3-13 はじめての王女
一部卑猥かも知れない表現があります。
獣霊回帰のスキルを切った瞬間に、どっと全身を疲れが襲う。魔力も体力も消費するし、使い勝手はあまり良くないというのがボクの感想だ。
しかしその分瞬発力、爆発力は他のスキルでは足元にも及ばない。闇魔法のダークオーダーですら強化率は5割ほど。闇属性に変化するため副次的に他属性への抵抗力が増すし、外付けの魔力分能力値が上昇するから、実際にはもっと強く感じられるけど数値だけならそのくらいだ。
しかし獣人の獣霊回帰はそんなものではない。身体を保護するためのセーフティを無視して魔力を使用するため、倍以上に能力値が上昇する。
もちろんデメリットも存在する。強制的な魔力の使用に加えて、能力値の参照先は全て自分だ。だからそもそもの能力値が低ければ効果は薄いし、身体のセーフティが機能していないので無理をすれば簡単に身体が壊れる。
わかりやすく例えるなら、普通は壊せない石の壁を殴って壊せるようになるが、その代わりに殴った拳も壊れる、といった具合だ。もちろん防御力も強化されているから実際はもう少し違うだろうけど、あくまで例えの話。
「でもこれって身体は壊すし魔力は使うし、闇属性じゃない闇魔法と同じじゃない?」
闇魔法は他人の命でも再現可能なのでぜんぜん違うけど、犠牲を伴うというという部分が一緒だ。
『否定はできませんね。獣人に限らず、亜人種の歴史を辿るとその源流は魔物に行き着きます。獣人固有の能力である獣霊回帰とは、魔物だった頃の性質を呼び起こすもの。擬似的な魔物化であり、そういう意味では闇魔法と変わらないでしょう』
「ああ、そっちの部分が重なるの。でもそうか。獣人は元々魔物なのか」
『その辺の線引は人間が勝手に定めたものなので非常に曖昧です。亜人種の中でも獣人の定義は特に酷く、犬や猫、鳥などの獣人は亜人種とされていますが、豚や牛の獣人はオークやミノタウルスと呼ばれ魔物扱いです』
なんだそれ。どこまで一般的な意識なのか知らないけど、もし常識として浸透しているなら、それはボクの思い浮かべる正しい正義とは違うな。オークは悪役向きだと思っているけど、すべてのオークが悪役というわけではない。
それなのに全部をまとめて魔物扱いするんなら、それはもう戦うしかない。でもそれで人間と戦った結果、魔物とされてしまったんだろう。どっちが先かは知らないけどね。
「ところで亜人が魔物なら、人間は何なの?」
『人間もまた、その祖を遥かに辿れば魔物です。ただその関係値は今では亜人よりもなお薄いため、魔力を持っていることくらいしか共通点はありません』
「ふうん。それなのに彼らは自分たちは特別扱いするんだ」
『それが人間ですから』
釈然としないけど納得はできる。ある日突然自分の歩いてきた道を否定されれば、誰だって拒絶するだろう。だからといって許される行為だとは思わないけど。
パラゲの工房の奥には、上の店にはなかった完成品の武器や防具が並んでいる。ボクはその中からヴァルデスが注文していた装備品と、ハイモアのための装備を物色する。
ヴァルデスは大柄だったため、防具はすぐに見つかった。
トルソーにかかっている深い紺色のゆったりとした羽織物。たぶんこれだろう。派手ではないが魔法効果のある刺繍が施してあり、なかなかおしゃれだ。
早速パラゲにずたずたにされた幌を脱ぎ捨て、袖を通す。
「うん、ぴったりだ。余裕があるのにボクの動きにきちんと連動して、遊びの部分が邪魔にならない。それにとても軽いし、耐久力も高いみたいだ」
ボクはスキルブックのお陰で、装備してしまえばそのアイテムの詳細がわかる。この名も無い獣人族の伝統衣装は、長旅にも耐えられるように耐熱耐寒性能だけでなく、防塵性能や少しの魔法耐性まである。ただの布ではなく竜の体毛を解した糸で編んであるらしく、魔力を通せばある程度の再生までするのだとか。
「これってかなりいい装備品だよね?」
『良し悪しの基準がないので一概には言えませんが、そう簡単に作り出すことができるものではありません。しかし……』
「なに?」
『その装備品は上着だけですので、そのまま出歩くのは、やめたほうがよろしいかと』
