3-3 はじめてのにおい
残酷な表現あり。
◆エル
翌日。少しだけ危惧していた追手や捜索部隊などはなかったようだ。
そしてユルモも何故かまだいる。せっかく脳の足りない悪役のふりをして逃げられるように放置したのに、なんのつもりなんだろうか。
「おい、起きろ」
「……ん、んぅ? ……はっ! 寝てません! 寝てませんよ!?」
いやそれは流石に無理がある。こんな場所でどれだけぐっすり寝たのか知らないが、目は半開きだし口元には唾液がついていた。
「腹が減った。だがここにはろくなもんがない。町はどっちだ?」
「あ、えっと、少し待ってください。すぐに現在地を確認しますので!」
ユルモの目に魔力が集中するのがわかる。なにかスキルを使用しているのだろう。一度空を見てから周囲の景色を確認し、何かを思い出しながら空中に指で地図を書いていく。
「……この川が、こっちで、神竜山脈があっちだから、ええ!? あの廃棄上から、たった1日でこんなに離れちゃったんですか!?」
「全力を確かめたかったからな。3時間は走ったが、暗くなってきたからこの川で休憩にした」
スラーのときは身体が弱すぎてそんな気にはならなかったけど、ヴァルデスは限界まで走れる気がしていた。
身体がエルだった頃に、この世界に来て最初にやろうと思っていたことだ。今確かめても意味なんてないんだけど、それでも試したくなった。
この身体は持久力も優れていて、3時間ほどの全速力では全く疲れなかった。正直イカれてる。実際のところ周囲が暗くなってもスキルによってはっきり見えていた。
それでも川に寄った理由は自分のためではなく、ユルモの服についた返り血がだんだんと臭ってきたのが気になったからだ。
「で、その反応なら場所がわかったんだろ? どっちに行けば飯が食えるんだ?」
「っ……! あの、すみません。嘘じゃなくて、本当のことを言うので殺さないでください……」
「一々その程度で殺しはしない。……だがあまりに鬱陶しいなら殺す。聞かれたことだけ答えろ」
「ひぅ! は、はい! 現在地は私がいた廃棄場から東に約45マーチです。えと、北部廃棄場の北と東は軍の管理地だったので、周辺には記録にない流民の集落くらいしか……ありません」
周辺に人はいないと、自分で言っていて不安になったのだろう。ユルモの声量は後半になるに連れて小さくなる。
ということはボクは逆走してきた形になるのか。でもそれならまた走ればいい。時間はかかるが、わかっているなら問題ない。ところで知らない単語が出てきた。
「おい、マーチってなんだ?」
「え? あ、ああ。ザンダラ軍で正式採用されている距離の単位です。完全武装の歩兵が1時間に歩ける距離を1マーチとしています」
詳しく聞くと人間の足を踏み出した長さを基準にした単位があるようで、ボクの知っている単位に直すとだいたい75センチくらいで1ストラ。1秒2ストラで1時間歩いたら1マーチ、約5400メートルくらいか。
ちなみにメートルという単位を彼女は知らなかった。でも重さはグラムらしい。変なの。
ということは、町まで約240キロ? それならヴァルデスの肉体は時速80キロで走ってたことになる。よく体力が切れなかったなあ。
「直線距離で歩き続けても、普通は1日10マーチ。走ったって体力が続かないので、それより少し長いくらいです。いったいどんな方法で……」
「ふん、気になるのか? なら体感させてやる」
「え? え、いや、ちょ、え! 放して! 降ろしてください!?」
町までそんなに距離があるなら、ユルモを放置したらきっと餓死してしまうだろう。流石にそれは可哀想なので、ここまで来たのと同様に抱えて走ることにした。
「暴れるなよ? 落ちたら死ぬからな。行くぞ!」
「ひっ!? は、はやっいいいぃぃぃぃっ!!」
今回はユルモに意識があったので肩に担ぐのではなく抱きかかえたんだけど、何も食べていないのに途中で吐き出して気を失ってしまった。
そんなに揺らしているつもりはなかったんだけど、きっと酔いやすいタイプなんだろう。
「あーあ。せっかく洗ったのに、またゲロまみれだよ」
◆
走ること数時間。途中何度かユルモのために休憩を入れたが、多少休んだところで彼女の体力は回復しない。
