2-23 先生の優雅なコーヒーブレイク
これにて2章スラー・ハレルソン編は終了です。
3章もすぐに始まりますので、よろしくお願いします。
◆先生
地上とは違う、かと言って空でも地下でもない、天界、あるいは世界の裏側と呼ばれる、ただただ広いだけの隙間。
そんな世界に建てられた小さな城の一室で、先生と呼ばれた人物、ラゴランディアがコーヒータイムを楽しんでいた。
「このメーカーは芳醇な香りが素晴らしいな。苦味は控えめだが、その分アレンジに使いやすい。もっと買い込んでおくべきだったな」
貼り付けられた胡散臭い笑顔の中性的な顔立ちで、切り揃えられたショートの黒髪に燃えるような赤い釣り目。派手なスーツには古今東西様々な怪物が描かれ、下に着ているシャツは毒々しいマーブル模様。ネクタイ代わりのトラロープで首を飾り、程よく胸があるのに、口から出てくるのは渋い男性の声だ。
彼だか彼女だかがいる部屋も変わっていて、畳の床にガラスのテーブル。本人はゲーミングチェアに座り、傍らに置かれた古書には古い液晶画面が写っている。
その古書のようなモニターに、突然メッセージが表示される。
『今期神決定戦における非公開情報の流出について』
おやまあ。なんとも穏やかではない。だがどの件かと確認してみたら、なんだ大した問題ではないではないか。スキルレベルの経験値システムなど、スキルブックを見ながら魔物狩りでもしていればすぐに分かる。騒ぎ立てるほどの内容ではない。
しかしその情報をリークした人物の名前を見て、思わず口元が笑みに歪む。
「おーい、邪魔するぜ―」
ふと声をかけられる。モニターから視線を外すと、そこには許可を与える前に窓から侵入してきたのはファニルロイがいた。
以前と同じ灰色の髪の女性の姿だが、床につくほど長かったロングヘアは短くカットされている。
服装も前はタンクトップにホットパンツ姿だったが、今は小さめのサロペットだけだ。上着もシャツも着ていないので、少し動くだけで中身がズレて見えそうになる。
「……ファニー、それはズボンで上着と組み合わせて着用するのだと伝えたはずだが?」
「最近わかったんだが、服って着るのめんどくせえんだよ。だけど裸で出歩くと色々うるせえからな。これでも譲歩してやってんだぜ?」
「なら今度はもっとまともな、簡単な服を用意せねばな。ところでその髪はどうしたんだ? もっと長かったように記憶しているが……」
「ああ髪な。邪魔だから切った」
ファニルロイは上機嫌にその場をくるりと回る。
「前は少し動くだけで髪がまとわりついてウザかったんだ。服を着るにも脱ぐにも邪魔でよ。それで切ったんだ。どっかの国の有名らしいやつに切らせたんだぜ? 似合ってるだろ?」
「さて、私の美的センスは人と違うのでね。まあ、悪くないんじゃないか?」
「ふふん。お前も少し弄ったらどうだ? そのぱっつんとした髪型、人形みたいで気味が悪いんだよ」
「断るよ。私はこれが気に入っているんだ。ところで、一体何の用だね? 今日は賭けなどしていないはずだが」
「ああ、それな。こいつだよ。お前のところにも来てんだろ?」
ファニルロイが取り出したのは古いタイプのガラケーだ。しかしその画面は最新の液晶そのもので、表示されているメッセージは『今期神決定戦における非公開情報の流出について』だった。
「今回の転生者にこんな名前のやつは居なかっただろ? これはいったい誰なんだ?」
表示されている名は『スラー・ハレルソン』。顔写真も写っているが、事実として彼はこちらの世界の住人だ。通常の転生者ではない。
「さて、どう説明したものか。知ってのとおり、あちらからこちらに来るパターンは2種類ある。1つは肉体ごと元のまま転移してくる場合。君のところの転移者のように、ある程度システムを知っているものが介入すると転移になる」
「俺や他の神が飼ってるやつらは確かにそうだな。それ以外だと、どこかの勇者召喚だとか、そういうやつか?」
「そうだ。伝承なり伝説なりで異世界の存在を認識していれば、こちらの神以外でも同じことが可能だ。まあ、時期は合わせてもらう必要があるがね」
ニームやその他の国が行った勇者召喚には成功条件がある。それは神が開催する新たなる神の選抜に合わせること。
人間たちはただの勇者だと思っているが、それはすべて神が異世界から連れてきた新たな神候補であり、候補者が確保されていなければ儀式をしても何も召喚されない。
