3-9 はじめてのおつかい
外はすっかり暗くなっていた。ここはフートゥアの中だが、倉庫街には明かりがないので周囲は闇に包まれている。
なんとなく明かりの方へ向かっていくと、それなりに開けた場所に出た。
「冒険者向けの店は……あっちの方か?」
簡単な地図を見ながら開いている店を探す。
あーあ。ボクは最強の武闘派ヴァルデス様なのに、なんでこんな事になっちゃったのかな。
――それはほんの数分前の出来事だ。
「助けてもらったことは感謝しているが、姫様をこのままにしておくわけにはいかない。一度出ていってくれ」
王女の拘束具を外し終えたハイモアは、突然そんな事を言いだした。
「は? ここはボクの秘密基地だよ? 出ていくならそっちじゃないの?」
「私も姫様も、こんな場所は1秒でも早く出ていきたい。だが見ろ。お前のせいではないにしても、姫様のドレスはこんなにも汚れ、私は下着すら無い。こんな状態で外に出ろと言うのか?」
ハイモアは仁王立ちで眠っている王女の隣に立つけど、恥ずかしくないのかな?
「下着ならあるでしょ。あの箱にはそういうのもあったと思うけど」
「本気で言っているのか? あんな穴の開いた淫らな下着をつけるくらいなら、裸のほうがマシだ。どうせお前には散々見られているからな」
「あっそ。だけどボクは出ていくつもりはないよ。何度も言うけど、ここはボクの秘密基地だ。服がないならそこの破れた幌で隠せばいい」
荷車に被せてあった幌を指差すが、ハイモアは見向きもしない。
「それではお前と同じ格好になるだろう。それだけは無理だ。腸が煮えくり返る」
「じゃあ全裸で出ていけばいいじゃないか」
「それは騎士としてできない。人前で無闇に肌を晒すなど、騎士以前に人として恥だ」
そういうハイモアはずっと全裸なんだけど。思わず乾いた笑い声が出る。
「は、まるでボクが人じゃないみたいに言うね」
「ああ。お前は人でも獣人でもない。外道だ。鬼畜だ。正真正銘本物の悪魔だ。そうでなければ、首を刎ねて身体を弄るなどと、あのような残酷な行為ができるはずがない。私を嬲り犯した悪漢どものほうが、人並な欲の分まだいくらか愛嬌がある」
「治療行為だって言ってるのに……」
「だとしても、私はその光景を見ていた。お前は私の身体を解体しながら笑っていたぞ? 医者や神官ならもっと真剣に、もっと厳かに人の身体を扱う。お前にはそんな真摯な態度はなかった。あれはまるで、子供がままごとで泥遊びをしているような、そんな顔だった」
そう言われても、自分の顔を見ながらスキルを使っているわけじゃないしなあ。
「ボクは至って本気だったけどね」
「ともかく。姫様がまだ眠っている以上、無理にこの場から移すことはできない。私の衣服もないので外には出られない。わかったなら出て行って、ついでに私の服を買ってきてくれ」
「それにボクが従う必要はないね。君はボクのおかげで強くなったけど、それでもまだボクのほうが強い。無理やり外へ追い出すのは簡単なんだよ?」
「……これでも、そう言えるのか?」
何をするつもりなのかとハイモアを見ていると、彼女は荷台においてあった金鏝を手に取った。
「武器のつもり? そんな道具じゃ、素手のほうがまだ強、……っ!? なんのつもり!?」
「身体は改造されていても、頭はそれほど弄られていない。そうなんだろう?」
ハイモアは金鏝の尖っている先の部分を、自分の喉に押し当てた。先端が刺さって、薄っすらと血が滲んでいる。
あのまま押し込めば、ただの鉄の棒の金鏝でも十分に脳を貫く。そうなったら、彼女の貴重な正義の心は、永遠に失われてしまう。
「……死ぬつもりなの? 王女を守るんじゃなかったの?」
「それは、申し訳なく思う。だが他に手段はない。……私の魂がなくなって困るなら、私たちを置いて部屋を出ていけ」
「…………ああクソ! お前なんか全然正義の味方じゃない! こんなことをして、本当なら許されないからな!」
本物の悪役なら、きっとそこでなにか気の利いた台詞が言えるのだろう。だけど今のボクにはそれができなかった。
所詮ボクがやっているのは、悪役の表面をなぞるだけのごっこ遊びだ。
ボクには信念がない。成し遂げたい野望がない。悪役にはなったけれど、その先の展望がない。
だからあんな、本来なら脅しにすらならないような言葉で言い負かされる。
