2-16 迫る闇
エル以外の人視点です。少し残酷な描写があります。
◆ザール
「っ……はぁ、はぁ……! ギルマスを、ギルドマスターを呼んでくれ……!」
息を切らしながら冒険者ギルドに転がり込むザール。昼過ぎのこの時間帯にいる冒険者は少なかったが、それでも知り合いの何人かが駆け寄って彼に肩を貸す。
「おい大丈夫か? 見たところ怪我はないようだが、何をそんなに焦っている?」
「す、すまない……はぁ、スラーだ。森の奥の、ハレルソンの恥晒し、スラーがやりやがった!」
「スラー? 森の奥って言うと、精霊狂いのか?」
この町はハレルソンの森に隣接するため、余程若くなければ誰もが領主の私有地だと知っている。そしてそこに住んでいるのが、領主から見放された精霊研究者だということも。
しかしだからと言って、ザールがなぜそこまで必死なのかは分からなかった。
「やりやがったって言うと、あれか? 精霊でも見たのか?」
「……そうだ! いや、精霊だと言っていたが、あれはそんなもんじゃねえ!」
「なわけあるかよ。昔あの屋敷から戻ってきた魔法使いに聞いたが、あいつ影だの闇だのの禁術にも手を出したんだろ? おおかた死霊種でも呼んだんじゃないか?」
「魔力でできてあっちが透けたら何でも精霊かよ。それなら俺だって精霊を見たぜ? アクアスライムっていうんだけどよ」
「ギャハハハ」
彼らはザールの言う事をそれほど信じていなかった。彼らにとってザールは、昔は中堅の冒険者として一目置かれていたが、今では新人を相手に偉そうなことを言うだけの酒飲みだという認識しかない。
「おい、マジメに聞け! スラーは悪魔を召喚したんだ! そいつは女だったが、肌が緑で、下半身は蔓草の絡まったような植物の悪魔だった! そしてスラー本人も影魔法を使って、俺に影法師をけしかけてきたんだ!」
「……悪魔? 本当にか?」
「というか、そもそもなんでそんな奥の屋敷まで行っていたんだ?」
「それは、依頼を受けていたからだ。ともかくあいつは悪魔だった! もし町に来るようなことがあれば、最低でもBランクの冒険者が必要になる」
ザールが冒険者を辞めた理由は誰もが知っている。それは彼のパーティがある冒険の途中で、悪魔によって全滅したからだ。
危機察知能力に関するスキルを持っていた彼だけは生き残ることができたが、そのときに受けた後遺症で魔力の扱いが上手くできない。だから冒険者を辞めたのだ。
しかし誰もがそれを信じているわけではなかった。
なにせ証人は彼しかいない。最初は裏切りではないかと疑われたが、彼が冒険者を辞め、それでも新人教育に携わっていることから、なんとか信頼を得ているに過ぎない。
そんな彼がまた悪魔を見たと騒いでいる。それは果てして真か偽か。この場にいる者だけでは、ギルド職員も含めて判断がつかなかった。
「何を騒いでいる」
そんなやり取りをしている間に、ギルド職員はギルドマスターを呼びに行ってくれていたらしい。
しかし現れたのは王都から送られてきた管理職のサブマスターのノーマンだった。未だ現役の冒険者たるギルドマスターと違い、でっぷりと太った彼に戦闘能力はない。
ザールが期待していたのはこの町の最高戦力であって、融通の聞かない権力者ではない。そんな気も知らずに、ノーマンは面倒くさそうに口を開いた。
「ギルマスなら今はいない。朝早くに出ていったぞ。話があるなら私が聞こう」
王都貴族の出であるノーマンは、田舎であるハレルソンとそこに住む住人を見下している。王都での失敗から左遷されてここにいるため、特に冒険者を嫌っている。
そんなやつが俺の話を聞くだろうか。ザールは若干諦めながらも、自分が見てきたことを話す。
