幕間1 ユルモの憂鬱
本編とは関係のないお話です。
◆ユルモ
ユルモはヴィクトリアたちの仲間に加えてもらったときは心の底から救われたと思っていたが、それはあまり正しい認識ではなかった。
「はいユルモさん、朝ごはんですよ」
「……はい。ありがとうございます……」
ヴィクトリアの専属料理人であるフェルの作る料理は、今までに食べたどこの料理よりも美味しい。今もスクランブルエッグと香ばしいソーセージ、それから焼き立てのパンが鼻をくすぐる。
付け合せのサラダにかかったソースも彼女の特製で、ベリーの酸味と岩塩の味が生野菜の癖を和らげる。
さらにはヴィクトリアの用意したミルクティーまで用意されていて、ユルモの人生で最も豪華な朝食と言っても過言ではない。
ただし、それらが犬用の浅皿に用意されていなければ、だ。
「おお、今日は高級ホテルの朝食のようなメニューでござるな。美味しそうでござる」
ザンダラの首都で新たに加わった兵士の男、アリタカはユルモと同様にエルに変身魔法を使われていた。しかし彼は自力でその魔法を解除し、今は可愛らしい顔立ちを晒している。
「揃ったわね。じゃあ、いただきましょうか」
「「いただきます」」
「……いただきます」
この食事の挨拶はエルやアリタカのいた国の文化で、アリタカ曰く生きるために殺した命への感謝から来るものなのだとか。
食事に対して異常な執着を見せるヴィクトリアがそれを気に入り、今ではこのメンバーは必ずするようになっている。
「このソーセージの焼き加減は絶妙でござるな! 皮がパリッと焼けているのに割れていないのは素直に感動するでござる」
「ありがとうございます」
美味しい。フェルの作る食事は毎回違った味わいがある。なので同じ食材でも飽きが来ないし、いくらでも食べたいと思える。
だけど、ユルモには不満があった。
「アリタカもそこそこ料理ができるようだから、教えてあげてもいいわよ? ただし、私の授業は厳しいけれどね」
「拙僧の作る料理は修行のためのものでござる。それはヴィクトリア殿の目指すものとは真逆で、素材のすべてを活かす代わりに、必要最低限しか命を頂かない。そのため味付けもものすごく質素でござる。興味がないわけではござらんが、遠慮しておくでござるよ」
テーブルの上から聞こえてくる楽しげな会話。
ユルモもそこに混ざりたいと思っていたが、しかし犬の身では食べるだけで精一杯だ。それに何度でも言うがフェルの料理が美味しすぎて、口を離すのがもったいなく感じてしまう。
そんなとき、ふとユルモの話題が出てくる。
「ところで、あのユルモ殿の世話は誰がしているんでござるか?」
「え、私ですか?」
「誰もしてないわよ? そもそも中身は人間だし」
「そうなんでござるか? うーむ、だとしたら、しかし中は女性……」
「それがどうかしましたか?」
全員が首を傾げるが、アリタカだけは真剣に悩んでいるように見える。
「この世界はそれなりに水道設備が整っていて、今泊まっているコテージにも個室にシャワールームがあったでござる。失礼なことを聞くんでござるが、どのくらい利用しているでござるか? ちなみに拙僧は毎日2度利用しているでござる」
「シャワーは私の希望だから当然使ってるわよ。暫く行く宛もないし、のんびりしようってことでバスルーム付きのコテージを用意したんですから」
更に詳しく言うならヴィクトリアの本来の姿は下半身が植物のツタのようになっているので、水に浸かっていると体力や魔力が回復するのだが、ここでは省いている。
「私は調理の関係で臭いがつきやすいので、毎日使わせてもらっています」
「おふた方はやはり毎日使っているようでござるな。……ユルモ殿は?」
「え?」
突然話を向けられてユルモは困惑する。
シャワーは、そう言えばいつから使用していないのか。
ヴァルデスに2度目の誘拐をされる前。フートゥアの衛兵の詰め所ではシャワーを利用させてもらった。
だけどそこから逃げるとき、犬の姿に変身した後は……
「……しばらく、使っていない……?」
「やはり、そうでござったか」
「……もしかして、私臭いますか? 私臭いんですか?」
ユルモの問に、全員が視線を逸らす。
「んー。まあ犬ならそんなものじゃない?」