今思い返しても、それが悔しかった。
あの時なんて言い返すのが正解だったのか。
そんな事を考えながら、フラフラと夜の町を歩く。
「~♪ おっと、どこ見て歩いてんだ!?」
考え事をしていたせいで酔っ払いグループの1人にぶつかった。なにか喚いているが、こんなとき悪役はどうするのが正解なんだっけ。
「おい、聞いてるのか!?」
「ああ、うん。聞いてるけど、俺はどうするのが正解だと思う? 飲み過ぎだぜと笑い飛ばすのか、それとも逆上してぶちのめすのか。なあ、どっちが正しいと思う?」
「なんだこいつ?」
「おかしなやつだ。行こうぜ」
返事を聞く前に、彼らは人混みに消えていく。
今だって何も成し遂げていない。
ああ、ヴァルデスはホントはもっと強くてかっこいい悪役のはずなのに。
今のボクは、何をしているんだろう。
◆ハイモア
ハイモアはヴァルデスの出ていった扉をじっと睨み続ける。
悪の権化、実体化した恐怖が部屋から出ていった。
彼はなにか訳のわからないことを喚いていたが、ハイモアには最初から何もわかってはいない。ずっと、その場しのぎで心を保たせていた。
しばらくして、彼の強大な魔力の気配が遠ざかっていったのがわかった。
「……っ、はぁっ……はぁ、っはぁ……」
命拾いした。
ハイモアはそう思った瞬間に全身から力が抜けて、その場に崩れ落ち、金鏝が手から滑って床に転がる。
私は賭けに勝ったんだ。実感はわかないが、とにかく危機は乗り越えた。
「は、ははは、何だアレは……私は、アレに何をされたんだ?」
緊張の糸が切れ、今更恐怖で身体が震えだす。失禁こそしなかったが、それは中に何も入っていないからだ。そう思えるくらいに、身体に力が入らない。
剣闘士ヴァルデス。
実のところハイモアはその名前を知っていたし、彼と会ったこともある。
だが再会した彼は、以前の人物とは何もかもが違っていた。
彼は強かった。だがその強さは獣人族由来の、自然な強さだ。身体強化スキルを使ったハイモアの腕を、造作もなく折って引きちぎるような怪力ではなかった。
彼の目は冷たかった。だがそれは戦いの中にあったときの、戦士の目だ。あんな、人を物と同じように見る、なんの温度もない人形のような目ではなかった。
彼は、優しかった。だけどそれは人として当然の道徳観だ。人間を解体して治したなどと宣うような、恩着せがましい狂気ではない。
そして、彼はもっと勇猛で剛毅な男だった。あんな、子供のような喋り方をするような男ではなく、泣き言を言って逃げ去るような男では、断じてなかった。
「いったいなにがあったと言うんだ……!」
ついカッとなって振り上げたハイモアの拳に行き場はなく、彼女は力なく床を叩く。
しかしほんの少し床を殴っただけで、肉体に刻まれたスキルが発動し、床に衝撃が走った。勢いはなく、威力もない。だけど今までならそんな事はありえなかった。
「ふ、ふは、はは……彼は、私は……いったいどうなってしまったんだ……!」
お前は人ではない。ヴァルデスの皮を被ったなにかに投げた言葉が、今まさにハイモアに帰ってきた。
それなら、あの悪魔によって改造された自分はなんなのか。
悪夢のような光景が、ハイモアの脳内を巡っていく。本当に夢だったのではないか。そう思い込みたいが、金鏝を押し当てた喉の痛みが現実なのだと語っている。
「……私は、どうすればいいんだ」
姫を守ると言っておきながら偽情報で簡単に手籠めにされ、散々嬲られた挙げ句にその身を呪具に変えられた。
今生きているのは、あの悪魔の気まぐれに過ぎない。
気まぐれに馬車を襲い、気まぐれに彼女たちを拾い、気まぐれに治療をした。
見知った人物の、有り得ない言動。
そのせいで生きている、王女と騎士。
何かが欠けていれば、こんな状況にはなっていない。
もっと最悪な形で、終焉を迎えていた。
どうすればよかったのか。その問いに答えはない。
「……それでも、私は騎士として……」
できることをしよう。
失われたはずの、拾った命だ。ならこれ以上失うものなんて、自分にはなにもない。
今度こそ姫様のために。
決意を新たに、ハイモアは立ち上がった。
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