ああ。破った幌は全身を隠していたが、この羽織はたしかに上着だけ。ハイモアが全裸では正義の味方として格好が使いないと言っていたのに、自分の下半身が丸出しではやはり悪役としても格好がつかない。
しかしヴァルデスの注文はこの上着だけのようだ。
アール曰く、古い獣人族はかなり獣よりなので基本的には裸族であり、儀式のときにだけ衣服を身に纏う。しかしその儀式は神へ捧げるためのもの。土に汚れる下半身は、衣装が汚れるとマズいので何も着用しないのが今でも伝わっているらしい。
流石に現代では下半身にも装備するけど、汚すとマズいというのは変わらないようで、常用している衣服が好まれる。なのでヴァルデスも普段遣いの衣服の上から、この衣装を装備するつもりだったんだろう。
だけどボクは、ヴァルデスに転生した瞬間から全裸だった。
なにか無いかと探すが、職人気質な店らしくオーダーメイドのものが多い。武器はともかく防具や衣服はヴァルデスみたいな大柄な人間ばかりではないため、全然見つからない。
結局見つからなかったので、ボクは余った布をクリエイトゴーレムで無理やりつなぎ合わせて代用することにした。
パッチワークみたいな袴になっちゃったけど、むしろその色使いの不安定さが不気味で、逆にいい味を出しているように見えないこともない。
『どうでしょう。コーディネイトは最悪に思えますが』
「……悪役なんだから、最悪って実はいい意味じゃないかな」
『どうでしょう』
アールはお気に召さないらしいが、ともかくボクの防具は揃えることができた。
あとはハイモアの装備を見繕って、それでここでの用件はおしまいだ。
このときボクはすっかり忘れていたけど、用事を頼んだはずのオディアールとユルモは、なぜこの場にいなかったのか。それを知るのは翌日のことになった。
◆
「お待ちしておりましたわ!」
ユルモの倉庫に戻ると、入った瞬間に王女に飛びつかれた。待ち構えていたのは知っていたけど、それでもまさか飛びついてくるとは。悪意はなかったとはいえ、彼女自体に細工をされていたらボクはダメージを追っていただろう。今後は気をつけよう。
それはそれとして、これはいったいどういう状況なんだ?
「おい、ひっつくんじゃねえ」
「これは失礼しました。わたくし、あの闘技場のチャンピオン、ヴァルデス様に助けてもらったのだと聞いて、ついはしたない真似を。本当にごめんなさい」
王女は一歩下がって頭を下げるが、そう言われても理解が及ばない。ハイモアに目をやると、彼女も困ったように目を伏せる。ちなみに彼女は、なぜかまだ全裸のままだ。幌で隠すくらいはすればいいものを。
「助けたのは気まぐれだ。恩に着るのは勝手だが…… あいつから話を聞かなかったのか?」
「聞きましたわ! 騎士ハイモアを助けてくれて、どうもありがとう。その過程でなにか不幸な行き違いがあったようですけど、わたくしメルシエの名において、彼女の罪をお許しください」
そう言って跪く王女メルシエ。ボクは正直混乱していた。
だってボクは悪役で、ハイモアにしたのは治療行為だけど、彼女からすれば悪の組織の人体改造実験だ。あの馬車から助けた対価には見合わない程の非道だと自覚はある。
だけどメルシエは満面の笑みで告げた。
「助け出していただいたということは、わたくしたちの命はヴァルデス様のものです。身も心も、その魂も貴方様に捧げます。どうぞ好きにしてくださいませ!」
「……イかれてるの?」
おっと、つい本音が。ちらりとハイモアを見やれば、彼女は黙って頷く。……そうか、イカれてるのか。
「一応聞くが、なぜそこまで俺を信用する?」
「わたくし一度だけ、闘技場でのヴァルデス様の試合を見たことがありますの! その時の洗練された格闘術、素手でありながら一太刀も浴びない身のこなし、そして勝利の勇ましい雄叫び。どれをとっても素敵ですが、試合後貴方様は観覧席のわたくしを冷たく睨みつけたのです! ああ、その瞬間からわたくしの心は貴方様のものになってしまったのですわ!」
聞いても理解が及ばなかった。
「姫様は、その、あなたのファンなのだ……」
