1 悪役を愛した少年
新連載です。よろしくお願いします。
ボクは悪役が好きだ。
『へっへっへ、今日からこの電気は俺サマのものだぁ!』
突然現れて、好き勝手に暴れる悪役が好きだ。
『うまい! やはり電気は発電所からの直飲みに限るわい!』
『そこまでだ! エレキ怪人! これ以上お前の好きにさせないぞ!』
『な、お前たちは! この電気は誰にも渡さんぞ!』
当然現れる正義の味方。懸命に戦うも、怪人は力及ばず散っていく。
『し、痺れる一撃……! ガクッ』
『世界の平和は、僕たちが守る!』
ああ、悪役はなんて素敵なんだろう。
好きなことを好きなだけして、そして正義の前に消えていく。理由のある、しっかりと報いを受ける、立派な最期だ。
ボクもあんなふうに自由に生きて、自由に死にたい。
悪役が羨ましい。
ささやかな夢を叶えて消えていく、余命20分にも満たない存在が、心底羨ましい。
いつからか、そんなことばかり考えるようになっていた。
エンディングが流れ始めたのでテレビを切る。明るく楽しげなダンスの歌は、きっと身体が十分に動くのなら楽しいのだろう。子供っぽい歌詞も嫌いではない。でもボクはどうしてもそれが好きになれなかった。何年もこの特撮シリーズを追っているが、エンディングだけはいつも見なかった。
そろそろ看護師の巡回が来る。日曜の朝くらい好きにさせてほしいのだけれど、ボクの病気に休みはない。
本来はこの食後の時間も寝ていないといけないのだが、ボクにとっては日曜の朝の食時の1時間だけが、本当の意味で自由な時間だった。
病室の扉がノックされ、看護師がやってくる。食事を持ってきた人は違う、知らない顔だ。新人かな? 朝なのに疲れ気味だから、夜勤の人かも。
「お薬は飲んだ?」
「うん」
「デザートのフルーツゼリーが残ってるけど、後で食べる?」
「味がわからないからいらない」
「……あっ、っすねー」
今日の担当は本当に新人だったらしい。ボクの状態はそれなりに有名だと思っていたけど、自惚れだった。気まずそうに食器を下げ、点滴や機械類を操作していく。いつものことなのでボクは気にしないが、彼女は気にするだろうか。
「からだ、拭きますね……」
「うん」
清潔に保つために看護師が服を脱がし、彼女は少しだけ息を呑む。これも慣れたものだ。
ボクの身体は両足が太ももまでしかないし、色んなところが悪いから何度手術をして全身傷だらけ。臓器もたくさん無くしたから、肺にも心臓にもいろんな機械が繋がっている。おなかの膨らみも不自然で、今食べたものがなければぺったんこだ。
満足に動かない左腕には治らない点滴の針の穴がいくつも開いていて、今も太いチューブが突き刺さっている。
食べ物の味もわからないし、食べられる量もどんどん減っている。正直なところいつまで生きていけるのかもわからない。
だからと言って絶望しているわけではなかった。というよりも、絶望なんてとうの昔に置き去りにして、何もかも諦めている。身体の痛みがなくなるのなら、病院には悪いけど、別に死んでも悔しくはない。
ひと通りの作業が終わり、看護師はそそくさと病室を出ていく。でも自由時間は帰ってこない。この後は、学校に行ったときに追いつけないと大変だからという理由で、新しい家庭教師の先生が来る。
一度も学校に行ったことはないし、行けるとも思っていないけれど。
そういえば、前の先生だった人からある言葉を教えてもらった。
因果応報、という言葉があるらしい。
それはボクが見ている特撮の話題になったときに教えてくれたもので、悪いことをすると回り回って自分に返ってくる、という意味なのだそうだ。
ボクの好きな悪役が倒されるのは、悪いことをしたらきちんと罰を受ける、というメッセージなのだとか。
そういった事情は知らないけれど、ボクはこの言葉が好きになった。悪役が、悪役として成り立つための言葉だからだ。
もしただ好き勝手するだけで倒されない悪役がいたら、それは悪役でも悪でもない。それは正義か、あるいは正義をも超えるなにかに違いない。神さまとかがそうなんだろう。
