2-14 ほころび
少し時間が戻りフェル視点になります。
◆フェル
「それじゃ、早速料理をしてもらいましょうか」
カルソーとともに森の中の屋敷に拉致された冒険者フェル。彼女が植物の悪魔、ヴィクトリアに連れてこられたのは大きな厨房だった。
長年使われていなかったのか設備はガタガタで、金物は錆びている。最低限片付けだけはされていたが、ここで何を作らされるのか、不安しかなかった。
「あの、えっと……何からすれば……」
「材料はアナウサギとハーブ類、それから裏の庭に生えてた根菜類が少し。時期じゃないけどまあ食べられるわ。調味料はしっかり保管されてたから塩や砂糖の基本的な調整は可能。さて、あなたなら何を作る?」
「えと……」
ヴィクトリアは楽しそうに食材を並べるが、フェル自身もそれほど料理が得意というわけではない。カルソーよりはマシだからという理由でここにいる。
「料理は時間管理が重要なのよ。黙っていても、素材が悪くなるだけ。さあ、早く答えて? 私はあなたの美味しい料理が食べたいの」
「そ、それなら……スープを……」
「ああ、それはいいわね! じゃあ早速作ってちょうだい? 不味かったら、あなたでスープを作るから……そうならないことを祈るわ?」
そう言われても、フェルは緊張で何から手を付ければいいのか分からなかった。
ヴィクトリアは厨房の入り口を塞ぐように立ち、様子を眺めているだけでそれ以上の口出しはしない。無言の圧がフェルに重く伸し掛かっていた。
フェルはまず、落ち着きを取り戻すために鍋に水を入れる。少し小さめの鍋だが、それ以外は錆が浮いていて使えそうにない。
水は厨房内にある井戸から汲んだものだ。かなり冷たくて、頭を冷静にさせてくれる。
まずはこの水を沸騰させる。見た目はきれいでも生水には何があるかわからない。沸騰させずに飲水にろ過する魔導具もあるそうだが、使ったことがなかったし、どのみち煮るのだから同じことだ。
幸いというか、厨房に設置されていた魔導焜炉は、冒険者になる前に使用したことがあった。魔石はないが今回調理するだけなら自身の魔力でも起動できる。
これでスープに関しては最低限の準備ができた。次は具材だ。
だがここで問題が発生する。
「あの、どのナイフを使えば……?」
厨房内のキッチンナイフはすべてボロボロに錆びていて使用可能なものがない。テーブルナイフは素材が違うのか使用できるものもあったが、そちらはそちらで切れ味がない。
「冒険者なら自分のナイフがあるでしょう? 見せてみなさい」
「……はい」
ヴィクトリアに言われて、腰に指していた短刀を取り出す。確かに魔物を解体するのに使用するものだが、キッチンナイフほどの切れ味はない。
「んー、新人なら仕方ないのかしら? でも魔法使いだからって近接装備をおざなりにしてはダメよ? いくら遠距離戦闘に優れても、懐に入られたら自分で戦うしかない。そんなときの最終手段がこのナイフよ。最後のお守りなんだから、もっといいものを使いなさい」
「な、なんで魔法使いだってわかるんですか?」
丁寧にナイフを返されるが、フェルが気になったのは自分が魔法使いだと見抜かれたことだった。カルソーは当然知っているが、現在の見た目はふたりとも革鎧でそれほど変わらない。
それに新人冒険者で魔法使いというのは割とレアだ。本来なら魔法の才能があるものは基本的に村や町で持て囃され、学院に言ってきちんと魔法を学ぶ。
そのためフェルのような歳で冒険者をしている魔法使いは居ないことになっているのだ。
「さっき焜炉に魔力を通した時の流れが洗練されていたのと、あとは普通に魔力量かしら。あなた、自分では隠しているつもりでしょうけど、気を失っているときまで隠せるほどの技量はなかったようね」
「……そう、でしたか」
フェルは自分がゴーレムに倒されて気を失っていたのを忘れていた。いや、忘れようとしていた。
まあバレたところでこの人は悪魔。自分についてなにか言ってくることはないだろうと思っているが、それでも隠し事が露見したことに対する嫌悪感は拭えない。