結局最後は無視して町まで走り続け、そのせいでボクもユルモも酷い有様だ。まあボクはカーテンを腰に巻いてるだけだけど。
「おい、着いたぞ」
「う、うぇぷっ……」
着いたと言っても、視界に入る距離まで来ただけだ。流石にこの恰好はちょっとみっともない。ユルモもまだ頭が揺れているようで、地面におろしても立てないでいた。この世界に来たばかりの自分を見ているようで、少し懐かしい。
あのときはどうしたんだったか。記憶を思い起こすと、ナクアルさんから水をもらったような……
「アクアボール。ほら、これを飲め」
「ぇえ? み、水……魔法ですか? ありがとう、ございます……」
出力は小さいが、ヴァルデスでも魔法は使える。アクアボールは分類としては攻撃魔法だが基礎魔法でもあり、発生するのはただの水の玉なので飲むことも可能だ。
ユルモは水分を取ったことで体調が多少良くなったようだ。まだふらつくが立ち上がり、先導しようと前に出る。
「ありがとうございました。おかげで、もう大丈夫です」
「とてもそうは見えんな。まだ休んでいろ」
「い、いえ、お役に立たないと、まだ、食事がまだですから…… 私、この町の、フートゥアのおすすめの場所、知ってるんですよ」
ユルモは無理に笑ってそう言うが、その汚れた服装では門前払いだろう。ボクも服着てないし。
「少し待っていろ。服と金を取ってくる」
「え? あの、それって……?」
何かを言いたそうなユルモを無視し、ボクは来た道を少し戻る。ここに来る途中、幌馬車を見かけていたのだ。
あの馬車はどちらに向かっていたかな。そう考えると、風に混じって細い線のようなものが感じられる。手で掴もうとしても触れられないが、それは確かに見えていた。
「……糸? じゃないな。なんだこれ?」
『それは獣人族特有の能力です。頭部に生えた感覚器によって五感の一部が拡張され、今のエル様は嗅覚で感じた微細な情報を視覚でも認識できています』
1人になった瞬間、すぐにアールが現れてボクの状況を説明してくれた。便利だけど、勝手に出てくるのは少し驚くから起動するまで待っていて欲しい。
『その要望には応えかねます。そもそもエル様が回答を望んだので出現しているため、無意識に起動しているのですよ?』
「ああそう。話を戻すけど、つまり今のボクには臭いが見えてるってこと?」
『はい。試しにあのユルモという女の臭いを意識してみては? 馬車よりもはっきりと確認できるはずです』
言われるがままにユルモのことを思い浮かべる。するとツンとした刺激臭が鼻をついた。
「……これゲロの臭いか……」
自分を覆うほどに視覚化された臭いが纏わりつき、振り返るとユルモまではっきりとその線が見えた。線というより柱のようなサイズ感だけど。
『意識を切り替えることで臭いの選別も可能です。また、臭いから対象を辿ることも可能ですので覚えておくとよろしいかと』
「なるほど。犬の真似事もできるのか。というか、ヴァルデスが犬の獣人なのか」
なんにせよ、これの使い方はもう覚えた。もう一度馬車を思い浮かべ、再び現れた細い線を辿る。見失わないように走り続けること数分。段々と線は太くなり、ついに馬車に追いついた。
「おい、さっきの獣人が戻ってきたぞ? こっちに向かってくる!」
護衛と思われる冒険者風の男の声が聞こえてきた。
「あの足が速い裸のやつか。いったい何のようだ?」
「止まれ! おい、聞こえないのか!? 止まれ!」
見える範囲にいるのは3人だが、馬車の中に2人と御者が1人いるのが臭いでわかった。この感覚器すごい便利だ。
「それ以上近づいたら、攻撃をするぞ!」
「クソ、早すぎる! もういい、やっちまえ!」
ボクが警告を無視したため、冒険者の1人が弓を放った。それが開戦の合図だ。
「当たったか!?」
「嘘だろ? あいつ矢を掴みやがった!」
本当ならこの矢を投げ返してやりたかったんだけど、脆すぎて掴んだだけで折れてしまった。なので作戦変更。真っすぐ行って、ぶっ飛ばす。
「やるぞ! 武器を構えろ!」
「おう! ウインドカッター! ダブル!」
へえ。ただの風魔法じゃなくて、魔法になるほどの高速で振り抜く斬撃か。それだけでも十分すごいのに、2人同時だなんて、もしかしたら結構ランクが上なのかな?
