29 さよならヘドロイド
新連載、これにて1章完結です。
◆ヘドロイド
比較的大きな排水管を、それでも狭すぎるので破壊しながら地上へと登っていく。エルよりも高い基礎能力値はレンガの管をスナックのように粉砕し、ヘドロの肉体は大地を侵食しながら足場へと変えていく。その様子は宛ら逆流する汚泥だ。
意志を持ってインフラを破壊しながら人々に襲いかかるヘドロ。どこか既視感を感じる怪人が、今まさに地上に出現した。
「ぶべべべべぼば!」
エルはこの瞬間だけ後悔した。ヘドロイドには口をつけていなかったのだ。そのため声高らかに名乗りを上げることができなかった。
(ああ、恥ずかしい。これじゃ怪人失格だ!)
「な、なんだこいつは!」
「突然地面から現れたぞ!?」
「く、臭い……! 下水の怪物か!?」
町は火事でパニックになっていたが、それでも何人かはヘドロイドに気がついた。
おや、人がずいぶん小さいな。下水の中で対比するものがなかったから気が付かなかったけど、ヘドロイドは普通の大人より2倍近く大きい。かなりの巨体だ。
(まあいいや。大きい方が助けやすいだろうし。さて、ナクアルさんはどっちかな?)
予め設置しておいたマーカーから自分の現在位置を把握して広場に向かう。その道すがら装填しておいたネズミサイルを住人に向かって飛び掛からせる。
「なっ!? 身体からマッドラットが出てきやがった!」
「こいつがこの火事の原因か!?」
ボクは作りすぎたネズミサイルをすべて陽動に使用したわけではなく、一部をヘドロイドの中に埋め込むことで改造を施していた。
それによってゴーレムとしての性能が上がったわけではないが、住人の反応からボクの目論見は達成できたと言えるだろう。
(ナクアルさんを助けても、ナクアルさんの仲間の仕業だと思われたら結局同じだからね)
この一連の騒動は、最終的に『下水から現れた怪物が引き起こした事件』として処理されなくてはならない。
その途中処刑されるはずだった冒険者ナクアルが仲間の手によって救出されるという二次被害が発生するが、町を破壊した犯人ヘドロイドはそこで死亡する。町の混乱は収まらず、冒険者ナクアルの行方はわからなくなってしまった。
これがボクの描いたナクアルさん救出計画の最終段階だ。穴だらけで杜撰なプランだが、実に子供向け作品の悪役らしい。こういうのでいいんだよ、最初の悪役なんてのは。
「キャーッ!!」
「うわーっ! 何だこの怪物は!?」
「新種の魔物だ! マッドラットが出てきたぞ! こいつが原因だー!」
広場に出ると、先程とは比べ物にならないパニックが発生する。
「ぶばぶばぼばばばー!」
ああ、気持ちがいい。今まで見てきた悪役たちも、きっとこんな気分だったんだ。全身を震わせ、ヘドロを撒き散らしながら歓喜に震える。
ナクアルさんは処刑台へと移動させられていた。衛兵たちもこの混乱から館へ戻すのは諦めたらしい。
というか、ダンは何をしているんだ? せっかくこんなにお膳立てしたのに、この期に及んでまだ来ていないなんて。
「なんだ?」
「攻撃が来るぞ! みんな避けろ!」
ヘドロイドの伸縮する腕を伸ばし、道を作るために横薙ぎにする。
「ぎゃーっ!」
「ぐはっ!」
ただ腕を大きく振り回す。たったそれだけで人が吹き飛び、押しつぶされて死んでいく。思ったよりも強いぞヘドロイド。ここで使い潰すのはもったいないくらいだ。
「ぎゃっ!」
「や、やめ……!」
「うわーん、たすけっ」
ボクのせいでできた赤い道を、倒れている人など気にかけることなく踏みしめていく。可哀想に。ヘドロに踏み潰されるなんて想像したくもない。足元には小さな腕が見える。子供だったのかも知れない。
でも仕方のないことなんだ。処刑なんて見に来るような人たちは、すべからく善人じゃない。正義の味方が『正しい正義』の味方でいられるように、悪役たるボクが『正しくない正義』である君たち有象無象を間引かないといけないんだ。
ボクは住人を殴り殺し、踏み殺し、ネズミサイルで噛み殺し、前進する。
「ひいっ!?」
「く、来るな……!」
ついに目の前にはナクアルさんの固定された処刑台が。手を伸ばせば届く距離だ。衛兵の人たちが必死に鞭や弓で対抗してくるが、想像以上に頑丈なヘドロの鎧にダメージはない。
ちょっとまずいな。こいつ強すぎるぞ。ナクアルさんを助けたら倒されないといけないのに、さっきからちっともダメージを受けている様子がない。
「ぐあっ! やめろ! 手を離せ!」
仕方ないからパフォーマンス代わりに衛兵の1人を掴み上げ、
「や、やめ……!」
領主の館へと投げ飛ばした。それなりに距離があったが、衛兵は壁にぶつかって真っ赤に弾ける。これで領主も本気になるだろう。
「う、うわーっ!」
「こ、こんなやつに勝てるわけがない!」
振り返ると処刑台に残っていた衛兵たちは武器を投げ出して逃げて行ってしまった。それにしてもナクアルさんの反応がない。目は虚ろなまま、口からは唾液が溢れている。
(もしかして、なにか薬でも使われているのか?)
