林恵の帰宅
シルバーウィークが終わった頃、あたしは一人地元に帰省する電車に乗っていた。
お父さんの容態が急変した。お母さんからそんな一報を受けたあたしは、つい先日まで顔も見たくなかった相手のことを思い、顔を真っ青に染めていた。
山本が優しくあたしの介抱をしてくれる中、あたしは電車のチケットを取り、翌日始発の特急で地元に帰っていた。
山本は、バイトや講義が続いて一緒に帰省は出来なかった。それを伝える時、彼がとても申し訳無さそうで、辛そうな顔をしていたことが印象的だった。
「あら、山本君はいないのね」
あたしが地元に到着し、お母さんの車に乗り込む時、お母さんはそんなことを言っていた。
「向こうも忙しそうだったから」
「そう。……そっか」
「もしかして、あいつに会いたかったの?」
「うん。お父さんがね」
車内に変な空気が流れた。
「恵とあいつはどうだーって、最近あの人、見舞いに行く度に言ってくるんだよ? 元気じゃない? って適当に言うと、いつもへそを曲げるの。なんだ。あいつ、近況報告も碌によこさないのか。今あいつに電話してみろ。恵でもいいからって。……正直、ちょっと勘弁してほしいわ」
「……あはは」
乾いた笑みがを浮かべることしか出来なかった。
高校時代までは全然知らなかったが、そう聞くとあたしの父は……あまのじゃくでワガママな人だ。
病院に着くと、お父さんは静かに眠っていた。
思わず、死んでしまったのではないかと思うくらい、安らかに眠っていた。
そう言えば、この前までお父さんは四人部屋で生活をしていたのに、今は個室にいる。
嫌な予感が胸を襲った。
「ああ、林さん」
「あ、先生。どうも」
「……こんにちは」
まもなく、病室に担当医師がやってきた。
「それで先生、ウチの主人の状況は?」
担当医師は、深刻そうな顔をしていた。
あたしもお母さんも、少し息を飲んだ。
「幸い、峠は超えましたね」
「……そうですか」
わかりやすく、お母さんは安堵していた。
多分、お母さんと同じくらい、声には出さないがあたしも、安心していたことだろう。
「ただ、依然予断を許さない状態です。……それだけは、覚えておいてください」
担当医師が持ち場を離れた後、あたし達はしばらくお父さんの部屋の整理をしていた。大体一時間くらいは滞在しただろうが、結局この日、お父さんが目を覚ますことはなかった。
帰宅の車内。
あたしは、担当医師の言い含めたセリフが頭から離れない。
「お母さん、あたし何日かこっちにいようかな」
「山本君はいいの?」
「……うん。あいつも少しくらいなら、許してくれるよ」
多分、山本はそもそも、あたしがこっちの家に何日滞在しようが、怒ることはないと思う。
あたしは家に帰宅するやいなや、スマホで山本にメッセージを送った。後で電話する。出来れば内容は、口でちゃんと伝えたかった。
五分後、山本から折り返しの電話がかかってきた。
「もしもし」
『ああ、林か。大丈夫か?』
山本の声は、いつもより明るい。多分、あたしに気を遣って明るく振る舞っている。
「うん。あたし……も、お父さんも、とりあえず大丈夫」
『……それは良かった』
「心配かけたね」
『バカ言え。俺はお前の同居人だ。それくらいの心配、して当然のことだろう』
「……山本、あたししばらく、ウチにいていい?」
山本の返事がなくなった。
「少しだけ。……お父さんが目覚めるまでは、ちょっと心配なんだ」
『俺のことは気にするな。気が済むまでそっちにいてくれ。……俺も、週末になったら見舞いに行きたいが、大丈夫か?』
「え?」
『余計な心労をかけるかもしれないだろ?』
その言葉に、あたしは少しおかしいと思って苦笑した。
お父さんは山本に会いたがっている、というのに。どこまでもこいつは、気が利く奴だ。
「……大丈夫。お父さんも会いたがっているから、是非来てよ」
『ああ、ありがとう』
「……お礼を言うのは」
あたしの方だ。
そう言いかけて、あたしは止めた。
……だって。
だって、そんなこと言うの、山本のことを意識しているみたいで、恥ずかしいじゃん。
……まあ、実際意識しまくってるんだけど。
「うん。じゃあまたね」
それからはただの雑談を十分くらいして、あたしは山本との電話を切った。
……不思議な気分だった。
一旦、離れたからだろうか。
早く山本の来る週末にならないかな。
あたしは、そんなことを考えていた。
今、あたしの中には満たされた気持ちがある。
……だけど、あたしは思い出す。
今、あたしを満たしてくれた山本に、あたしはかつて公開処刑という過ちを犯したことを。
いきなりのお父さんの危篤でそれどころではなくなってしまったが……少し気持ちが楽になって、あたしはまた苦しくなる。
他でもない山本に酷いことをしてしまったと、あたしは苦しくなっているのだ。
前田との再会から、数日が経った。
あたしは一つ、気づいたことがある。
それは……あの後夜祭、中止になったのは山本のせいではないということだ。
件の出来事の確信を掴めたわけではない。
ただ、前提が間違っていたんだと気づいたのだ。
そもそもの事情を考えた。
どうして、後夜祭の中止が山本のせいだとなったのか。
伝聞した話をまとめると、後夜祭中止の原因が山本のせいになったのは、キャンプファイヤーの木材発注という彼がすべき仕事を、彼が忘れたからだ。
つまり、彼が本来すべき仕事を忘れたから、その一件は彼のせいとして扱われている。
……でも、それは本当に正しいことなのか?