だけどヴァルデスの肉体には薄っすら細い跡がつくだけで、傷どころかダメージにすらなっていない。耐えられるとは思っていたけど、まさかこんなに弱いなんて思っていなかった。
「効いてない!?」
「おい、馬車を全力で走らせろ! こいつは、思った以上に厄介だ!」
「は、はいいいい!」
あ、厄介なのはこっちのセリフだよ。逃げられるのは困っちゃうな。うざい指示を出したから、皆殺し決定だ。
逃げろと言った冒険者に向かって拳を振りかぶる。
「ソニックパンチ」
「なにかするつもりだぞ! すぐにうごげぶべばっ」
「え?」
「……は?」
ソニックパンチはシャドウキャリアーが回収したスキルの1つで、その名の通り音速でパンチを放つ。それだけでも高威力のスキルだが、その真価はその移動速度にあった。
一瞬の超加速。ボク自身でさえ集中していなければ分からなかったほどの速度で距離を詰め、そこから放たれた一撃は、今までと同じように彼の顔面を吹き飛ばす。
残った2人は何が起きたのかわからないようだが、むしろ驚いたのはボクの方だ。
殺すつもりで全力で振り抜いたのに、彼の頭部は半分残っている。廃棄場の兵士たちならきっと粉々になっていたはずだ。
(これが経験値による基礎ステータスアップの恩恵なのかな? 明らかに他の人間よりも硬い)
ただ鍛えただけではここまで頑丈にはならない。警備兵とはいえ訓練は積んでいたはずだ。やはりこの強さの秘密は狩りにあるのだろう。
「う、うわああああっ!」
「お、おい、しっかりしろ! 早く立って、応戦しろよ!?」
残った冒険者たちもようやく状況を理解したのか、もう片方の剣士は破れかぶれに突撃してきて、弓使いの方は死体に向かって無茶なことを言い出した。あれはもうダメだな。
「マックの仇は、俺がとってやる!!」
「へ、おもしれえ。受けて立つぜ?」
せっかくなので剣士に対しては、ボクも剣術で相手をすることにした。と言っても今のボクの装備は下半身を覆うカーテンだけ。なので右手を握って、人差し指を立てて剣にする。
比喩表現ではなくナイフのように鋭い爪は、実際に剣と打ち合っても削れる気配がない。
「ほら? どうした? もっとちゃんと狙えよ。首には届かねえか? 心臓はここだぜ?」
「な、舐めやがってええ! ラマイニール流、剛剣!」
おっと、聞き覚えのある流派だ。そう言えばダンもザンダラの冒険者だったらしいし、流行ってるのかな?
それはそれとして、彼の使う剛剣はなんともお粗末なものだった。魔力を込めた剣技なのは知っていたけど、スキルレベルが低いのか魔力が少ないのか、結局ボクの爪を斬ることすら叶わなかった。
「はぁ、はぁ……! な、なんで、受け止めて……?」
「終わりか? ならその剣借りるぜ!」
「な!? おい、かえ、返せ!」
彼はしっかり握っていたつもりだろうが、刃の部分を握って引っ張れば簡単にすっぽ抜けた。よく見ればその剣は刃こぼれが酷い。これじゃ何にも切れなくて当然だ。
「もちろん返してやるよ。正中線唐竹割り!」
「「あっ……」」
スキルでもなんでもない、ただの縦斬り。だけどヴァルデスの尋常ならざる膂力から振り下ろされたその剣は、彼を真っ二つにしてそのまま地面に突き刺さった。冒険者の2枚おろしの完成だ。
「は? あ? おい、嘘だろ? なあ、なんで、なんでお前、2人になってんだよ……!?」
「お前はもう戦わねえのか?」
「!? こ、降参だ! 金なら出す! こ、こいつらの分も、金の隠し場所を知ってるんだ。それもくれてやる! み、見逃してくれ……!」
弓を放り捨てた彼は必死に命乞いをするが、正直それはもう見飽きた。伏せて祈る彼の頭の上に足を置き、ため息をつく。
「はー、聞き飽きた。命乞いはユルモだけで十分だ」
「……え? ま、待ってくれ! 10万、いや、30万クォーツになるんだぞ? 俺がいなければ、金は……!」
ぐしゃり。
本当に頭蓋骨があるのか疑わしいほど、簡単に潰れて死んだ。
「足が汚れちゃった。まあ、走ってるうちに落ちるでしょ。早く馬車を追わないと」
3人の冒険者を殺したが、狩りはまだ終わらない。
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