悪役は、倒されるから悪役だ。何かを成し遂げて、あるいは夢半ばで、どうあれ必ず倒される。正義の味方は悪役がいるから成り立つ。倒されるために存在するものだとしても、正義のために役立っている。病室で、ただ漠然と死を迎えるのを待つだけのボクとは大違いだ。傷だらけで機械がいっぱいついているボクも、見た目だけは悪役の怪人に見えるのに。
ボクは悪役になりたかった。
好き勝手にして死ぬ。どうせ死ぬなら、なんでもいいから自分でなにかしたい。
毎週いろんな悪事を働き、いろんな倒され方をして死ぬ。死ぬのはきっと痛いんだろう。死ぬのはきっとつらいんだろう。でも好きなことをした上で、正義の役に立って死ぬ。それはどんなに素晴らしい人生なのだろうか。
そこでふと気になった。
因果応報。生まれつき病気のボクは、こんなひどい目にあっているボクは、いったいいつ悪いことをしたのか。
そんな質問を先生にしたら、俯いたまま部屋を出て行って、その日のうちに家庭教師を辞めてしまった。
少しだけ悪いことをしたなと思っている。もしかしたらこれが悪いことなのだろうか。だとしたら順序が逆だし、こんな目に合うほどの悪事とは思えない。
そんなことを思い出していると、いつの間にかベッドの隣に見慣れない人がいた。
「ボンジュール、御機嫌如何かな?」
ひらひらと手を振る、胡散臭い笑みを貼りつけた中性的な顔の人。切り揃えられた黒い髪は光を全く反射せず、つり上がった目は赤い宝石のようで顔が浮き上がっているように見える。その服装はスーツなのに色とりどりの怪物が描かれていて、シャツの色はマーブル模様、ネクタイのかわりにトラロープを巻いていた。
胸の膨らみがあるので女性のようだけれど、声は渋い男性で、なんともチグハグな人だった。
「……新しい先生ですか?」
どう見ても医者や看護師などの病院関係者ではない。かと言って家族でもない。いや、ボクには会ったことのない兄と姉がいるらしいし、親戚の人ということもあるかもしれないけれど、今日突然知らない人が来るなら、新しい家庭教師の先生だと思ったのでそう尋ねた。
「先生、先生か。まあそれでもよかろう」
「……ああ、授業の進み具合ですね。前の先生に教えてもらったのは因数分解と、三国志と、英語検定と……」
「随分偏っているようだが、私の目的はそういうものではない」
前の先生に教えてもらっていた参考書をタブレットに表示しようとすると、新しい先生はそれを止めた。
「実は君にお知らせがあるんだ」
「なんですか?」
「落ち着いて聞いてほしいんだが、君は私が去っていった直後に心臓が異常痙攣を起こして死ぬ。原因はそこの点滴だ。きちんとクリップが締まっていないだろう? 君の身体を動かすためのお薬が、過剰に投与されている。今から君は遠足の前の日みたいに、好きな人に告白するときのように、一生で一番ドキドキしながら、確実に死ぬ」
「ふうん。どっちも経験がないから、よくわからないです。……あれ?」
先生が指さした点滴を見てもよく分からなかった。普段より減っているだろうか。どのみち左腕は動かないし、身体を起こしても点滴までは手が届かない。先生の言うとおりなら、ナースコールも間に合わないだろう。
だけどおかしなことに気がつく。いつもリズムよく落ちている点滴の薬が、空中で止まっているのだ。
「点滴が止まってる……? これって、どうなってるんですか?」
「死ぬと言われているのに、随分落ち着いている子だな、君は。他の候補者たちはすぐに取り乱して文句を言っていたぞ? 高評価10点追加だ。それはそれとして、点滴が止まっているのは私が君とお話をするために時間を止めているからだよ。動き出したらすぐに死んでしまうからね」
先生に落ち着いていると褒められたが、死ぬと言われるのには慣れている。ボクの寿命はもって数ヶ月です、と10年以上医者から言われているのだ。死ぬ覚悟なんてとっくの昔に捨ててきた。
「死ぬのは初めてですけど、手術の後に目が覚めない夢は何度も見ているので、そんな感じなのかなと思っています。……時間が止まっていても動けるなんて、なんだか不思議ですね」
「こちらの世界には時間停止の概念はあっても、そのための技術がまだ確立されていないからね。さて本題だが、私はなにも君が死ぬことだけを告げるためにやってきたわけではない」
