4 はじめての自己紹介
新連載です。
「ふむ。いきなり女の子を連れ込むだなんて、君もなかなかやるね」
「なんのことです?」
先生は相変わらず変な柄のスーツの美人のお姉さんで、しかしその声はダンディなおじさんだ。今日は何やら分厚い本を持っていた。
先生は肩をすくめて笑う。
「冗談だ。本当ならもっと早くに出迎えに来るはずだったんだが、他の転生者たちの引き渡しに時間がかかってしまってね。なんにせよ、間に合ってよかった」
「転生者の引き渡し…… そう言えば最初に会ったときも他の候補者たちって言ってましたね」
「うむ。まあそれについては今はどうでもいい。今は少し急いでいるんだ」
「時間がないなら止めればいいのに」
「あれはそう無闇に使う術じゃない。さ、これを受け取り給え」
先生は持っていた本をボクに渡してくる。古めかしいのに装飾は豪華で、たしかに持っているはずなのにティッシュよりも軽い。
「この本は?」
「スキルブック。簡単に言えばこの世界で獲得できる能力の一覧表だ。君たち異世界人はどこまで行ってもこの世界では異物。なのでこの世界での基本的な能力がない。その本は君たちの足りない能力を補うためのツールであり、君たちの大好きな異世界チートアイテムだ」
「異世界チート能力……! ありがとうございます!」
ボクは先生にお辞儀をしてから本を開く。持っていたポーションのことはすっかり頭から消えていた。
「……あれ?」
本を開く。開こうとする。ページに指を当て、無理矢理にこじ開けようとする。しかし何を試そうともびくともしなかった。
「先生。本が開きません」
「そうだろうね。さっきも言った通りこの本はチートアイテム。この世界の住人に見せる訳にはいかないものだ。そのため厳重に封印が施されており、魂の一部を捧げ使用者と融合することで本来の力を発揮する」
「どうすればいいんですか?」
「使用者登録は異世界人なら簡単だ。ほんの少しの血と魔力を捧げ、名前を告げればいい」
先生の言葉で持っていたポーションのことを思い出す。
「先生。ボクはさっきナクアルさん、えっと、そこで寝ている鎧のお姉さんに魔力の使い方を教えてもらったんですが、このポーションの封印が解けませんでした。ボクには魔力の才能がないんでしょうか?」
「……ほう。既に魔力を…… 結論から言うと、君に魔力の才能はない」
「そんな……」
先生の言葉に少しだけ落ち込むが、そんなボクを見た先生はチッチッチ、と指を振って微笑む。
「先程少し触れたが、君はこの世界の住人ではなく、基本的な能力もない。それがまさに魔力だ。なのでその本を使わなければ、簡単なポーションの封印も解くことはできない」
魔力を捧げなければ本を扱えないのに、本が使えなければ魔力を扱えない。それって矛盾してないかな?
