1 トレイタとヴリトゥラのダンジョン探索 1
5章までは少し時間がかかるかもです。
◆トレイタ
ファラルドの森のダンジョン、第4層。
水没した通路を前に、2人の男女が立っていた。
「よし……! 行きますぜ、姐御!」
トレイタはエルの作った水中呼吸用のマスクを装備し、かつて愛用していたナイフを構える。
その背後に立っているのはメイド姿のままのヴリトゥラだ。
「行くのは構いませんが、なぜ私はメイド服のままなのです? 本来の姿のほうが効率的に探索できるのですが」
「それは俺の覚悟の話です。俺はただの影ではなく、エル様を影から支える護衛でもありたい。なので姐御には俺の護衛対象になってもらいます。もちろん姐御が俺なんか足元に及ばないほど強いのは知っていますが、それでも俺がどこまでできるか知りてえんです!」
「わかりました。では私はこの服が傷つくまで何も手出しをしません。存分に自分の実力を試してください」
ヴリトゥラはトレイタの覚悟に頷き、解除しようとしていたメタモーフの変身を再度発動させる。
トレイタの眼前にあるのは先の見えない水没した洞窟だ。
エルから命令されたダンジョンの確保と隠蔽工作。そのために必要なダンジョンコアはこの先にある、とされている。
というのもダンジョンコアの存在自体が伝承や伝説に出てくる架空のアイテムだ。
ザンダラでの冒険者時代にいくつものダンジョンを巡ったが、そのダンジョンからコアが出たという情報はないし、コアを使ってダンジョンを改造しているという話もない。
しかし新しい主であるエルは、はっきりとその存在を認識しているかのように語ってた。
ならば存在するのだろう。背後のヴリトゥラを容易く従え、未知の魔法を簡単に与えるあの領主なら、何を知っていたとしても不思議ではない。
どれだけ先かはわからない。だがコアは必ずある。そう信じて、トレイタは水の中に飛び込んだ。
「姐御。以前調査に入ったときには、この階層には水棲の魔物はいませんでした。ですが一部のグリーンベアなんかは泳いでくるんで気をつけてください」
「はい。ですが私は護衛対象ということなので、見つけても知らないフリをしますね」
今水中でも会話ができているのは、エルがトレイタとヴリトゥラに魔力パスを繋いだからだ。
本来であれば入る前にしておくべき事実確認だが、この通信のテストを兼ねてていたためトレイタは攻略にかかるまで情報を共有していなかった。
「……早速お出ましか!」
音もなく水中を泳いでいるのはフォレストウルフの亜種。
既にこちらに気がついているようだが、地上にいたときのような高機動力はなく、ただ泳げるだけの未熟な進化体だ。
「泳げるようになっても、所詮はただのオオカミだな!」
数は3体。しかし愚直に真っ直ぐ進むだけでは、地上にいたとしても脅威ではない。
トレイタはフォレストウルフの突進を真正面から受け、その口内にナイフを滑らせる。こうすることによって硬い外皮に阻まれることなく確実なダメージを与えられる、冒険者時代から使用しているナイフ術の1つだ。
本来なら突進は回避し、その際に刃を当てていくのがセオリーではある。だが今回トレイタがそうしなかったのは、背後にいるヴリトゥラの存在だ。
護衛対象に自分と同じだけの運動能力を求めてはいけない。馬車などで守られていならともかく、生身の状態でいるのなら前衛がすべてを受け止めなければならない。
幸いにもオオカミたちはすべてトレイタに向かってきていたため対処は簡単だったが、もしヴリトゥラも狙われていたならそちらの攻撃も止める必要があるため、今回の役回りは軽装備のトレイタには大変な負担だ。
それでも彼はやり遂げようという意思で望んでいた。
「おみごとでした」
「いやいや、この程度大した事ないですよ」
ヴリトゥラは無表情に義務的に褒め、トレイタは満更でもないように頭を掻く。
だがヴリトゥラは少しだけ残念そうに首を振った。
「敵をまとめて受け持つところまではいい判断だと思います。ですが、私の元にまで血が流れてきているのは減点ですね」
普段どおりに喋っているため忘れそうになるが、ここは水中だ。
地上であれば返り血が多少飛んでも地に落ちるが、水中ではそのまま漂って薄く広がっていく。
ヴリトゥラはそのことに不満をいだいていた。
「機能的には問題ありませんが、もしエル様のドレスが汚れたのであれば、それは身を着飾るドレスとしての役割が傷ついたことにはなりませんか? 一度の失敗で即失格とはいいませんが、もっと注意して戦ってください」
「……それは無理っすよ、姐御」
トレイタは力なくぼやくが、ヴリトゥラの表情は真剣そのものだ。