「……俺は昨日、新人冒険者がギルドに顔を出さないと相談を受けた。それで正式な依頼として、その冒険者に接触した。これが依頼書だ。そいつは今森の奥の屋敷に住んでると言い出し、話をしているうちに屋敷まで着いていった。そこはあのハレルソンの別荘だった」
「ハレルソンの別荘? 無断で住み着いたのか。新人とはいえ、やはり冒険者とはネズミのような連中だな」
どうやらノーマンはハレルソンの別荘の話を知らないらしい。冒険者嫌いで知り合いも少ない王都の人間なら、噂話も耳にしないのだろう。
ザールはそう納得し、屋敷についても話した。
「ハレルソンの別荘は、今は勘当された領主の息子スラーが1人で住んでいる屋敷だ。そいつは精霊の研究をしていたんだが、もう何年も前に仲間たちからも見放されて以来ずっと1人だった。だが……どんな理由があったのか知らないが、依頼されていた新人冒険者はそいつの小間使いをしていたんだ」
「……それで?」
「スラーは禁術に手を出していた。そしてそれは成功していたんだ……! あいつは既に悪魔を召喚し、影魔法も扱えるようになっていた! やつは俺を見るなり小間使いの冒険者ごと攻撃してきやがった! なんとか逃げ出してここまで来れたが、その間ずっと影法師に追われていたんだ!」
いつもは騒がしい冒険者たちも、めんどくさいサブマスターへの報告とあって今は黙って聞いていた。
だがそのうちの1人が周囲をキョロキョロと確認し、外まで見に行ったところで戻ってきた。
「……んで? その影法師ってのはどこにいるんだ?」
「影の群れは、ずっと追いかけてきていたが……そう言えば森の途中でDランクの冒険者たちに出会った。逃げるように言ったんだが、もしかしたらそこで戦ってるのかも知れねえ……!」
ザールは必死だったため忘れていたが、逃げる最中に別パーティへ影の群れを当ててしまっている。注意喚起はしたが、これは重大な規約違反だ。
「……すまねえ! 逃げるのに夢中で、俺はあいつらになんてことを……!」
しかし黙って聞いていたノーマンからその件についての叱責はなかった。
「話はそれだけか? 悪魔とは穏やかではないが、別の冒険者たちが既に対応しているなら、その影法師はもう平気なのだろう? 無事逃げられてよかったではないか」
ノーマンは仮にも王都出身であるため、悪魔や影法師に関する知識だけはある。しかしその脅威までは理解していなかった。
話は終わりとばかりにノーマンは踵を返し、ザールはその肩に手をかける。
「おい、待ってくれ! 影法師を無造作に召喚できる魔法使いだぞ!? 悪魔召喚なんて禁術を犯してる人間を放置するつもりか!? すぐに討伐隊を組まないと、大変なことになるぞ!?」
「汚い手でさわるな。いいか? そもそも禁術の取り締まりはウチではなく政府の管轄だ。仮にその話が事実でも、すぐに我々が動かなければならない理由にはならん」
「新人冒険者がその場に囚われているとしてもか!?」
「規約を読め。自己責任だ! 誰に仕えるかまで強制するギルドではない」
取り付く島もないノーマンはそのままカウンターの裏に消えていく。確かに彼の言い分は間違っていないが、こんな田舎の領兵で対応できる相手なんてたかが知れている。
実際にこの目で見たからこそわかるが、ただの兵士にあの悪魔の攻撃速度は対応できない。
「なあ。今更だけど、影法師ってなんだ?」
「死霊系に分類される魔物だ。汚れた魔力が実体化したものらしいが、この辺には出てこない。あまり強くないって噂だが……」
「なんでえ。おっさんそんなのにビビってたのかよ?」
サブマスターが消えたことで、自然と騒がしくなりはじめる冒険者たち。
彼らもまた理解していなかった。影法師とは魔力だけの実体を持つ存在全般を指し、その強さはピンキリだ。
ザールに放たれた影法師は、確かに攻撃の威力はなかった。だがそれでも彼の本能が警告を発し続けている。あれは強い弱いとかではない、もっと凶悪ななにかだ。