ナクアルさんの実力は知らないが、一人で旅をするほどの冒険者だ。処刑台への連行中に暴れられるのを警戒して、一服盛られたとしても不思議ではない。
可哀想に。完全な濡れ衣でこんなにボロボロにされてしまって。
ボクはそっとナクアルさんを掴み上げ、処刑台を破壊する。残念ながら高装具を外すことはできなかったが、少なくとも両足は自由になった。ヘドロイドの巨大な手では、細かい作業はできないのだ。
「ごぼごばぶぼぼべばー!」
ああどうしよう。ついナクアルさんを助けてしまった。いやそれが目的だけど、それはボクの役割じゃないのだ。
このまま町の外まで逃げてしまおうか。でもそれでは意味がない。ボクが死ななければ、またナクアルさんは追われてしまう。
そう悩んでいると、後ろから声が聞こえた。
「うおおおおおおおおおおお!! ラマイニール流総合体術、剛剣! 竜頭落とし!」
とっさに振り返り、思わず腕を使って防御した。してしまった。
(マズい! 今ボクはナクアルさんを持っているのに!)
防御に使った両腕はまるでバターのようにあっさりと両断され、手に持っていたナクアルさんも落ちていく。だがナクアルさんが地に落ちることはなかった。
(ダン! やっぱりダンは、ボクの思った通りの正義の味方だったんだ!)
地に落ちる間際、風のような速度でナクアルさんをキャッチしたのはダンだった。ヘドロイドの腕を切り落とした剣を捨て、そのままの勢いでナクアルさんのもとに向かう。まさにボクの理想の正義の味方だ。
ダンの登場によりボクの計画は完璧なものになる。だがやられっぱなしという訳にはいかない。ナクアルさんを助けてくれたのはありがたいけど、無抵抗で死ぬわけにもいかないんだ。
「ぶばー!(行け、ネズミサイル! 全弾発射だ!)」
体内に残っていたすべてのネズミサイルを射出し、しかしその尽くがダンの体術によって何の成果を上げることなく破壊されていく。
数十ものネズミサイルは手刀で両断され、魔力を纏った拳の前に弾け飛び、回し蹴りで吹き飛ばされる。
(はは、凄い凄い! ナクアルさんを抱えたまま蹴って殴って! うわ、そんな体勢からでも攻撃ができるのか! ボクの前ではちっとも披露してくれなかったのに、ダンはやっぱりすごかったんだ!)
両腕が残っていれば、今の自分が何者なのかも忘れて手を叩いて喜んでいたかも知れない。それくらい凄い動きだ。まるでコマ送りになった残像みたいに、一瞬のうちにポーズを決めて、その度にネズミサイルが破壊される。
また1つ夢がかなったような気分だ。ボクは入院していた頃一度だけ外に出る機会があって、その時ヒーローショーを見たいと言ったことがある。外に出ると言ってもただの転院だったから、本当に外に出ただけでそれ以来この記憶を思い出しもしなかったけど、今更になって思い出して、ようやくそれがこんな近くで見られている。なんだかそれがたまらなく懐かしかった。
「もう終わりかヘドロ野郎! なら、今度はこっちの番だぜ!」
ダンの言葉にハッと我に返る。楽しかったショーは終わりだ。ネズミサイルはすべて打ち倒され、ダンはいつの間にか剣を握っている。
こちらを睨み上げるダンの表情は、ボクといたときよりもずっと清々しい表情だ。元々ヒーローのようだと思っていたけど、今の方がずっと正義の味方らしいヒーローだ。
最期の一撃を受けるべく、ボクはヘドロイドの肉体から無理やり右腕だけを作り直し、不格好なファイティングポーズを取る。
「ラマイニール流総合体術、剛剣! 山崩し!」
「ぶごべばー!」
ボクの流派も何もないパンチはあっさりとダンに躱され、彼の放った必殺技はヘドロイドの肉体を、ゴーレムのコアを、ボクの魂を、真っ二つに切り裂く。
あー、楽しかった!
