3 はじめての異世界飯
新連載です。
情けない。これから目指すのは悪役だというのに、なんとも情けない。
でも仕方がなかったんだ。あんなに激しく揺れて、あんなに早く動くものが、あんなに怖いなんて知らなかった。
結局情けないボクはナクアルさんの腰にがっしりと掴まったまま、気がついたら村の入り口に着いていた。
ボクが初めて見た村は、木の板でできた小屋が等間隔に並んだ小さな公園のような場所だ。中心は広場になっているようで、これまた初めて見る井戸のようなものが見える。
ちなみに今いる場所が村の入口だと思ったのは、村全体の周囲を杭のようなもので取り囲まれていて、今いる場所だけ杭がなかったからだ。
「ほら、もう着いたぞ。地に足がついているんだから、手を放してくれ」
ナクアルさんはボクをそっと地面に降ろしてくれたらしいが、震えていて力が入らない。ナクアルさんには悪いが、手を放したらその場にへたり込んでしまいそうだ。
「た、立てそうにないです。どこか、座れる場所は……」
「やれやれ。ならそこの木陰に座っているといい。私は村長に話があるから、しばらく待っていろ」
「……はい」
「クァーク、この子が勝手に何処かへ行かないように見ていてくれ。……まあ、この様子では動けそうにもないがな」
クァークというのは、ナクアルさんに抱かれたボクを激しく上下にシェイクしたハシリトカゲのことだ。
ナクアルさんの言葉に少しだけむっとするが、動けそうにないのは事実だ。ようやくナクアルさんの腰から手を放すと、自分の情けない予想通りにずるずるとその場に倒れ込んでしまった。
「せっかく病気が治ったのに、身体はまだまだ弱いままなのかな……」
「病み上がりだったのか? なら先に言え。ほら保存食がある。体力の回復効果も少しはあるから、すぐに良くなるだろう」
心のなかで呟いたと思っていたが、口から出ていたらしい。ナクアルさんはクァークの背に乗せていたカバンからクッキーのようなものと液体の入った革袋をボクに渡してくれた。
「もう病気じゃないから、大丈夫ですよ」
「病気でなくてもいいから食べろ。初めてのハシリトカゲは乗っているだけでも、君の思っている以上に疲れが貯まる。今はまだ緊張で感じていないだけだろうが、疲れが襲ってきたら食べる気力もなくなるぞ」
それだけ言って、ナクアルさんは村の中へと入っていった。
「初めて乗ったって言ったって、ずっと抱き抱えられていただけじゃないか……」
不満を漏らすが、疲れているというのは本当なのだろう。腰に回していた腕が少し震えている。これが疲労なんだろうなと思った。
渡されたクッキーを眺めていると、なんとなく身体がそれを求めているような気がしてきた。これが空腹感というやつなのだろうか。
試しにクッキーを口にしてみる。固い。これが物を噛むという感覚か。病院ではドロドロとしたおかゆのようなものか、ゼリーのようなものしか食べたことがなかった。なのでそれだけでも感動してしまう。
ゆっくりと顎に力を込めると、思いの外簡単に砕くことができた。口の中に独特の風味と粉っぽさが広がっていく。口の中の水分が持っていかれるのは粉薬に近いかな。だけど粉薬と違ってこのクッキーはじんわりと甘かった。ボクは甘いのだけはわかる。
病院に居た頃のボクはほとんど味が分からなかったけれど、月に一度だけなにかの記念で自家製スイーツを持ってくる薬剤師の先生が居た。その先生は味覚治療の研究をしていたらしく、その先生が持ってくるスイーツだけは味が分かったし、先生は泣いて喜んでそれが甘いということなのだと教えてくれた。
ああ、あの先生にはなにか挨拶をしてからここに来ればよかったな。これが後悔というもので、これが死ぬということなのだと今理解した。きっと死ぬのが怖いのは、自分が消えることで自分のために悲しむ人がいるのが怖いんだろうな。
そんな事を考えながらクッキーを咀嚼していると、飲み込むときに急に苦しくなった。これはあれだ。粉々になったクッキーがまだ水分を求め、喉に張り付いてしまったのだろう。
幸い革袋に入っているのが水だというのは確認しているので、それで流し込む。粉薬のときに散々苦しめられたから、こんなものは慣れっこだ。
貰ったクッキーを食べ終えると、不思議と身体が軽くなったような気がする。魔法のある世界ということだし、もしかしたら本当に体力が回復したのかもしれない。
「回復と言えば、君はあんなに速く走ったのにそんなもので足りるのかい?」
ふと隣りにいるハシリトカゲのクァークを見上げる。ダチョウから恐竜に変化したようなそいつは、首を伸ばしてボクの寄りかかっている木の葉っぱを舌を使って器用に食べていた。
「……美味しいのかな?」
クァークの食べている葉っぱはボクの近くにも落ちていた。あんな速度で走れるのだから、この葉っぱにはきっとそれだけのエネルギーがあるはずだ。ものは試しとボクはそれを食べてみた。
この葉っぱは噛む度に口の中がチクチクするような不快感があった。鼻から漏れ出す妙な匂いも、なんだかすごくスーッとする。けれど食べられないほどじゃない。味がしない病院食よりはよほどマシだ。
うん。味はともかく、なんだか力が湧いてきた気がする。きっとこれが不味いという感覚なんだろうけど、それよりも体の奥から湧き上がる熱が、もっとこれを食べろと言っているような気がする。