自分ならそれができる。彼女の目がそう語っているように見え、トレイタは早々に彼女の護衛をするのを諦めた。
◆ヴリトゥラ
「待ってくださいよ姐御!」
「あなたが遅いのです。もっと早く身体を動かしてください」
今のヴリトゥラはメタモーフを解除した元の大蛇、ではなくそのヘビの下半身だけを解除した状態で水中を自由に泳ぎ回っている。
彼女が今の姿になったのは第5層に入ってすぐのことだ。
第5層は完全な水没状態だっただけでなく、なんと水棲の魔物まで出現していた。
そのためトレイタの健闘むなしく、護衛をするような状況ではなくなってしまったのだ。
「小魚の魔物が大量にいて前に進めねえんです……! ああクソ、こいつら服の袖から入ってきやがる!」
「はあ。あなたにはエル様から頂いた力があります。いつまでも出し渋りをしないで、腕の能力を発動すればいいでしょうに」
「それは、俺の本当の実力ではない気がして…… 俺は自分の、今まで培ってきた冒険者としての腕前で進みてえんですよ!」
トレイタは牙の生えた魚型の魔物に噛まれそうになりながらも、ナイフを振り回して着実に撃破していく。
だが数の多さはそのまま手数の多さ、ひいては被ダメージの多さにも繋がっていく。今はまだ大したダメージではないが、ヴリトゥラはもう既に彼への期待はなくなっていた。
「ではそこがあなたの限界です。トレイタ、あなたは既に様々な面でエル様の力に頼っています。水中呼吸の魔導具、私との会話のための魔力パス。自在に動かせる四肢も、あなたが勝手に機能を制限しているだけでエル様から与えられたものでしょう? それにまったくの未知であるこの第5層において、進むべき道を照らしているのは私の魔法です。わかりますか? あなたは私に先を譲った時点で、心のなかでは諦めがついているはずです」
ヴリトゥラは光源にしていた光魔法ライトボールの出力を上げ、その魔力の余波に当てられた魚型の魔物は散り散りに逃げていく。
「……助かりました。ですが、俺にも意地ってもんが……!」
「意地ですか。私にはわからない概念です。ですが、その意地の使い所は今なのですか? 今自分の信念を通して、少なからず傷ついて、それで満足なのですか? その万全ではない状態で、このダンジョンの攻略ができるのですか?」
「それは……」
「私はあなたと共にダンジョンの攻略を命じられました。そのためにはあなたのためにも力を使いましょう。しかしそれは、ただ単にお守りをしろということではないはずです。私は戦う力はあっても、ダンジョンの知識はないに等しい。あなたの意地は、そういったあなたにしかできない分野で発揮するべきではないですか?」
トレイタはなにか反論しようとしたが、空いた口には水が入ろうとしてくるだけで何も言い返せなかった。
ヴリトゥラはこの世界に作られてまだ数ヶ月にもならない存在だ。だが彼女の言葉はトレイタの元冒険者という思い上がりを挫くには十分な威力を持っていた。
「はっ、いい年したドロップアウトが、力を貰ったからっていい気になって、それなのに力を使わねえって駄々こねてこのザマか。姐御、俺を一発殴ってください」
「……意味がわかりませんが」
「自分の今の立ち位置を思い出したいんです。気合を入れ直します。そのためにも、一発思いっきりぶん殴ってください!」
トレイタはダンジョンの攻略ができると浮かれ上がっていたのだと自覚した。冒険者をやめ、盗賊に落ちて、国を捨てた。そんな元冒険者にはダンジョン攻略はまさに夢だった。
だが今いるダンジョンは夢の世界ではない。現実だ。それも死と隣り合わせの、危険な場所だ。
そんな夢から覚めるには、結局のところ暴力による痛みしかない。
そのため不器用なトレイタはヴリトゥラに折檻を願い出た。
「それであなたの気が済むなら、いいでしょう」
駆け出し冒険者時代には、よくこうやって先輩から殴られたものだ。だからこそ、エルの部下の先輩であるヴリトゥラに殴られることには意味があった。
だがトレイタには、1つだけ忘れていることがあった。
「思いっきりということでしたので、全力で耐えてください。水中なので、おそらく死ぬことはないと思いますが……」
「えっ? はっ……!?」
ヴリトゥラはエルがスキル育成目的に作り出した生体ゴーレムだ。そんな彼女が思いっきり殴るとなれば、それは最上位の物理攻撃スキルが飛んでくることにほかならない。
トレイタはヴリトゥラが右腕を振り上げるところまでは見えていた。
だが次の瞬間、目の前が真っ白に輝き、そこで意識を失った。
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