2-19 はじめての変身
◆エル
結論から言うと、ヴィクトリアさんに新しいスキルを与えることは可能だった。
「へえ、アールの中身ってこんなのが書かれていたの。うわ、これどこかの部族の秘術よ? 詳細まで書いてあるし、もう存在しない職業まであるのね」
「いつまでスキルブックを見てるのさ。いい加減スキルをとって欲しいんだけど?」
ヴィクトリアさんが獲得できるスキルは、ボクが許可を出したものだけ。獲得に必要な条件はチェックされるけど、ヴィクトリアさんは余裕で満たしていた。
なのでさっさとスキルを獲得し、実際どうなるのか確認したいんだけど、その過程でスキルブックを見せたのが仇になってしまった。
閲覧許可を絞らなかったせいで、彼女は獲得を許可したスキル意外のページも読み進めている。
「こんなに素晴らしいもの、チートって言ったかしら? とにかくこれは本当に凄いものなのよ? ダンジョンで手に入る魔導書なんて、この本の前ではただのインクのシミね」
『流石にそれは言い過ぎかと。ダンジョン内に設置されているアイテムは、スキルブックの1ページを抜き出したもの。それを少々大仰に書いたものです。分かりにくく煩雑になっていますが、きちんと読み解けばスキルや職業が獲得できるのです』
「ふーん。やけに詳しいじゃない?」
『ええまあ。制作者は同じですから』
なにか今さらっと世界の真実を話した気がするけど、それに追求するとアールは答えてくれないので触れないでおく。
それはともかく、スキルブックがないとボクの研究も進められない。ボクはいい加減イライラしてきた。どうもボクは、自分の自由が失われていくのが我慢できなくなっているようだ。
「ねえ。はやくスキルを取ってくれない? ボクも試したいことがあるんだよ」
「まあまあ。もう少しくらいいいじゃない」
「よくないよ。仕方ない、命令だ。ヴィクトリアさんは早く許可したスキルを取って」
「え、何を言って…… かひゅっ……!?」
ボクは自分の自由を侵害されるのを許せないから、なるべく他人の自由も拘束したくない。だけど言うことを聞いてくれないなら、それはもう仕方がないよね。
魂の契約によって身体の制御を奪われたヴィクトリアさんは、スキルブックのページを戻していく。強制的に身体を操作されているせいで、大分苦しそうだ。
「スキル『メタモーフ』を獲得します」
「うん、よろしく。あ、スキルブックは返してね。もう貸さないから」
スキルを獲得したからと言って、すぐになにか変化が起きるわけではない。だけど強制的に操られていたヴィクトリアさんはすぐに意識が戻り、すぐにボクの肩に掴みかかった。
「エル、あなた私に何をしたの!?」
「痛いなあ。何もしてないよ。スキルを取らないでいたから、代わりにボクが取らせてあげただけ。ついでにスキルブックも返してもらったよ」
「……それだけ?」
「うん、それだけ」
「……私が悪かったわ。でももう二度とあんな事しないでちょうだい」
「命令しないと約束をしてほしければ、ボクの言うことはちゃんと聞いてよね」
ヴィクトリアさんは少し渋ったが、それでもなんとか頷いてくれた。でもそもそもヴィクトリアさんが悪いんだよ? 貸してあげてるだけなのに、勝手にスキルブックを読んじゃうし、返してって言っても適当にあしらうし。普通の人なら殺されていてもおかしくないんだからね。
ちなみに操られているときのヴィクトリアさんは、呼吸ができないような息苦しさと、身体がばらばらになって溶けていくような喪失感があったらしい。
「でもなんでそんなにスキルを取るのを嫌がっていたのさ。きちんと言ってくれれば、ボクだってあと3分くらいは待ってあげたよ?」
「……なんていうか、心の準備が必要だったのよ……」
ボクが彼女に取らせたスキル『メタモーフ』は、簡単に言ってしまえばただの変身魔法だ。
ただし結構特殊な魔法で、なんと分類は空間魔法。普通に獲得するにはいくつもの条件が必要になる、大魔法の領域にあるスキルだ。
