願いします!」
若い、メルシエと同じくらいの年齢の精悍な若者だった。
「じゃあ、いつも売っているものはこちらで……」
「はい。それで、これがいつも買っていただいているものですね!」
今日初めて会ったはずなのに、メルシエと若い商人の距離が近い気がして、ハイモアはそれが少しだけ気に入らなかった。
若い商人の通ってくる頻度は、彼の師よりも明らかに多くなった。
彼が言うにはハイモアの狩る毛皮は品質がよく、高値がついているのだとか。今までよりもずっと売値は良くなって収入は増えたが、その分ハイモアは外での作業が多くなった。
悪夢で人を殺さなくなった代わりに、魔物を殺す数が増えた。
それが良いことなのか、悪いことなのか、ハイモアには判断がつかない。
しかし収入が増えたことで生活の質は上昇し、メルシエに楽をさせたいと思っていたハイモアは今の状況を快く思っていた。
その日は大型の魔物を仕留め損ない、帰るのが翌日になってしまった。
遅くなるだけなら忙しくなってからたまにあることでメルシエも気に留めていなかったが、翌日というのは流石に遅すぎて、ハイモアは酷く叱られた。
「でもこんなに大きな魔物を狩ってくるなんて、本当にありがとう」
「いえ。私にはこれくらいしかできないので。改めて、心配をおかけしてすみませんでした」
「私も言い過ぎたわ。ハイモアは私たちのために頑張ってくれているのに。さ、今日はもう休んでちょうだい」
メルシエに言われるがままハイモアは家に戻り、ふと違和感を覚える。
いつか何処かで嗅いだ、自分たち以外の生物の臭いがした。
狩りを終えたままの恰好だからだろうか。ハイモアは一度身を清めるが、それは自分の衣服からではなかった。
疲れてるせいだろう。そう思ったハイモアは一度考えるのを止めて、メルシエとともに使用しているベッドに身を預け、
「……ああ。……思い出した……」
この臭いは、ヴァルデスと交わったときの……
そこでハイモアは意識を失った。
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