――数分後、
「少年、宿屋はないそうだが、空き倉庫を貸してもらえることになった。今日はそこで泊ま…………君は一体何をしているんだ?」
クァークと競うように木の葉っぱを食べていたボクを見たナクアルさんは、心底驚いたように後ずさっていた。あれがドン引きというものだろう。異世界は初めてのものがいっぱいだ。
◆
「どうぞ、夕食の準備ができました。ご馳走とはいきませんが、量だけはあるので召し上がってください」
今居るのは村長さんの家だ。若くてハンサムで、勝手に髭の生えた長老みたいな人を想像していたので少しびっくりした。宿屋も食堂もない村だったけれど、たまに来る旅人の対応には村長さんが宿屋代わりのことをしているのだとか。
元々家族が多かったのか、それとも最初から旅人を饗すように設計されているのか、案内された部屋はかなり広かった。
「かたじけない。ほら、少年も礼を言いなさい」
「ありがとうございます」
「はは、いっぱい食べて大きくなるんだよ」
そう言って出された食事はお椀いっぱいのスープだ。スプーンで掬うと思ったよりもドロドロとしていて、お米のような穀物と刻まれた野菜のようなものが入っている。
「いただきます」
食事の作法はよく知らないので、そのまま口に運ぶ。一口目の印象は、いろんな味がする、だった。美味しいかどうかはわからないけど、味が感じられるのがとても嬉しかった。
だけど村長さんは一口食べて顔を顰める。
「……あいつめ。はあ、煮込みきれていないし、麦の芯が残っている。それに塩も多いな。……せっかく来てくれたのに、こんなもので申し訳ない」
「いえ、私は気になりませんよ。冒険者の野営ではきちんと調理して食事を摂ることは少ないですし、麦粥は十分ご馳走です」
「そう言っていただけると幸いですが、君はどうかな? 口に合うかい?」
村長さんに話を振られるが、ボクの味の基準は昼に食べたクッキーと葉っぱだけなのでなんとも言えない。でも麦がプチプチしていて食感は面白い。ちらりとナクアルさんを見ると、特に表情を変えずに口に運んでいるので、味が悪いというわけではないのだろう。
「ありがとうございます。おいしいです」
ナクアルさんが平気そうなので、美味しいというものがどういうことかまだよくわからないけれど、とりあえずそう返事をした。
――食後。貸し出された空き倉庫に戻ると、ナクアルさんはすぐにカバンからガラス瓶を取り出し、中身を一気に飲み込んだ。それを眺めていると、ボクの視線に気がついたナクアルさんがもうひとつガラス瓶を取り出す。
「少年も飲め」
「なんですか、これ?」
「ポーションだ。低級のものだが、口直しにはなる」
「?」
「塩辛かっただろう? よく我慢して食べきったな」
どうやらあの麦粥は不味いよりのものだったらしい。だけどそれのお陰であの感覚が塩辛いのだとわかった。確かに葉っぱほどではないけれど、ちょっと飲み込みにくさはあった。
渡されたポーション、青い液体の入ったガラス瓶は飲み口がきれいに密封されていて、ペットボトルのキャップのようなものはない。開け方がよくわからないので色んな方向から眺めていると、ナクアルさんがそれの開け方を教えてくれた。
「指先に魔力を込めて押し込むんだ。そうすれば封印は簡単に溶けて消える」
「魔力? 封印? なんだかよくわからないけど、すごいですね」
「……まさかそんなことまで忘れてしまったのか?」
「そうみたいですね」
もちろん忘れたわけではない。最初から知らないのだ。
「仕方がない。開けてやってもいいが、忘れたままでは何かと不便だろう」
そう言ってナクアルさんはボクの後ろに回り込み、ガラス瓶を持つボクの手にそれぞれ手を重ねる。
「少年を通して私の魔力を封印に流す。それで感覚をつかめるはずだ」
「わ、わ、なんだかくすぐったい……!」
ナクアルさんの両手から、なにか暖かいものがボクに染み込んでいく。それがボクの両手から瓶に伝わっているのがわかる。まるでガラス瓶がボクの一部になったみたいだ。ガラス瓶から戻ってきたそれはボクの身体の中をひと通り巡って、またナクアルさんへと還っていく。
なんだか全身を優しく撫でられたみたいにポカポカした気分になった。
「思い出したか? 今のが魔力の感覚だ。その魔力を瓶で留めて、飲み口に穴を開けるイメージをするんだ。そうすればポーションの封印は簡単に外れる」
ナクアルさんはそう言うが、いうほど簡単ではない。まず魔力がどこから来るのかを知らないのだ。何度か手に力を入れてみるが、そこに魔力は発生しない。
「難しいです。もう一度教えてもらっていいですか?」
何度繰り返してもダメだったので、また教えてもらおうと振り返ると、ナクアルさんはベッドに横になって眠っていた。
「寝ちゃったのかな? ……きっと血糖値スパイクだ」
「よくそんな言葉を知っているね」
突然上から声をかけられた。当然ナクアルさんの声ではない。
それは一度しか会ったことがないけれど、とても懐かしい気分になる声だった。
「……先生!」
「ボンソワール。元気そうだね少年」
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