5-7 はじめての講義
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「カバン、よし。フェルの弁当、よし。筆記用具、よし。影の武装、よし。これで完璧ね」
「今日からいよいよ初登校ですか。なんだか不安です」
「案ずることはないわ。この私がそう簡単にどうにかされると思う?」
「たぶんそういう意味じゃないと思うのだけれど?」
「まあまあ。拙僧も一緒についていくでござるから、なにかあったときのフォローは任せるでござる」
学院の朝は早い。日は昇り始めたばかりで薄暗く、学院街の方はまだ寝静まっているはずだ。
だがこの時間から登校しなければならない理由がボクにはあった。
「結局距離の問題だけは解決しなかったわね」
「こればっかりは移動用の魔道具を開発するしかないでござるなあ」
ボクはこれでも一応貴族であり、研究所所属の人間は通学のために馬車を使用してもいいということになっている。
そのため例のシャドウゴーレムの馬で通学用に早馬車を用意したのだが、これにラーセル教官からストップがかかったのだ。
『休まずに学院街の外から講義塔まで走り抜け、餌を食べない魔法生物の馬? そんなものが学生に見つかったら大騒ぎになります! 隠しておけばいい? ここに集う人間は全員が魔法使いですよ。ひと目見ただけでバレるに決まっているでしょう!?』
とのことだ。部屋の中で実物を見せてもやはり彼は折れてくれず、今乗っているのは学院が用意した平凡なもの。
それでも通常のものよりは良いとのことだったが、『デス・トロイア号』に比べると雲泥の差だ。これならボクとアリタカくんであれば走ったほうが早い。
「研究所の方は毎日こんなもので移動しているのですから、頭が上がりませんね」
ボクの何気ない呟きが聞こえていたらしく、御者が振り返らずに苦笑する。
「ははは。これでも学院の中で走る馬車では最上位クラスなんですけどね。転生者たちはみなさん乗り物に厳しくいらっしゃる」
「あら。あなたは私たちの事情をご存知なの? であれば王様に伝えてちょうだい。これは車ではなく車輪のついた板だと」
「エル殿。それは言いすぎでござるよ。旅の途中の乗合馬車はもっと酷かったでござる。車輪の大きさが揃っていてガタつかないなら、それだけで上等だと思わなければ」
アリタカくんは下には下があると言われるが、下を見て満足するような転生者はいない。
「苦情は受け付けますがね。そういう事を言われたらこう返せという指示が出てるんでお伝えしますよ。今のニームの文明水準を大きく逸脱せずに改良できるなら、好きにしろ。だそうです」
「ふうん? 蒸気機関ならすぐそこにありそうなものだけれど。私は今のニームの水準がわからないけれど、ザンダラにはすでに自動車があるわよ?」
「じどう……なんですって? それにザンダラとは。いったいどこからその情報を?」
「案外すぐに実装できるかも知れないでござるな」
転生者の与える技術の影響が話題になったので、ふとヴァルデスだったときの事を思い出す。
ザンダラ軍の裏に潜んでいた転生者集団『バランス・ブレイカー』はボクの作り出したアクアロッドとは比べ物にならない、銃や大砲などのちゃんとした兵器をいくつも開発し軍を使って実際に運用していた。
ニームの軍隊がどれほど強いのか知らないが、こんな馬車で戦場を行き来しているなら大砲の的にしかならないと思う。
王様は世界の文明レベルの変化を緩やかにするため、自国であっても原住民に必要以上の情報を与えていない。実際御者の人も自動車について知らないようだし、学院に着いたらラーセル教官にも確認をしたほうがいいだろう。
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ニーム国立魔導学院の高等学部は自分で講義を選択できるが、1度選んだ講義を修了するまでには半年から1年ほどかかる。
それを何年か続けて修了した内容毎に単位が与えられ、その単位の獲得実績に応じて研究所入りが認められる。
ボクやアリタカくんはその単位を集めて高等学部を卒業するんだと思っていたけど、実際にはそうではない。
というのもニームにはこの学院よりも優れた魔法や魔導具の研究施設はない事になっている。そのためここでの学習実績を活かせる場所ももちろん他所にはなく、他国に持ち出されるわけにもいかない。
なので高等学部に進学するということは、そのままニームのために魔法を極めることと同義であり、高等学部で通用しなかったものは卒業という実績を持って冒険者や騎士になるのだという。
「初等部が10歳前後で入学、中等部が13歳前後からと聞いていたので高等学部はそのまま高校生くらいのイメージでござったが、実際には国の研究機関に入るための学習施設だったんでござるな」