そう言って先生は分厚い革の本を広げて見せる。それは外側は本のようだったけれど、中身はノートパソコンのようだった。
画面に映し出されているのはきれいな風景の画像と、目に優しくないギラギラしたフォント。七色の文字は『ようこそ異世界へ』と書かれている。
紙芝居のように画像をスライドさせながら、先生は語る。
「今表示されているのは、私の上司が管理しているここではない世界の風景だ。君のいる今のこの世界ほど科学技術は発達していないが、かわりに魔法と呼ばれる独自の文明がある」
「魔法…… テレビでしか見たことがないですけど、手から炎を出したり、雷を落としたりするやつですね?」
「そうだ。他にもゴーレムと呼ばれる、こちらで言うロボットを作り出す魔法や、ちょっとした怪我をすぐに直してしまうような魔法もある。話を戻すが、私は画面の向こうの、こちらではない世界から君をスカウトしに来たエージェントなのだよ。こちらよりは不自由かもしれないが、こちらにはない自由がある。そんな世界に行ってみたいと思わないかい?」
画面に写る画像は次々に変わっていく。のどかな平原、神秘的な鉱石でいっぱいの洞窟、どこまでも広がる海をゆく船、噴火する火山、鬱蒼と茂るジャングル。どれも見たことのない風景で、そのどれにも見たことのない生物が写っている。
極めつけは光る剣を振るう騎士風の男性と、それを援護する魔道士や僧侶のような女性。そして、それの前に立ちはだかる角と翼を持ったまさに悪魔と呼べる敵。
ああ、これがいい。姿形はテレビの中のものとは違っても、悪役がそこにいる。
「私は君を少しだけ知っている。悪役が、敵役が好きなんだろう?」
「はい。ボクはずっと前から、敵のほうが好きです」
「私は君のような人材を探していた。何度倒されても諦めない、何度倒されても挫けない。そんな悪の怪人になって、私たちの世界で自由に生きてみたくはないかい?」
それはこの上なく魅力的な提案だった。そして言葉巧みにボクのような弱者を利用しようとする先生が、とても輝いて見えた。ボクはそのような存在を知っていた。
「ということは、先生は悪の女幹部だったんですね!?」
「ふふ、君がそう思うのならそれでいい。さて、話は終わりだ。君が望めば、死後に君の魂はこちらの世界へと転移する。病気は当然なくなるし、身体は今よりもずっと丈夫になる。文明レベルは今よりも低いが、今の君にとっては悪い話ではないのではないかな?」
「すごい…… 異世界転生は、本当にあったんだ……!」
何人も前の家庭教師の先生から貰った、テレビ以外の唯一の娯楽である小説。その主人公は、ボクと同じように死んでしまい、異世界で冒険をしていた。
異世界で自由に生きる。誰もが一度は夢見る桃源郷。彼は正義の味方だった。ならば、ボクは悪役になろう。何度だって正義の前に立ちはだかり、何度だって敗れ去る。そんな正義のための悪役に。
憧れの世界への扉が、今まさに開かれるのだ。
「先生! ボクを、この世界に連れて行ってください!」
「君ならそう言うと思っていたよ。契約は成立だ。次に目が覚めるとき、君はあちらの世界にいる。それじゃ、アデュー」
そう言うと先生は優しく手を振りながら、煙のように消えていった。その瞬間に止まっていた時間が動き出し、それと同時に胸が急に苦しくなる。先生の言っていた心臓発作だろう。
胸の痛みに全身が震え、呼吸ができなくなる。吐く息は嫌に湿っぽく、どれだけ吸っても肺に空気が入らない。一瞬で全身がぐっしょりと汗で濡れて、涙のせいか視界がどんどんぼやけていく。身体に繋がっている機械は聞いたこともない大音量で電子音を鳴り響かせ、命の危機なのになんだか祝福のファンファーレみたいだと、どこか他人事のように頭を抜けていく。
ああ、これから死ぬんだ。同じくらいの痛みと苦しみは何度か味わったけれど、いよいよこれはダメなんだと本能でわかった。
あのとき倒れていった悪役たちも、こんな痛みと苦しみを味わっていたんだろうか。もしそうなら、少しだけ嬉しかった。
だってもしそうなら。死ぬ瞬間だけは、ボクは憧れ続けた悪役と同じになれたんだから。
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