さすがにそこまではっきりと人間たちに伝えては居ないが、もう何度も行っているので人間たちもある程度のサイクルは理解しているようだ。
「そしてもう1つは、別の器をそのまま利用する場合。たいていはこの世界の住人の死者に転移するものだ。候補者の性別、年齢と近く、なるべく無傷な人間が望ましいが、その辺は候補者自信の望みもあるので魔物に転移する場合もある」
「大体はこっちなんだよな。俺は自分好みに育てるのが好きだが、純粋な賭けをしたがる神はあえて野に放す。ランダム性が面白いとかなんとか、お前のエルもこっちだったんだろ? 死んじまって残念だったな!」
実際にはこの世界に来たときのエルは、ラゴランディアが彼の本来の姿であろう成長予測から作り出したホムンクルスだった。
しかしかなり精巧に作成したので、エル本人すらその事実には気がついていない。
「ここまでで理解したと思うが、スラー・ハレルソンは後者の、この世界の肉体に転移した候補者だったというわけだ」
「なるほどな。だけどこんなおっさんの候補者が居たとは、俺も知らなかったぜ」
「こちらに表示される名前と候補者の名前は、必ずしも一致するわけではない。ここの表示は、あくまで候補者が自分で名乗っていた名前だ。まさかそんなことのために、わざわざ私のもとに来たのかね?」
「まあそんなとこだが、ここに来るとだいたい新しいものがあるからな。お、なんだこの粉は? 食わせろよ」
ファニルロイの本来の目的は、高頻度で異世界に出入りするラゴランディアが持ち帰ってくる異世界の品だ。
今も瓶詰めの茶色い粉を見つけて、そのまま口に流し込む。
「あ、こら。それはインスタントコーヒーと言って、お湯に溶かして楽しむ……遅かったか」
「うごぇっ!! ゴホッゴホッ……! 何だごれは! 酷い味だ! くいもんじゃねえなら先に言えよ! そっちも飲ませろ!」
人の話を聞かないファニルロイは、コーヒーの粉をすべて咳とともに吐き出し、代わりにラゴランディアのカフェラテを一気飲みした。
「おおっ! こいつは美味いな! 牛の乳なのに、程よい甘さ! 独特な香りもクセになる! おい、これ俺にも作ってくれよ!」
カフェラテを大絶賛するファニルロイだが、ラゴランディアは冷めた目でそれを見つめる。
「なんだ? 礼ならするぞ?」
「どうせガラクタか生贄の人間だろう? そんなものはいらん。そうではなくてだな、すぐには作れんのだよ」
「ああ? いつも多めに持ってくるくせに、今日だけ俺の分はなしか? ケチくせえな」
「それも違う。多めとまではいかないが、つい先程まで数週間は楽しめるだけの分があった。いいか、よく聞け。お前がさっき飲んで吹き出した、その床に散らばる粉が、そのカフェラテの材料なのだよ」
「は? こんなクソ苦いだけの粉が、こっちのうまい飲み物の材料だと?」
ラゴランディアが呆れ混じりにそう言うと、ファイルロイは床に散らばった粉を拾い、恐る恐る舐めた。
「……なんとなく、なんとなくだが、臭いは近い感じがするな」
「わかっただろう? お前が粉をダメにしたから、すぐには作れないのだよ」
「うーん。そうだ、牛の乳ならまだあるだろ?」
「あるにはあるが、お前はそれほど好きではなかっただろう?」
何かを閃いたファニルロイのカップに牛乳を注いでやると、もう一度指についた粉を舐めてから牛乳を一口飲む。
「うん、まあ。これでいいや。俺が飲んで俺が吐いたんだから、この粉は俺のものでいいんだよな?」
「何を言っている? 何もよくないぞ? こら、そこに這いつくばるんじゃない。私はお前の唾液まみれの部屋など、あああああ!?」
「うん、悪くないな。この床も干し草みたいでクセになる」
ファニルロイは畳の床に這いつくばって、吐き出したインスタントコーヒーの粉を舐めては牛乳で喉を潤す。サロペットだけで、下着もつけていない女性が床を舐めるという倒錯的な状況。
しかしその中身は後先を考えない邪竜であり、その唾液は強酸であり猛毒だ。
じゅるじゅると床を舐める舌の水音。ブスブスと焼け焦げるような畳の匂い。
見つめる窓の先には、青い青い空が広がっていた。
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