理屈としてはまず変身したいもの、つまり自分の変身後の外側を魔力によって作り出す。これだけならただの風船魔法だ。しかし自分より大きな物を作り出すなら水魔法でも土魔法でも同じことができるけど、この魔法には外見のサイズに制限がない。つまりどれだけ小さなものにでも変身が可能なのだ。
他の属性の変身魔法なら外見が自分よりも大きいので、中に入るのは容易い。しかし小さなものには普通は入れない。光魔法によって錯覚させるものもあるけど、それは変身とは言わない。
そこがこのメタモーフが空間魔法に分類されている理由だ。変身後の小さな身体の中にピッタリと合うような空間を作り出すことで、問題を解決するというわけだ。
順番に解決するだけならシャドウポケットでも似たようなことができそうだけど、このスキルは全て同時に発動するため変身にラグがない。
そして空間魔法ゆえの強みがある。
例えば小さな隙間に入っているときに変身が解けてしまった場合、普通に考えればその場に中身が無理やり放出されて圧死してしまう。
だがこの魔法はその問題にも多少のフォローがあり、このメタモーフは分類としては防御魔法になっている。つまり外見はどれだけ小さくても魔法の鎧なので、そもそも壊れにくい。
更にその鎧が壊れたときには、内包された魔力の侵食によって周囲の空間を削り取る。これは現代における爆発反応装甲のようなもので、最低限の空間は保たれるのだ。
まあ、魔力を吸収されたり、魔法を無効化するような魔導具があればこの限りではないんだけど。
とまあスキルについてはこのような、現代ではよくある感じのものなんだけど、一体何に心の準備が必要だったんだろう。
「ボクは別に虫になれとか、そういうことのために取らせたわけじゃないよ? それとも空間魔法自体がなんらかの禁忌に触れるとか?」
「そうじゃないわ。……エル。あなたがこのスキルを取らせた理由は、私が人の姿を取り戻せるように、でしょう?」
なんだ、わかってるじゃないか。
もちろんそれだけではない。悪の怪人は一般人風に成りすましていることも多いし、戦闘員が民間人に化けていることもある。
このスキルはむしろ戦闘員の外見を作るのに利用できないかと考え、その時たまたまヴィクトリアさんのことを思い出しただけだ。
毎朝鏡で緑色になっている顔を見て、靴を履こうとしてもこの蔦の触手を見て泣きそうになっているの。
根本的な解決にはなっていなくても、それでもヴィクトリアさんが気に入ってくれればとは思っていた。
まあ、いつまでも取らないせいで強制的に獲得させたから、たぶん今の心象は最悪だろうけど。
「……感謝してるわ。あなたでもそんなふうに気が使えるというのも、嬉しく思ってる。でも、怖いのよ。このスキルで手に入れた外見は、所詮偽りの私。自分で自分を偽って、それを受け止められるのかって。ある朝突然元に戻っていて、また不安になるんじゃないかって」
それは、ボクにはよくわからない悩みだった。なりたい自分に何度でもなれるなら、何度でもやり直せばいいだけじゃないか。
「せっかく貰ったスキルだけど、私にはまだ使えない。ごめんなさいね」
「それって、そんなに気を使うことなのかな。変身なんて、化粧と一緒じゃないの?」
「……え?」
「ボクはしたことないけどさ。毎日ボクの面倒を見てくれていた看護婦さんたちは、色々なメイクをしているって言ってたよ。何時間もかけて、マスクをしてるから誰にも顔を見せないのに、汗をかく度に落ちちゃうから大変って愚痴りながらさ。なんでそんなことをしているのか聞いたら、そうしないと自信がないからなんだって。化粧なんてなくても十分美人だと思ったけど、彼女たちはそれで満足できないでいた。それってつまり素の自分が嫌いってことに似てるんじゃないかな」
化粧の理由がそれだけではないのはわかっている。身だしなみのため、スキンケアのため、マウントのため、仕事の後に会う人がいるため。
でもそれらの何処かには、やはり素の顔に対する悩みが関わっている。
ヴィクトリアさんの問題を、化粧と同列に扱うべきではないのかも知れない。