「魔法使いだとなにかあるの? まあ今はいいわ。それより料理に戻りなさい」
「……はい……」
慣れない解体ナイフでの調理はかなり手間取り、特に根菜の皮むきでは、
「ちょっと! これじゃどっちがスープに入れる方だかわからないでしょ!?」
などと何度も怒鳴られた。さらには煮込み方も注意され、
「野菜を入れる順番が違う! 熱が通りにくい根菜が先でしょ! 葉物は最後!」
「沸騰したら火を弱める! 熱が通るまでに形が崩れるわ!」
「灰汁を取らないと味が濁るの! ああもう、無駄にかき混ぜるな!」
もうヴィクトリア自身で作ったほうが早いのではないかと思うほど口を出され、フェルの心は完全に萎縮していた。
ようやくスープは出来上がったのだが、ヴィクトリアはそれぞれの具材を1つずつ器に取り出して味を確かめる。
「……どう、ですか?」
「うーん。ちゃんと味見した? スープは悪くないけど、ほら、このニンジン生煮えよ? それなのにこっちのスズキャベツは崩れるくらい煮えてるわ」
「……あ、味見は……スープだけで……」
「具材もちゃんと確かめなさい。判断のつきにくい根菜類は時々串なんかを差して具合を確かめるといいわね」
ヴィクトリアはそれ以外にも2、3点注意をしながら自分の器に取った分を完食する。彼女は残ったスープには目もくれず、厨房の奥から巨大な寸胴鍋を持ち出してきた。
「時期じゃない食材もあったから難しかったとは思うけど、30点ね。調味料がなければもっと低いわ。じゃあ、わかってるわよね……?」
「! そ、それじゃ……私は……! いや、し、死にたくない……!」
怯えるフェルに首を傾げ、ヴィクトリアは自分の発言を思い出した。
「ああ、大丈夫よ。あなたのスープは美味しくなかったけど、不味いと言うほどでもないから」
「……え? それじゃあ、その鍋は……?」
「ああこれ? さっきの注意点を守って、この鍋でもう一度同じスープを作りなさい。今度はもっとまともなものができるはずだから」
「え、でも…… じゃあこっちのスープは……?」
フェルの問に、ヴィクトリアは笑顔で答える。
「私はいらないわ。作った責任を持って、あなたが全部食べなさい」
◆
フェルはその日からヴィクトリアに料理を教え込まれていた。
「肉料理は火加減が命よ。魔導焜炉の熱管理は腕前がはっきり出るから死ぬ気で覚えなさい。魔石を使わないのかって? あんなものは素人用よ。あなたが目指すべき道には炉端の石と一緒。せっかく魔法使いなんだから、あんなゴミで料理をするのはもったいないわ」
本来なら魔力が不安定な人のための器具をゴミだと一蹴して、何度も同じ料理を作らされ、
「水の味の違いを覚えなさい。ここは安定した井戸水だけど、場所によっては天気や季節によって味が変わることもあるの。その水の繊細な差を理解し、そのうえで最高の味の料理を作る。いつもと同じレシピで作るだけではダメよ。……違いがわからない? あなたの舌は何のためについているのかしら?」
水の違いがわからないと言ったら井戸水だけでなく、雨水や、朝露、果ては泥水までもを味見させられた。
「お菓子作りに大切なのは分量を間違えないこと。基本的にあとから味を調節できないから、とにかくレシピを覚えなさい。アレンジはそれからよ。砂糖を少し入れすぎただけで焦げるし、水を間違えたらボロボロになる。座学も実践も大切な分野だから、他の料理以上に力を入れましょう」
最初は奴隷のように扱われるのかと思っていたが、ヴィクトリアは料理に厳しいだけで扱いはまともだ。むしろ冒険者をやっていたときよりも充実している。
私は誘拐されてここにいるはずなのに、どうしてそんなに良くしてくれるのかと聞いたことがある。
その時のヴィクトリアの返事は今でも忘れられない。
「ああ、そうだったわね。でもあなた意外と腕がいいから気に入ったの。スラーが飽きたら帰してあげることになってるから、それまで我慢しなさいな」
誘拐犯だったことなどすっかり忘れていたと笑い、彼女はフェルの首に絡まっていた蔦を解いた。