「……ギルマスはどこへ行ったか、話は聞いているか?」
残っている冒険者たちからも緊張感が感じられない。ザールはノーマンを呼びに行った職員に、改めてギルマスの行方を確認した。
「えーっと、シフジンさんなら挨拶へ行くと出ていきました」
「挨拶? ギルマスがわざわざ、いったいどこまで?」
「たぶんなんですけど、言っていいのかな…… 止められてないんだけど……」
「いいから答えてくれ! 何かあったら俺が脅したことにしていい。時間がないかも知れないんだ!」
困ったように口ごもる職員に、ザールは頭を下げる。
「あ、頭を上げてください。私も本当にそうかはわからないんです。だから憶測なんですけど、昨日隣町の、ハレルソン南の冒険者ギルドから連絡があって、大声だから聞こえてきちゃったんですけど……」
「盗み聞きに関しては黙っておく。ギルマスの声がでかいのはいつものことだ。それで?」
言いづらそうだったのはそれが理由か。今更それを気にするような人ではないからと、ザールは続きを促した。
そしてその答えを聞いたとき、一筋の光が見えた気がした。
「ええっと、あくまで聞こえてきただけですからね? ギルマスは大声で、勇者がいるだと、って、そう驚いたように叫んでいたんです」
◆シャドウキャリアー
森の中で出会った6体の人間では、シャドウキャリアー自身を構成する魔力の1割程度にしかならなかった。何体かの魔物も確認したが、シャドウレギオンを使用して狩るほどの魔力は持っていない。
現在の魔力は4割ほど。焦りこそないが、その魔法は飢えていた。
(この森には価値ある命が少ない)
ずるずると地に沿って滑る、影よりもなお昏い闇の魔法。シャドウキャリアーと名付けられた人工精霊に目はないが、魔力節約のために1体だけ展開されているシャドウレギオンがその役割を果たしている。
群体にして個という異質な存在だからこそ可能な役割分担。
シャドウレギオンはキャリアーにとっての目であり耳であり、武器であり、そして囮だ。
「おい、何だあれ?」
「……人? いや、魔物か?」
声が聞こえた。シャドウキャリアーはその場にゆっくりと広がり、シャドウレギオンは声に向かって戦闘態勢を取る。
全部で2人。いや、木の上にもう1人。武器を構えているが、あれはなんだろうか。
「おい、何者だ! 返事をしなければ攻撃するぞ!」
彼らは影に向かって誰何するが、無駄だ。なにせシャドウレギオンに口はない。そしてその声に反応したシャドウレギオンは、エルの命令に従って走り出す。
「うわ、こっちに来やがった!」
「人じゃねえぞ! やっちまえ!」
走るシャドウレギオンは、かつてカルソーにそうしたように飛び蹴りを放つが、木の上からの攻撃によって先頭の1人に攻撃を当てる前に消えてしまう。
「よくやった。上の弓には気が付かなかったみたいだな」
「あんな速度なら、何体現れても余裕よ。それにしても一撃で消えちゃうなんて、何だったのかしら?」
「新種の魔物か?」
なるほど、有利な位置から攻撃する道具か。それはいいな。
シャドウキャリアはすぐに複数のシャドウレギオンを展開し、戦闘を続行する。
今度は飛び道具に意識を割くため、1体を別行動とさせての狩りだ。
「影の、玉?」
「!? 復活、いや、増えやがったぞ!」
想像主たるエルの命令は訓練だ。しかしそれはなにもカルソーのためだけのものではない。シャドウキャリア、並びにシャドウレギオンの訓練も含まれていた。
エルは確かにシャドウレギオンに殺すなと命令をしていた。訓練でカルソーを殺してしまっては元も子もないからだ。
だがシャドウキャリアーには? 愚かな主は闇魔法をただの魔法だと思いこんでいた。魂を捧げた魔法というものが、いったいどういうものなのか、まるで理解していなかった。