だけどそれの何がどう違うのか、ボクにはわからない。
「偽りかどうかは知らないけど、変身後の姿を思い描くのは結局のところヴィクトリアさん自信なわけだし、気に入らなければまた変身しちゃえばいいじゃない。もとに戻っていたら、またその姿に変身すればいいじゃない」
「……簡単に言ってくれるわね」
「実際簡単に手に入ったからね。素の自分が嫌いなら、素の自分を好きになる努力ができないなら、どのみち逃げるしかないんだよ」
それに、逃げる選択肢があるだけマシじゃないか。ボクはこの世界に来るまで、選択肢自体がなかったんだから。
「変身しないのも1つの選択肢だから、それはそれでいいんじゃないかな。逃げることから逃げる、それもありだと思うよ。何も解決しないけど」
「気が使えるって言ったけど、訂正ね。やっぱりあなたには人の心がないわ」
心なんて、ステータス画面にないパラメーターのことは知らない。
何度も心臓の手術をしたけど、何度も脳の手術をしたけど、心なんてものは入ってなかった。やっぱり脳内物質のエラーとバグだよ。
「……なんで私だけこんなに思い詰めているのか、あなたと話しているとわからなくなってくるわね。…………ひとつ、約束してくれる?」
「内容次第だけど」
「普通は素直に頷くものよ。……私は今から死ぬ前の、世界樹の実と混ざる前の私になるわ。取り戻したいわけじゃない、って言うと嘘になるけど、その姿を見て、嘘偽りない、素直な感想を聞かせてほしいの。あなたは今の私も少なからず好きでいるみたいだし、その差を教えてほしいの」
「うん、いいよ」
「そこは少しは悩みなさいよ」
そんな無茶な。直前にはすぐに肯定しろって言ってたじゃないか。
ヴィクトリアさんは緊張した面持ちでボクの前に立ち、何度か深呼吸をしてからスキル『メタモーフ』を発動した。
空間魔法の具現により背景が混ざり、ヴィクトリアさんがその場から消える。しかしそれはほんの一瞬のことで、もとに戻ったその場には、ヴィクトリアさんに似たきれいなお姉さんが立っていた。
つる草の触手と同じ色だった髪は薄金のセミロングへ、黄色だった目は透き通る蒼に。凛とした立ち姿はヴィクトリアさんそのものだが、つる草の触手ではなく陶磁器のように白い肌の、両脚があった。
「……どう、かしら? なにか変じゃない?」
「いいや、変なところなんてないよ。とてもきれいだ」
「あ、ありがとう。でもそういうのじゃなくて……さっきまでとの違いを教えてほしいのよ」
「そうだね。ああ、1つすごく気になることがあるんだけど」
「っ! えっと、それはなにかしら?」
変身したヴィクトリアさんは緊張したように固まるが、もしかして気がついていないのか?
「あの、とてもいいにくいんだけど」
「なに? 心の準備はできてるから、はっきり言って?」
「うーん、じゃあ言うけど。なんで服を着てないの?」
「……は? え? は? ……いやあああぁぁぁっ!!」
どうやら本当に気がついていなかったようで、ボクの言葉に視線を落とし、近くにあった鏡で再度確認し、自分の身体に手を触れて、ボクを殴り飛ばした。
意識を失う前に、1つ新しい発見があった。
それは、変身していても攻撃力は変わらないということだ。
◆
スラーになってから、というよりヴィクトリアさんと関わってから、気を失うことが多い。
そのせいなのか、本体の意識がないときでも、魂だけでも知覚できるものがあると知った。
それはボクの魂の破片の繋がりだ。
すぐ近くにいるのは、たぶんヴィクトリアさんのものだ。他人の魂がはっきりと分かるわけではないが、なんとなく女性のような、花のような輪郭に見える。そこからボクへと続く、黒く捻れた紐のような繋がり。きっとこれが契約なのだろう。
ボクに繋がっている紐は、もう1本あった。それは少し離れたところにいて、必死に腕を振り回していた。
真っ黒だったけど、ボクはその姿に見覚えがある。あれはエルだ。エルだったときのボクの姿だ。
――何をしているの?