「え、それだけ?」
「ええ! それだけで十分です! 私の中で輝く月よりもなお明るい一番星。そのヴァルデス様が! 危険を犯してまで馬車で運ばれるわたくしを助け出し! あまつさえわたくしにかけられた呪いをも解き! 更には騎士の命まで救ってくれた! ハイモアに至っては2度もその命を救ってもらったそうではありませんか!」
間違っちゃいないけど、ハイモアの2回目はボクが改造するために殺しかけたやつだよね。
「助けていただけなければ、わたくしたちの命は路傍の石のごとく打ち捨てられていたでしょう。それを拾い上げていただいた! まさに天上の神々の如き慈愛! であればわたくしたちはその身の全てで、ヴァルデス様に尽くさなければならいないのです! わたしくたちは捨て石だったのですから、それだけで恩を返せるとは思いませんが、それでも、出来得る限りの奉仕をさせてくださいませ!」
「……そうか。……礼などいらないが」
「まあ! なんと慈悲深いお言葉! ですがそれではわたくしたちの気が済みません! どうか、どうかわたくしたちに奉仕の機会を与えてください!」
そうしてまた這いつくばり頭を下げるメルシエ。
どうしよう。これは困った。今までに会ったことのないタイプの人種だ。
命乞いなら聞き飽きた。強くしてくれと弟子入りしてきたやつなら前にもいた。
だけど、こいつは助けたことへの恩を返したいのだという。助けてやったと散々恩着せがましく言ってきたけど、だから感謝させて欲しいと言われると困る。
うーん、どうしたらいいものか。とりあえずハイモアに服を渡すか。
「……その件は一度保留だ。ハイモア、装備を見繕ってきた。合うものを着ろ」
「え? ……あ、ああ。かたじけない」
背負ってきた革袋をハイモアに渡そうとすると、メルシエが飛び上がってそれを静止する。
「なりません! なりませんわ、ヴァルデス様!」
「ああ?」
「ヴァルデス様の慈悲深さは、もはや深淵に届こうかと言うほどに深いのはわかりました。しかしそれでも、ハイモアがそれをただで受け取るわけにはいきません!」
「なぜだ? 夏とはいえ、夜は冷えるだろう」
「冷えませぬ。そのような鍛え方はしていませんので。むしろ、これから熱くなりますわ」
ハイモアも複雑そうな顔をしている。彼女は王女のために、命を投げ出そうとしていたほどの忠誠心を持っている。だがその王女にこんなことを言われては、流石にボクもかわいそうだと思う。
それにやはり全裸のままでは、正義の味方としての尊厳が失われていくようでいやだ。
そう思っていたら、なんと王女までドレスを脱ぎ始めた。
「……なぜ脱ぐ?」
「ああ、ようやくわたくしを見てくれましたね。ハイモアにばかり視線を送るので、もしやわたくしに魅力がないのでは、と心配しておりました」
「だからなぜ脱ぐ? おい、俺の服に手をかけるな」
「え? それはもちろん、奉仕をさせていただくためです! 安心してくださいませ。浅学ですけれど、わたくしにもそういった知識はありますので」
意味が分からずハイモアを見やると、彼女も彼女でボクの背後に回り、突然膝を蹴って仰向けに倒す。普段なら避けられるはずだが、正面に王女が居たので咄嗟の行動ができなかった。
正義の味方のくせに、なんてあくどい真似を。
ボクはそのまま仰向けに転ばされ、顔を両手で掴まれる。
「お前、何のつもりだ?」
「……すまない。私だって、こんなことはしたくはない。だが、姫様の命令であれば……本当にすまない」
心底辛そうな顔で、ハイモアはボクの口に唇を重ねる。不思議と嫌な気持ちはなかった。
彼女の舌がボクの口内に入り込み、中を探るように舐め回す。
――ああ、これはあれだ。エルだった頃に、ケウシュに襲われた、あの精神攻撃だ。
下半身の方ではボクの袴を脱がした王女が覆いかぶさって何かをしている。
――あのときは、ナクアルさんのことで頭がいっぱいだったから、ただただ不快だった。
だから忘れていたんだ。
――これは、いい。悪の男どもは、これが欲しかったのか。
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