(私にも魂があり、生存本能はあるのですよ。マスター)
死ぬことが確定している命令に従うつもりはない。闇魔法が禁術とされているのは、使用者本人にも制御ができない危険性を孕んでいるからだ。
「数は多いが、弱いぞ! 一発で倒せるし、攻撃を受けても痛くねえ!」
「ちょっと! あんまり動くとこっちから攻撃できないじゃない!」
「大丈夫だ! 弓の援護はいらない! 俺達が守るから、そこでじっとしていてくれ!」
冒険者たちはまるで自分たちが強者であるかのようにシャドウレギオンを打ち払っていくが、そのそもそれはシャドウキャリアーどころか、シャドウレギオンの本体ですらない。
シャドウレギオンのコアは、シャドウキャリアーによって強化されたうえで、シャドウキャリアーの中に展開されている。
攻撃を受けて消えているのは、シャドウアフターによる再現攻撃に過ぎない。
最初から無傷なのだ。シャドウキャリアーはただただ魔力消費が激しいだけで、エルよって作られた瞬間から、今の今までなんのダメージも受けていない。
ではなぜ無抵抗に攻撃を受けて、無駄に魔力を消費しているのか。
それはエルの最初の命令、訓練が足を引っ張っているからである。そのためシャドウキャリアー自体が獲物の行動を学習しない限り、狩りには移れない。
だがそれもすぐに終わる。彼らは先に戦った6人ほど、動きが良くなかった。
(……もういいか)
「うらあ! 消え、あれ?」
剣士の1人が放った縦斬りは、先程まではそれこそ霞を切るように影を打ち払っていた。
しかしその剣が突如として影に掴まれる。
「おい、なにやってんだ!?」
「わ、わからない! 突然掴まげべっ……!?」
拘束されたらすぐに退避する。そんな基本的な行動すら、簡単に倒せるという全能感の前には消え去ってしまっていた。
横から繰り出される別の影の飛び蹴りによって首を折られ、残った身体も剣を掴んでいる影に上から殴られて地に伏せる。
その足元にあるのは、影よりも濃い闇の沼。倒れた剣士はそのまま闇に飲まれていく。
「うわああああああ!!」
「い、いやああああああぁぁーー!!」
仲間が殺されたことで残った2人はパニックになり、もう1人の剣士は闇雲に武器を振り回してその場から離れようとする。
しかし木の上にいた弓使いは気づいてしまった。死んだ仲間を飲み込んだ闇は、視界の端まで広がっていることに。
「や、やめろ! いやだ、し、死にたくな、あぐぁ!」
逃げる剣士は闇から現れた手に掴まれその場に転倒。あとを追いかけてきたシャドウレギオンに背骨を踏み砕かれて絶命し、闇に沈む。
「あ、ああ、あああああああ……!?」
ただ1人取り残されてしまった弓使いは、しかし攻撃されることはなかった。シャドウレギオンたちはしばらく弓を眺めていたが、やがて興味を失い去っていく。
「……な、なんで……? どうして私だけ……?」
闇が消えていった森に、2人の死体は残っていなかった。弓使いの少女はただただ咽び泣きながら、なぜ自分だけ生き残ったのか自問自答する。
しかしその問いに答えるものは誰も居ない。
彼女が生き残った理由。それはシャドウキャリアーが弓での戦い方を知らなかったことにある。
彼女にはまだ使用可能な弓があり、矢も十分に残っていた。もしそれらを使い切っていたなら、彼女も仲間たちと同じように殺されて魂を分解されていただろう。
奇しくも乱戦になってしまったため、彼女自身の経験不足によって生かされていたのだった。
それを弓使いの彼女が知ることは、永遠にない。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
よろしければブックマーク、いいね、ご意見、ご感想、高評価よろしくお願いします。