「ワイルドウルフの毛皮と同じくらいの匂いですね」
「拙僧は、言えないでござる」
「臭いんですね!?」
◆
犬に変身していたユルモは事実、少し野性味を感じさせる臭いがあった。
だがそれはある意味で仕方のないことだった。
まずヴィクトリアは犬を飼ったことがない。それに彼女は野食を調理することも多かったので、余程味が変わるような臭いでなければほとんど気にしなかった。
次にフェルは元冒険者だ。新米で貧乏暮らしの長かった彼女は、シャワーを浴びない日も多かった。それに長く着用している防具はどうしても臭う。それに比べれば、ユルモの臭いはマシだった。
そしてユルモ自身にも、正確には変身魔法の方に、本来なら誰も気に留めない問題があった。
彼女にかけられたメタモーフは、外見をそれらしく作り出す魔法の鎧だ。ユルモ自身は中にいるため、外の情報は問題なく得ることができるし、中の状態は外に漏れることはない。
しかし鎧そのものの、犬の姿の情報は彼女には伝わらないのだ。もちろんダメージを受けたり触られたりすればわかるが、鎧そのものから出てくる臭いなどは伝わらない。
そのため今回アリタカが加入したことではじめて、ユルモの放つ犬臭さが彼女自身に伝わった。
「う、うう……わかってたなら、もっと早く言ってくださいよ……」
「そんなことを言われても…… ユルモさんは、以前の私より臭くなかったですし……」
現在ユルモは自室のシャワールームでフェルによって身体を洗れている。
「まあでも、今気がついてよかったです。このまま何日も放置されていたら、それこそ乙女のなにかが壊れていました」
「そうですか。エルさまに随分ひどい目に合わされたみたいですが、まだ乙女だったんですね。それにしても、女性にこれをつけるなんて、エルさまは本当に常識がないですね」
「……言わないでください」
ユルモは女性だが、その犬の後ろ足の間には本来は無いはずのモノがあった。
これもある意味で仕方のないことだ。エルは犬を写真でしか見たことがない。その犬はオスだった、ただそれだけだ。
「これのせいでアリタカさんに身体を洗われていたかと思うと、恥ずかしさで顔から火が出て死んでしまいます」
「最初は男だと思われていましたからね。逆にアリタカさまのほうこそ顔立ちが可愛らしかったので、女性だと思っていました」
「それ言ったら怒られますよ。アリタカさんはそれを気にして、毎日トレーニングをしてるんですから」
「ああ、毎日朝夕と走ってますね。なぜかユルモさんも一緒に」
「私は暇だからいいんですけど……」
ちなみにアリタカ的にはトレーニングではなく、犬の散歩をしているだけのつもりだ。
本来のユルモの体力では途中でバテてしまうが、犬の姿をしていることで普通に走れている。
「洗い終わりましたよ。えーと、タオルで拭く前に、犬に身体をブルブル震わせて水をはじいてもらうように。とのことですけど、できますか?」
「……どうやるんですか、それ」
「ワイルドウルフが水浴びしたときに、なんというか、こう、身体を撚るように? バタバタバタっていう感じで……」
なんとかシャワーを終えてリビングに戻ると、ちょうどアリタカが買い出しに向かう準備をしていた。
「お疲れさまでござる。無事に洗えたようでござるな」
「はい。毛の奥まで洗うというのは、意外と大変ですね」
「本来なら犬を飼った経験のある拙僧がやれればよかったんでござるが、まあなんであれ、解決できてよかったでござるよ。臭いだけならともかく、不清潔の状態が長いと虫が湧くので、それには注意が必要でござるからな。拙僧はこれから買い出しに行くでござるが、フェル殿はいかがでござるか?」
「私は夕食の仕込みがあるので」
「そうでござったか。ではユルモ殿、行くでござるよー」
アリタカは慣れた手付きでユルモに首輪をかけ、それを鎖で繋ぐ。ユルモは不服極まりなかったが、それがアリタカの世界では常識であり飼い主の義務だったため、犬の姿で反論しても聞く耳を持たれなかった。
「くう……早く変身が解除できれば、こんな目に合わずに済んだのに……」
ユルモの犬生活は、まだまだ続く……
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