本当ならここから復活して、巨大化して、ダンにもなにかロボットに乗って戦ってもらう必要があるんだけど、第一話だしそこはまあいいか。
思い残すことは多々あれど、悪役の最期としては及第点だ。
ありがとう先生。素敵な異世界ライフだったよ。
楽しい思い出とともにボクの意識は薄れていき、
「……少、年……?」
最後に、ナクアルさんの声が聞こえた気がした。
◆ナクアル
「……少、年……?」
それはいつかの村で出会った、記憶のない少年の魔力の残滓だった。
「気がついたか? 今下ろすわけにはいかねえ。ちょっと掴まっていてくれ!」
誰かが私を抱えている。揺れる腕の中から見えるのは燃えていく町と叫ぶ住人たち。そして町中から、いつかの少年の魔力の残滓を感じられる。
そうだ、思い出した。私は人を探して村を訪ね、その村で火事が起きた。その村の火事は消し止めることができたが、村人たちは盗賊で私は捕まってしまい……
「くっ……!」
「おい大丈夫か? ここまでくれば平気だろう。少し休もう」
私はゆっくりと床に降ろされる。どこかの建物の屋上のようで、遠くには煙と舞い上がる火の粉が見え隠れする。
「ポーションだ。飲め。少しは楽になるだろう」
私は壁に身をあずけるように起き上がり、渡されたポーションをゆっくりと飲み干す。久しぶりの甘い味だ。地下に監禁されていたときは塩水と薬物しか飲まされなかった。アレに比べたら、どんなものでも極上に思える。
「俺はダン。ザンダラの冒険者だ。エルから聞いてるぜ。あんたエルの命の恩人なんだってな。助け出してほしいと、とんでもない量の金貨を積まれたよ」
「……エル……?」
誰だろうか。私は受けた依頼のことは大体覚えているが、そこにエルなんて名前はなかったような。そもそもそれらの依頼だってこの国に来る前の話だ。それにザンダラの冒険者となると、距離のことを考えるといくらなんでも助けが来るには早すぎる。
「そうか……感謝する……」
だが、事実として助けられた。どこかの貴族のミドルネームか、はたまた愛称のたぐいか。思考を巡らすが思い出すことはできない。
だがなんにせよ、命が助けられたということは、命を使って役目を果たせという神の思し召しだ。
魔力は十分に戻った。私は祈るように手を組んで、忘れ去られた聖句を唱える。
「■■■、■■■■■■。■■■■■■■■――」
「これは……歌……?」
声にならない音のみの、人には聞こえない禁じられた聖歌。一言紡ぐ度に魔力が削られ、歌いきる頃にはまた意識を失うだろう。
「……神よ、我が祈りに応え、救済の恵みを与え給え……」
ふっと冷たい風が頬を撫でる。祈りは届いた。
風向きが突如として変わり、雲ひとつなかった空には瞬く間に暗雲が立ち込める。何事かとダンが空を見上げると、ポツポツと冷たい雨が降ってきた。その勢いは一瞬のうちに豪雨となり、もはや目を開けているのもつらいほどだ。
「おいおい、何だってんだ!? こんな急に雨が降ってくるなんて、おい、すぐに建物の中へ!」
「いや、私はこのままでいい。このままでなければ、この雨はすぐに止む。すまないが、このまま外に置いておいてくれないか」
「なに!? こんな雨じゃ、下手すりゃ凍えて死んじまうぞ!?」
「大丈夫だ。私は雨では死なない。だから置いておいてくれ。少し、眠るだけだ」
ダンにそう頼み込んで、私は仰向けになって再度天へと祈りを捧げる。彼は呆れた様子で、しかしその場を離れることはなかった。
雨の神への生贄の唄。
かつてそう恐れられた聖歌は、失われた天門教会の秘伝。それを詠唱しきったのだ。この町のこんな火事くらい、瞬く間にかき消える。その代償として私は雨に弄ばれるが、決して死にはしない。死ぬほどの目には会うが、死にはしない。
いつもなら恐ろしく、嫌だと思いながらその時を待つのだが、今回は不思議とそんな嫌悪感がなかった。
私の隣に座り込んだ男のせいだろうか。こんな私でも助け出すように依頼した、エルという人物への感謝のせいだろうか。それとも、町中に溢れ返る少年の温かい魔力の残滓のせいだろうか。
「雨……天門教会…… まさかあんた、あの雨の聖女なのか……!?」
聖女。懐かしい言葉だ。
この恵みの雨のせいで国が滅んだ。そんな私に聖女と呼ばれる資格はないというのに。
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