林恵と山本
お父さんが目を覚ましたのは、その週の金曜日のことだった。
「……おぉ、恵か」
「うん。おはよう」
「あいつはどうした」
「山本なら、明日来るよ。学校だったんだ」
「……そうか」
いつも通り仏頂面で、お父さんは言う。ただ少しだけ寂しそうに見えるのはどうしてか。
いやはや、どうやら本当に山本はお父さんに気に入られてしまったらしい。少しだけ同情をする。
翌日、あたしはお母さんと一緒に実家の最寄り駅に来ていた。
待ち人は当然、山本だ。
「お久しぶりです」
山本は到着するやいなや、お母さんにまずは挨拶をした。
「山本君。待ってたわ」
「それは僕もです」
そう言えば、こいつは意外と社交辞令は出来るんだよな。
「何だ、林?」
「別に?」
あたしは数日ぶりの山本から目を離した。
お父さんが昨日の夜目覚めたことは、山本にも伝えてあった。だからか、車内は前よりは幾分か和やかなムードが流れていた。
「お久しぶりです」
「おう。お前のことなんて全然待ってなかったけどな」
病院。お父さんはあまのじゃくなことを山本に言っていた。
それからしばらく、病室でも和やかな会話が続き、あたし達は実家に戻った。勿論、山本も我が家にお邪魔することになっていた。
「山本君、実家に帰らなくて大丈夫?」
我が家にて、お母さんは山本にそんなことを聞いていた。まったく勘弁してほしい。あたしは久しぶりに山本に会えて嬉しいというのに、追い出すようなことを言うだなんて。
あたしは少しだけ不貞腐れた顔をしていたと思う。
「えぇ、ウチは放任主義なので」
「そう。なら良いんだけど」
「お邪魔でしたか?」
「そんなわけないじゃん。ね」
思わず、あたしは二人の会話に混じってしまった。
お母さんは一瞬驚いた顔をした後、ニンマリしながら当然よ、と頷いていた。
日曜日。
お父さんも目覚めたことだし、あたしは山本と一緒に東京に帰ろうとしていた。
「じゃあね、お母さん。また何か会ったらすぐ帰って来るから」
「うん。頑張りなさい。山本君、ウチの娘、よろしくね」
「はい」
お母さんと短い会話をして、あたし達は帰りの電車に乗り込んだ。
……どうしよう。
帰りの電車の車内、あたしは迷っていた。
この前学校でカコちゃんに教えてもらった話。一体どこで、山本にそれを告げようか。
そもそも、それを告げてあたしはどうすれば良いんだろう。
謝罪か? それは間違いない。……ただ、その後は?
その後はあたしは、山本に何をすれば良いんだろう。
「良かったな。林」
車窓から外の景色を眺めながら、山本が言う。
「え?」
「お父さんが、目覚めてさ」
「……うん」
本当、こいつは……。
こいつは。
山本は、全然、まったく……素直じゃない。
それでいて、他人本位で優しくて。
……少しくらい、山本に救われてほしいと思った。
こいつは昔から、誤解されがちだから。少なくともこいつの人となりを知るあたしからくらい、報われてほしいと思ったのだ。
「ごめんね、山本」
「ん? ……別に、お前のお父さんに会うことくらい、負担じゃないぞ。むしろ、こっちこそ迷惑をまたかけたな」
「違う」
「何が違う?」
外の景色を見ていた林が、ゆっくりとあたしを見た。
「……あたし、知ったの」
「何を?」
「一年生の時の、後夜祭の件」
「……ああ」
意外だった。
当時、山本は文化祭実行委員の失態のツケを一人で背負わされて、散々酷い目に遭ったはずなのに。
それなのに山本は、過去を懐かしんでいるように見えた。
「あったなぁ、そんなこと」
「あったなって……針のむしろだったくせに、よくそんなこと言えるね」
「昔の話さ」
ああ、そうか。
……あたしは気づいた。
あたし達があの文化祭のことを過去のことと思うように、こいつもまた文化祭のことを過去のことと思っているのだろう。
「それに、挽回の機会を与えてくれたからな」
「……挽回?」
「お前、三年間で一番楽しい文化祭はどれだった?」
「え?」
山本の真意は計りかねる。でも、彼の気持ちには答えようとあたしは天を仰いだ。
そして……。
「三年の時、かな」
「そっか」
嬉しそうに、山本は微笑んだ。
「お前、三年生の時の文化祭実行委員長が誰か、知っているか?」
「え? 灯里じゃないの?」
開会式。閉会式。後夜祭。
文化祭の公の場で司会を務めたのは灯里だった。だからあたしは勝手に、灯里が文化祭実行委員長だと思っていたのだが……この言い振りは。
「……最初は面倒ごと押し付けやがってって思ってた。だけど、後になってわかったよ。加古川先生は多分、俺に挽回のチャンスをくれたんだ」
この前、あたしはカコちゃんから一年生の時の文化祭実行委員の仕事ぶりを教えてもらった。
……今思うとおかしい。
一年生の時の文化祭は、先生側の不手際だとカコちゃんは断じた。要は、先生側が文化祭の管理を怠ったからああなったとカコちゃんは言っていたのだ。
……でも、だったらどうしてカコちゃんはあんなに、一年時の文化祭実行委員の仕事ぶりに精通していたんだ?
ああ、そうか。
山本だけじゃなかったんだ。
カコちゃんもまた……。
「あんただったんだ」
「ああ」
カコちゃんにしたら、そりゃあ山本を文化祭実行委員長に据えるだろう。
一年時の文化祭の経緯を知って、同情したからだけではない。
そこまで仕事が出来る山本だったら、過去一の文化祭に出来ると確信していたはずだからだ。
だから、三年時の文化祭は、山本主導となって準備が行われたんだ。
「……山本?」
「うん?」
「あたし、贔屓目なしで評価したからね」
「わかってるよ」
山本は微笑んでいた。
『一番大切なことは、マインドを変えられるような体験をすること。そんな体験をするには、まず物事から逃げず、まっすぐ見据えて戦うことが必要だと俺は思っている。逆にそれが出来れば、二周目なんて体験せずとも、人生は素晴らしいものになるに違いない』
あたしはまた、いつかの山本の発言を思い出す。
多分山本は一年時にまっすぐ文化祭と向き合ったからこそ……三年時の文化祭を成功に導けたのだろう。
……羨ましいと思った。
率直に、羨ましいと思ったんだ。
失敗を糧に、成功体験を味わう。
それは、一度失敗した過去があるからこそ余計に……。
不安の連続だろう。辛いことも少なくないだろう。
でも、そういう不安やストレスを乗り越えて、大成功を収めた時はきっと……きっと。
何物にも代えがたい、素晴らしい体験をすることが出来るのだろう。
「……あたし、もっとまっすぐ見据えようと思う」
「ん? ……ああ」
曖昧な返事を、山本は返した。
多分彼は、今あたしが何に対する決意表明をしたか、見当も付いていないのだろう。
あたしは適当な山本に微笑んで、体を少しだけ彼に近づけた。
六章完結です。
凄いこと言っていい?
山本の下の名前って何?
評価、ブクマ、感想よろしくお願いします!!!