声は出ないけれど、繋がりがあるからその質問はエルに届いていた。
彼は驚いたようにこちらに振り返り、しかしすぐに元々向いていた方向に向き直る。
――愚かな主の命令をこなしているんですよ、マスター。
真っ黒なエルは怒っているように、でも少しだけ楽しそうにそう答えた。
――この世界は存外広い。マスターの命令に従い、何人もの冒険者を訓練し、その魂を喰らいました。そのせいで、自分が強いのだと誤解していました。ですが、今目の前に現れた4人はとても強い。自分の訓練だけで精一杯です。新しい学びだけで、自分の中が満たされている。
真っ黒なエルは、シャドウキャリアーだった。彼が振り回す腕はシャドウレギオンで、時間が断つごとに動きが少なくなっていく。
――もう勝てそうかな?
ボクの質問に、真っ黒なエルは呆れて笑う。
――ハハ、まさか。シャドウレギオンは全滅です。魔力ももうない。完全に負けました。
――そうなんだ。でも安心したよ。悪役は負けないといけないからね。勝ち続けていたから、少し不安だったんだ。
――そのせいで死んでいく哀れなゴーレムを、マスターはなんとも思わないんですか?
黒いエルはそんな事を言うけれど、何を言っているのか分からなかった。
悪いことをしたら死ぬ。人を殺したんだから、その罰を受けるために死ぬ。当たり前のことじゃないか。
――お前が命令をしたのに? お前は生きて、私だけ死ねと?
真っ黒なエルは怒っているようだ。でもその感情が伝わってきたことで、少しだけ理解した。彼は自分だけが死ぬのが許せないようだ。
でもそれは全く間違っている。悪いことをしたのは、ボクも一緒だ。
――ボクは悪役だからさ。悪を成すために君を作った。悪を成すために戦闘員を作った。本当はもう少し先の予定だったけど、人もいっぱい殺した。誰が悪いかと言えば、もちろんボクだ。だから安心して欲しい。ボクも死ぬよ? スラーは弱いから、きっと地味な死に方をする。
――安全圏から人を襲うためのゴーレムではなかったのですか?
――いいや? 本当は一緒に街へ出て、暴れる様子を見る予定だったんだ。その首謀者は真ん中にいるただの研究者。そのうちに弓矢なんかで狙撃されて、地味に幕を閉じる。そういう予定だったんだ。
楽しそうにボクの予定を教えるが、彼には理解できないらしい。言葉はなくとも、不信感が伝わってくる。
――全く理解できません。それじゃあまるで、死にに行くようなものではありませんか。
――そうだよ。戦闘員が完成したら、それを見せびらかせに、死にに行く予定だったんだ。悪役は、悪を成して、正義の為に死んでいく。それがボクの目的だよ。もう既に戦闘員の研究は完了している。君のお陰でぐっと進んだ。だからもう満足なんだ。スラーの人工精霊という夢も、やっぱり君のお陰で叶ったし。あとは死ぬだけさ。アンネムニカに栄光あれ、ってね。
――そう、ですか。どうやら私が間違っていたようです。どのみち消える運命だったただの魔法。ここは潔く散るとしましょう。
最期に彼が何を考えていたのかは分からなかった。真っ黒なエルと繋がっていた紐が、崩れて消えていく。
――おめでとう。シャドウキャリアー。立派な最期だったよ。
彼だったものがボクの魂に吸収される。彼の得た情報が、ボクに流れ込んでくる。
……ふは。これ便利だな。もっと積極的に使っていこう。
ありがとう、シャドウキャリアー。君の犠牲は無駄にしない。
勇者ツルギ、か。アレはきっと、今回のボクを殺すのにふさわしい正義の味方だ。
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