消沈している人
石田の結婚式が終わって数日。
俺と林は相変わらず俺の部屋で一緒に生活を続けている。
「林、鍋」
「え、あ……」
グツグツうるさい鍋の火を、林は慌てて止めていた。以前のようにやけどをしなくて良かった。
そんなことを思いつつ、俺は気づいたことがあった。
最近……具体的には、石田の結婚式に参加して以降くらいからか、林の様子が少しおかしいのだ。
なんというか……いつも上の空で、声をかけても反応が鈍く、そして何より元気がない。
「大丈夫か?」
俺は尋ねるが、林の返事はない。
上の空。ここに極まれり。
……まあ、この部屋に来てからの林が、上の空でいることは申し訳ないが別に珍しいことではない。
とはいえ、だったら放っておいて良いかと言えば、そういうわけではきっとないんだろう。
夕飯を食べながら、俺は一人頭を捻っていた。
一体、どうして今林は、こんな調子なんだろう。
……わからない。
それも仕方ない。俺達の出会いは高校の時。ただその当時は、俺達の仲は険悪だった。口を聞いた回数だって程々だったのだ。
いくら今、二ヶ月ちょっと一緒に暮らしていたって、彼女の真意を読み取れるはずもない。
まあ、そもそも長い付き合いだからってその人の真意が読み取れるようになる日なんてこないのだが。
「お前、なんかあったの?」
頭の中でグチグチ考えている内に面倒くさくなった俺は、林に最近の不調の原因を尋ねてみることにした。
最初からこうすれば良かった。
わからないことがある時は素直に聞く。それが一番、わかりやすい。
「……別に」
わかりやすい、と思ったのに。
答えてくれないのなら意味がないではないか。
「そっか」
ただ、深入りはしない。
俺が逆の立場なら、話したくないことを無理やり話すように迫られたらすごく嫌だから。
自分が嫌なことは、他人にも絶対にするべきではないだろう。
「聞かないんだ」
……くっそ、この女。
そっちの気持ちを汲んで話を流したのに、頬を膨れさせて不貞腐れた態度を取りやがって。
「聞いたら教えてくれるのかよ」
「それは……それは今、関係ないじゃん」
一番関係あることだと思うんだけど?
徒労に終わるかもしれないのに。しつこく聞いた結果、気分を害するかもしれないのに。お前、今、俺に地雷を踏めって言ったの?
少しイラッとしたがまあ……高校時代のこいつに比べたら、まだマシな言い分か。
俺は落ち着くために息を吐いた。
「お前が話したくなさそうだったから、深入りしなかった。もし話したかったのなら話してくれ」
こうなったら、素直に思ったことを伝えてしまおう。
「……ごめん。話したくはないかな」
「そうか」
「うん」
「……俺関係のことか?」
話したくない、ときっぱり言われたせいで、逆にちょっと気になってしまった俺は、つい流れで口を滑らす。
ピクリ、と林は体を揺すった。わかりやすい反応だった。
「すまんな。また知らず知らずの内に迷惑をかけていたのか」
自分のこととなると、さっきまでの前提は全てひっくり返る。
俺は慌てて謝罪の言葉を口にした。
「や、止めてよ……。あんたが悪いわけじゃない」
「そんなことないだろう。俺はこう見えて、我が強いし空気も読めない」
「自分で言うな。……まあ、今の状況からも今の発言は否定出来ない」
「そうだ。だから、きっと俺が迷惑をかけたんだろう?」
「……違うから」
じゃあ、なんだって言うんだ。
林に真剣な眼差しを向けていると、チラリとこちらを覗いた林と目があって、すぐに離された。
林はバツが悪そうにそっぽを向いていた。
「……簿記」
林がつぶやく。
「簿記の勉強、捗ってないの」
簿記。
林はいつか、俺に大学復学は諦めて就職することを決意表明してきた。あの日以降、家事の合間と休息時以外の隙間時間を見つけては、資格のための勉強に明け暮れている。
……林の顔は晴れない。
多分、林の今の本当の悩みは、簿記の勉強のことではないんだろう。
……林の、今の俺への信頼度では、真意を聞くことは叶わない、か。
仕方ない。
こうなったら、信頼度をこれから少しずつでも上げていくしかないだろう。
「勉強、教えてやるよ」
そうと決まれば、信頼度を上げるため、林の困り事を解決する手助けをしようと思った。
丁度彼女がぶら下げてくれた餌に、俺は飛びかかった。
「……えぇ」
「俺じゃ不満か?」
「不満はない。けど、悪いよ」
「バカ言え。一緒に暮らしているんだ。困った時はお互い様だろ」
「……あんたってさ」
林は目を細めてそこまで言ったが、それ以上の言葉は紡がず、大きなため息を吐いた。そのため息は、俺への当てつけのようにも感じた。
「じゃあ、お願い」
「任された」
早速俺達は、夕飯を食べ終わり、食器洗いを終えた後、勉強を始めるのだった。