拘束が解かれたので逃げ出す選択肢もあったはずだが、フェルは自分からヴィクトリアに弟子入りし料理を学んでいた。ほんの数日のことだったが、彼女は自分が食べてきたどこの店よりも料理がうまい自信ができていた。
しかしその充実していた生活に、突然影が差し込む。
「牛、ですか……こんなにたくさん?」
「そうなのよ。スラーのやつが近所の牧場から貰ってきちゃってね。元気に見えるけど弱っているから、早めに食べてあげないといけないの」
いつもなら大量の食材に喜ぶヴィクトリアの表情が少し暗い。
「朝からステーキは重いかもだけど、あなたもカルソーも育ち盛りだし平気でしょ。一度にたくさん焼けるプレートを用意しなさい。焼けるだけどんどん焼いて、残りは煮込みましょうか。さあ、時間との勝負よ」
「は、はい」
調理方法の指示も雑だ。いつもなら焼き加減や副菜の指示も出すのに、焼けるだけ焼けだなんて。
それに少し気になることもある。
すでに1頭解体されたものが厨房に運ばれているのだが、血抜きの処理が甘く状態が良くない。食材を大切に扱うヴィクトリアさんならこんな雑な殺し方はしないはずだ。なんというか、解体を前提とした屠殺ではなく、既に死んだものを解体したような……
「ほら、さっさとやらないと朝食に間に合わないわよ」
「! はい……!」
切り出した肉は固く、やはり死後時間が経過している。
どうにも不信感が拭えなかったが、それ以上はヴィクトリアに聞き出せなかった。
◆
ヴィクトリアにはよくしてもらっている。スラーも食事の時しか顔を合わせないが、料理は褒めてくれる。カルソーも楽しそうにやっている。
だけど彼らは本当は悪人だ。いつかそんな時が来るだろうと思っていた。
「遅かったわねカルソー。ところで、その横にいるのはなに?」
ヴィクトリアと2人、外で牛の解体をしながらカルソーの帰りを待っていると、彼は余計な人物を連れて帰ってきた。
彼は冒険者ギルドの酒場によくいる、カルソーの先輩ザールだ。
こちらの、いやヴィクトリアの姿を見るなり、明らかに表情を変えて武器に手を伸ばしている。
「ただいま戻りました。こちらは冒険者の先輩のザールさん。それでザールさん、あちらがスラーさんが召喚した大精霊のヴィクトリアさんですよ!」
「へえ、ザールっていうの。私はヴィクトリア・グーラ・エギグエレファよ」
スカートの裾を持ち、カーテシーのように挨拶をするヴィクトリアだが、その両手は屠殺した牛の血にまみれていて大変不気味だ。しかしその血はすぐに魔力として分解され吸収されていく。
「……俺はザールだ。大精霊だって? 信じられねえな」
「食事の準備はこれからだけど、カルソーのお友達なら歓迎するわよ?」
「いいですね! ザールさん、フェルの料理も美味しいけど、ヴィクトリアさんの用意したステーキは頬が落ちるくらい美味いんですよ!」
ヴィクトリアの提案にザールが警戒を強める。しかしカルソーは能天気にそれを肯定し、なんとも言えない空気が漂う。
そしてそこに更にもう1人、空気を読まない人間が現れた。
「カルソーくん戻ってきた? ああ、いるじゃない。訓練用のゴーレムが完成したから、今日はつきっきりで空いてをしてあげようか」
アクアボールを融合させた壊れかけの歩く椅子に座る、この屋敷の主スラー。彼はザールなど気にすることもなく、いや、あえて無視した様子で影魔法を使用した。
「紹介しよう。ボクの量産型戦闘員、シャドウレギオン。その完成形だよ!」
スラーの影が伸び、そこからポコポコと溢れ出るいくつものシャドウボール。その基礎魔法の影の玉はふわふわと浮かび上がると、人形に変身し、数が揃ったところでファイティングポーズをとった。
その様子にザールだけでなく、カルソーも引き攣った笑みを浮かべる。
「す、スラーさん? 訓練はありがたいですけど、いくらなんでもこの数は多い、ような……」
「安心していいよ。今度のは殺さないように調整してあるから。でも、なるべく耐えてね?」
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