「ええ……? それじゃあ魔力が使えなくて本を開けないボクは、どうやって本を使えるようにするんですか?」
「魔力は使えなくても、君は魔力を持ってはいる。なので力技で突破すればいい」
そう言って先生が懐から取り出したのは、一振りのナイフ。刃先は短いが、刃の付け根に宝石のようなものが付いた、きれいなナイフだ。
「この短剣には斬った相手の魔力を蓄える機能がついている」
なるほど、そういうことか。
「それで身体のどこかを切って、本に魔力を捧げればいいんですね?」
「そうだ。少しだけアドバイスをするなら、血はともかく魔力はできるだけ多く捧げた方がいい」
先生から手渡されたナイフは、ボクが前世で持ったことのあるものの何よりも重く、しっかりとした重量感があった。
さて、どこを切ろうか。ボクは手術で散々身体を切り刻まれていたので、今更少しくらい傷つけることに抵抗はない。
先生はできるだけ魔力を捧げるようにと言っていた。ボクはそれを聞いて、ナクアルさんに教えてもらった魔力の伝え方を思い出す。あのときの魔力の発生源はナクアルさんの中にあった。だからボクの全身をまさぐった後に、両手からナクアルさんに帰っていったんだ。
そこでふと思い出した。あの身体の中を抜けていく感覚は、かつて病院で何でも経験していた気がする。あれは強い薬を打たれた感覚に似ているんだ。ならきっと、魔力も血管のようなところを通って全身を流れているに違いない。でもそれがどこだかはわからない。
しかし発生源がわからなくても、魔力が流れているならやりようはあるはずだ。
ボクは先生から貰った本を床に置き、左手をその上に広げる。ナイフを右手で逆手に持てば、準備は完了だ。
「……やはり君は面白い」
「アンネムニカに、栄光あれ!」
ボクは一番好きな悪の組織の名を叫び、本に重ねた左手めがけて右手を振り下ろす。
痛い。とても痛い。でもそれが嬉しかった。痛いのは生きている証拠だと、誰かに言われたことがある。でも当時のボクの左腕は産まれたときから動かなくて、どれだけ点滴で穴だらけにされても何も感じなかった。だけど今、その左手がどくどくと血を流して、ズキズキと痛みに震えている。
ああ、痛い。でもこれでようやく確信した。これはボクの左手なんだ。
……っと、喜んでいる場合じゃない。左手を貫いて本に辿り着いたナイフを握り直し、魔力を探る。ナクアルさんに教えてもらったから、なんとなく魔力の感覚はわかるはずだ。
そうして探っているとき、ナイフは魔力を蓄えると先生が言っていたのを思い出す。その蓄えた魔力はどこに? スラリとしたナイフに付いた、きれいだけど少しだけ不格好な宝石。よく見ればその石が淡く輝いている。きっとこれが魔力だ。
ボクは握る手を少しずらして、石と一緒に握る。その時刃も一緒に掴んだようで、手のひらが少しだけ切れたけど気にしない。思った通り、そこには魔力が溜まっていた。その魔力をナクアルさんに教えてもらったように本へと流し込み、自分の中へと循環させ、またナイフを通して本へと戻す。
「素晴らしい……! 初期段階でこれほどの魔力を注げるものは今までに居なかった。君との再会は遅くなってしまったが、その間に起きた現地人との出会いがこれほどの成果を上げるとは……! まさに運命!」
先生は手を叩いて喜んでいる。それは嬉しいのだが、なんだかボクは急に疲れてきた。
「先生、だんだん疲れてきました。……力も入りにくい気がします」
「スキルブックを開放せずに魔力を操作したんだ。過剰な負荷がかかっているのだよ。もう十分だ。魔力を注ぐのをやめ、本に名前を告げなさい」
「……あの、流し方はわかるんですが、止め方がわからなくて……」
「ナイフから手を放せば自然に…… ああ、貫いたのだったね。仕方ない、手を貸そう」
先生は本に縫い付けられた左手を押さえ、力の抜けたボクのかわりにナイフを抜いてくれた。
「……ありがとうございます」
「礼はいい。それよりも名前だ。本に向かって名前を告げて、契約すると誓う。それで登録は完了だ」
ボクの名前か。何度も言われていたけど、それを言うのは少し恥ずかしかった。
「その、名前ってボクの、前世での本当の名前じゃないとダメ、ってことですよね……?」
「もちろん。そう言えばまだ君の名前を聞いていなかったね。アレかい? キラキラネームってやつなのかな? なに、恥ずかしがることはない。他の候補者にもいるし、必要なのはこの契約のときだけだ」
それを聞いて、ボクはホッとした。ボクの名前はキラキラネームなんて高尚なものじゃないからだ。
いや、もっと言えばこんなものは名前ですらない。便宜上つけるしかなかったからついている、そんな名前だ。
「ボクは、ボクの病院での正しい名前はLL72太郎。両親から名前をつけてもらえなかったから、なにかの識別番号がボクの名前です。だからみんなからはエルって呼ばれていました」
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