「世間的には中等部卒業だけでも十分魔法使いのプロとしてやっていけるらしいし、それ以上に魔法を研究したいなら国のために尽くせというのはそれほど間違っていないと思うわ」
魔法を極めればスキルとして更に進化していくのは、転生者である王様なら知っているだろう。
その進化が齎す影響を内々で実験するためにも、優れた魔法使いはこの学院という箱庭に閉じ込めておく必要がある。
だからこそボクのアクアロッドを、正確にはボクが齎すその先の影響を留めるために、卒業取り消しなどという手続きをしてまで学院に引き戻したのだ。
「ところでエル殿はどの講義を受けるのか事前に決めているんでござるか?」
「いいえ? ラーセル教官の話では最初の1週間は適正確認期間で、どの講義を選ぶか試せるみたいなの。だからいろいろな講義を見て回って、それから決めるわ」
「いいでござるな。それなら拙僧はこの魔法陣学という講義が気になるでござる」
「なら私は、その次の時間にある魔導具技術を見てみようかしら」
ボクたちは初日に渡されたパンフレットを眺めながら、これからの高等学部の講義に思いを馳せていた。
でもそれは誤りだった。
高等学部の授業は、ボクの楽しみにしていた学校ライフとは遠く離れたものだったのだから。
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「おはようございます。私は魔法陣研究者のセントリッヒです。さて、みなさんは今まで魔法を起動するためにいくつもの魔法陣を描き、魔法を発動してきましたね? 魔法陣を正しく書き上げれば魔法は発動する。それが一般的に語られている魔法陣についての理解ですが、ここで学ぶのは更にその先にある魔法陣です」
挨拶もそこそこに、セントリッヒ教官は自分の背後にある黒板にでたらめな絵を描いていく。
それは正しい円ではないため魔法陣と呼べるものではなく、絵の周りに書いてある魔法文字も字には見えない不完全な記号だ。
教官はそれをふざけている様子もなく真面目に書き上げていき、ボクも含めて見守る学生たちは困惑していた。
「ふう。少し時間がかかってしまいましたが、これで完成です。みなさんの中に、この魔法陣が読め解ける方はいますか?」
「え? 魔法陣?」
「子どもの落書きじゃないの?」
「教官、私は魔法陣を学びに来たのですが……」
やはりふざけていると思ったのはボクだけでなく、周囲からも戸惑いの声が上がる。
だがセントリッヒ教官はにやりと笑い、その落書きの一部に手を触れて魔力を循環させる。
「え!?」
すると不完全なただの落書きに思われていたその絵は確かに魔力を受け取って、魔法陣として起動。陣の中心からは白とも黒とも言えない、光を乱反射するなにかが溢れ落ち、浮き上がって消えていった。
「どうです? これは私も正確には何なのかがわからない、しかし起動できる魔法陣なのです。ある魔法使いが言いました。『この世のすべての事象は魔法陣にして発動できる』と。であれば、我々の知らない未知の事象も、魔法陣にすることができれば発動できてしまうのです。魔法陣学ではこれについて学んでいただきます」
学ぶもなにも、教官も何なのかがわからないって言っていたじゃないか。
しかしボクとは違って優秀な学生たちは、すでに様々な方法を思いついていたらしい。
「その落書きみたいな陣から、その未知の部分を読み取れるようになれってこと?」
「魔法陣の基礎では一部ずつを切り取って考え、その組み合わせを試す方法があるよね?」
「欠けている陣の起動の応用か。その発展形ということかな?」
だがそんな学生たちの案を聞いてなお、セントリッヒ教官は首を横に振る。
「いいえ、違います。私たちの目指す魔法陣学では、魔法陣を読み取ることを目指しません。それは暗号解読や言語学者の仕事です」
「ええ?」
「ではなにを?」
「言ったではないですか。『この世のすべての事象は魔法陣にして発動できる』、そして実演してみせたように『未知の事象も魔法陣にすれば発動できてしまう』。みなさんが目指すのは魔法を発動するための魔法陣ではなく、魔法陣そのものです。このでたらめな魔法陣は発動するのか。発動するのならなぜ発動するのか。発動しないのならどうすれば発動するのか。興味はつきませんね? こんなことは魔法陣学以外の人はしませんが、みなさんはやります。やらなければならないのです。かつてはただの記号でしかなかった三角形も、今はその角度と条件によっては風の魔法陣として発動できてしまう。それを探るのが魔法陣学の目的です」
あのときのセントリッヒ教官の、狂気に取り憑かれた笑顔は今でも忘れられない。
「知らない魔法陣が発動したら嬉しい。それだけを胸に、1年間頑張りましょう」
正直今まで戦った誰よりも怖かったし、意味がわからなかったのでボクはこの講義を受けるのを辞めた。
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