だって、そうだろう。
文化祭実行委員は組織であり、個々人のスタンドプレーに任せる団体ではない。
普通の団体であれば、仕事のミスの責任の所在が担当レベルに落ち着くことはありえない。
担当が起こした失態は委員長の責任であり、委員長の責任は先生の責任になるはずなんだ。
……なのに、あの一件は結果として山本が責められる形となった。
それは何故かと言えば……。
『だってあいつ、たまに実行委員の仕事に行くといつも先輩に偉そうに文句言ってたぜ?』
一年時の文化祭実行委員が、あまりに稚拙で幼稚な組織だったから。
『と、とにかくさ。あいつは仲間内でワイワイやっている中、いきなり先輩達に偉そうに物申して、場の空気を悪くするそんな奴だったんだ! だから皆思ったわけだよ。あいつが木材の発注を忘れたって噂が流れた時、あいつが自分の思い通りに行かなかったことへの腹いせでそれをやったって』
皆が、和を乱す山本を疎ましく思っていたから。
そして……。
『ああ、俺がキャンプファイヤーの木材を発注するのを忘れてたんだ。悪いな』
山本が謝罪をしたから。
「……皆、本当に最低だ」
文化祭実行委員の連中は、一番に非を認めてくれた山本を見て安堵したことだろう。
彼が進んで矢面に立ってくれたおかげで、自分に責任の追求が及ぶことはなくなったのだから。
本当、最低な連中だ。
助かったと思っていたんだろう。
山本が全ての非を受け止めてくれて。それで、のうのうと平凡に、それからの学生生活を連中は謳歌したのだ。
「あたしも、最低だ……」
でも結局、あたしには文化祭実行委員の連中に対して憤り、文句を言う資格もない。
事実を調べもせず、目の前にいる山本に責任追求したあたしだって、同罪なんだ。
だからこれ以上、内心で湧き上がる怒りに、身を任せてはいけないと思った。
今、あたしには怒り以上に……気になったこともあったのだ。
「どうして山本は、あの時、自分のせいだなんて言ったんだろう?」
あたしは思う。
あの時、文化祭翌日、山本はどうしてあたしに自分のせいだなんて言ったんだろう。
そう言わなければあいつは……。
いや、結局あたしが凄んで言わされていたかもしれない。
けど、高校を卒業し、大学を辞めて、再会した山本を見ていて思ったこともある。
あいつはあれで、結構我が強い。
もし、自分に非がないようなことであれば、あいつは謝罪なんて絶対にしない。
でもあいつは謝罪をした。
それは、彼にも彼なりに責任の所在が自分にもあると思っていたからか。
……それはあると思う。
あいつは優しいから。だから、自分から泥を被るような真似も平気で出来そうだ。
……ただ、そうか。
泥を被る。
後夜祭中止の出来事を思い出して以降、あたしはずっと違和感を抱えていた。
あいつのことを、高校時代以上によく知れて……そうして好意まで抱かされたのだから、抱えた違和感だ。
思い出した言葉がある。
『今後、もしお前に何かあった時、皆はお前と関わりがあった俺に言うわけだ。どうして彼女を止めなかったのか、と。そんな時に、俺は止めたんだ、と言えるかと言えないかで、周囲の見方は変わるだろ』
前の恋人のところへ戻るとあたしが言った時、山本は屁理屈っぽい口調でそんなことを言ってあたしを止めた。
前田の発言を思い出すと、一年時の山本は、文化祭実行委員でよく揉め事を起こしていたという。
それがどんな揉め事か。
断片的な事情しか知らないあたしだが、何となく見当ははつく。
多分、山本は指摘していたんだ。文化祭実行委員の改善点を。
前田くらいからしか内容を聞いていないあたしでもわかる。
無断欠席。
モチベーションの低さ。
そして、木材の発注漏れ。
多分、一年時の文化祭実行委員の作業環境は最悪だっただろう。
山本は危機感を抱いていたんだ。
このままでは、何かしらのミスが必ず起こる。
だから彼は声を上げた。サボるような人もいるモチベーションの低い環境で、毎日毎日声を上げ続けた。
しかし結局、環境は変わらずミスが起きた。
後夜祭中止だなんてミスは多分……考えうる限りでも最悪のミスだろう。
前の山本の発言を借りるなら、山本はそのミスに対して責任逃れが出来たはずだ。
ミスが露呈する前から、山本は環境の悪さに気づいて改善を周囲に求めていた。その中で起きたミスなのだから、山本は、そら見たことか、と周囲に言えたはずなんだ。
あの時、あたしに謝ることなんかせず、あたしと一緒に他の文化祭実行委員を断罪することが出来たはずなんだ……!
なのに、彼はそれをしなかった。
……それは一体、どうしてなんだろう。
「これからどうしよう」
前田の時みたいに、文化祭実行委員を調べ上げて、一人一人に会って話を聞くことは出来る。
でも、多分それで当時の真相は何ら掴むことは出来ないだろう。
だって、連中は皆、山本に責任を押し付けて逃げ切った連中なのだから。
今更その話を掘り起こされたって、忘れた、だとか、知らねえよ、だとか。とにかくまともな回答を得られる気がしなかった。
……だったら。
そうだ。
あたしは気づいた。
どうせ地元に帰ってきたんだ。
どうせ、しばらく実家にいるんだ。
あたしは、明日母校に訪問しようと思い至った。
15,000pt超え、ありがとうございますの前倒し投稿。
またストックが貯まらない。怖い。
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