林恵の再会①
一夜明けた日の昼過ぎ。
あたしのスマホが震える。
「なんか通知きたぞー」
「ん」
あたしは、食器洗いに勤しみながら山本の返事に応対した。
山本は、昼ご飯を食べ終わったら早々に掃除を開始した。ご飯を食べる前、テレビの上の方を指でツーっとなぞり、わかりやすい仏頂面をしていたから、多分それが掃除開始の原因だ。
まあ、テレビの上に溜まったらしい埃は、あたしの目では視認出来ない程度のものしかない。指でなぞって、神経質な山本アイを通したからこそ、検閲に引っかかった格好だ。
食器洗い終わり、あたしは手を拭いてリビングに戻った。
「あんた、どこまで掃除しているの?」
「埃の根源から叩く。それが一番確実で、手っ取り早い」
神経質、というか病的な男の行動に、あたしは辟易としたため息を吐いてスマホを手にした。
あたしのスマホを震わせた相手は、灯里だった。
『前田君の連絡先わかったよ』
そのメッセージの後、前田の連絡先がメッセージとして記載されている。
思えば灯里は、前田の連絡先を横流しすること、彼から許可を得たのだろうか。
『前田から許可取ったの?』
『友達経由で取ってるよ』
『なら良かった』
『即返事してきたそうだから、多分下心があるね』
ニコニコマークのスタンプを灯里は押してきたが、それは少しあたしの気を重くする話だ。
『そう。とにかく連絡して、明日会えないか聞いてみるよ』
『うん。頑張って』
あたしは少し意表を突かれた。
今回の件、灯里はきっとあたしの行動に同行してくれると勝手に思っていたからだ。突き放すような激励に、面食らっていた。
……うわあ、どうしよう。
今回の件はあの掃除バカに関わる内容だから、あいつは絶対に誘えないし。
「うっひょー、埃掃除機で吸うのたのしー!」
……なんかまた、奇声を発しているし。
それでいて灯里も来てくれる気がないのであれば、少し不安……というか、恐怖だ。
下心を持った相手を前に、あたしは一人臆せず会話出来るだろうか。
まあ出来るか。
そう言えばあたし、高校時代は女王様だなんて呼ばれるくらい勝ち気な性格をしているんだった。
前田だって、当時のあたしは知っているだろうし、睨みつければ臆するだろう。
あたしは早速、前田にメッセージを送った。
丁度シルバーウィーク。暇だったのか、前田の返事はすごく早い。
高速会話の末、あたしは明日、あいつとの約束を取り付けることに成功した。
「山本」
「ん?」
「あたし、明日ちょっと出掛けてくる」
「そっか。どこにだ?」
……そう言えば、あたしが散々、お出掛けの際に山本も同行させてきたから……山本は、あたしが出掛ける際には自分も付いていくもんだと思っているんだった。
うわあ、どうしよう。
前田のところに行くって言えば、こいつは付いてくるって言うのかな。
山本の言いそうなこと。
え、誰? とかかな。
……あいつ、高校時代のクラスメイトの顔、覚えているのかな?
「林?」
……ど、どうしよう。
勿論、明日お出掛けしようと思った理由は山本へは伝えられない。
その事情は話さず、男のところにだけ行くと伝えるか? いや、それは絶対にイヤだ。
「……は」
口が重そうなあたしに、山本は小首を傾げた。
「ハロワ」
「……ああ」
珍しくまともな嘘を付けた気がした。
「そっか。頑張れよ」
そして、山本はあたしを激励した。好きな人にされる配慮というのは、どうしてこう胸を熱くするのか。
ただまもなく、あたしはそんな好きな人に嘘を付いたことを自覚し、少し落ち込むのだった。
翌日。
「夕飯は冷蔵庫の中だから。長風呂しちゃ駄目だから。洗濯機を回す時はお風呂の残り湯でやって。後、掃除は一日一時間まで!」
「オカンか」
昼ご飯を食べた後、あたしは家を飛び出した。
前田との待ち合わせ場所は、新宿駅のチェーン店の喫茶店だ。
無論、そこで聞けたいころが聞ければ、さっさと帰るつもりだった。
「おーい、林ー!」
待ち合わせ場所。
待ち合わせ時間五分前、あたしは喫茶店に入店すると、大声が聞こえた。
浮かれた様子であたしに手を振る男が一人。前田だった。
早速あたしは、前田に少し呆れた。
喫茶店で大声をあげて周りの迷惑を考えないなんて、モラルのない男だ。
ただ、高校時代のあたしも似たようなことをしていたから、声に出して彼を咎めようとは思わなかった。
「久しぶり」
「ん。久しぶり」
簡素な挨拶をした。
前田との高校時代の付き合いは……そんな簡素な挨拶すら勿体ないくらい、全然なかった。
「まず、飲み物なんか頼もうぜ。俺ここに来るまでに汗掻いちゃって。冷たいもの飲みたいわ」
「そうだね。そうしよう」
「ああ、林は座ってろよ。何飲む?」
「……別に良いよ。あたしも行く」
「良いから。女は男に奢られてろよ」
……ああ。
ああ、駄目だ。
この手の配慮のない上から目線は、駄目だ。虫唾が走る。
どうしてか。
多分、前の恋人を思い出すからだ。
「良いから。ほら行くよ」
「え、ああ……うん」
頑ななあたしの態度に、さっきまでの威勢はどこへやら。前田はシュンとした態度であたしに続いた。
そう言えば、前田は髪を茶髪に染めていた。格好もチャラついている。
「あんた、サッカーは?」
「ん? 辞めたよ。だってさ、練習は辛いし、親に無理やり始めさせられたことだし。良いことなんて一個もなかったからさ」
「……親を悲しませるようなこと、するんじゃないよ」
また、前田は静まり返った。
「ま、あたしが言えた口じゃないんだけどさ」
むしろ、あたしの反抗期はこいつなんかよりよっぽど酷かったもんだろう。
「ごめんね。忘れて」
「……うん」
もう、再会当時の威勢は、前田からは感じられなかった。
あたし達はレジでコーヒーを頼み合って、席に戻った。
ガムシロップとミルクを入れる前田を見ながら、あたしはそろそろ本題に入ろうと思った。
「あんたさ、一年の時文化祭実行委員だったんだっけ?」
「え、ああ、そうだな」
「実はあたし、あの時の文化祭のことで気になっていることがあってさ。それであんたと会わせてもらったわけ」
「……ああ、そうなんだ」
「うん。単刀直入に聞くんだけど、あの時の文化祭実行委員での仕事でなにか問題があったりした?」
「……えぇ? そうだなあ」
前田は腕を組んで天を仰いだ。
少なくとも、後夜祭が中止になるって大ニュースは会ったはずなのに。前田の口からそんな事件さえ漏れる様子はない。
「まあ、具体的には後夜祭のことが知りたいんだけど」
「後夜祭?」
「そう。あの年さ、後夜祭中止になったじゃん」
「ああ、そう言えば」
……自分も文化祭実行委員で当事者の立場だったはずなのに、さっきからこの男の態度は何なんだ。完全に他人事。一体、こいつはあの時、何をしていたんだ。
……こいつを咎める権利があたしにはないことを思い出し、あたしは必死に自分の気持ちを鎮めようとしていた。
「あれ確か、山本って奴のせいなんだよな。後夜祭がなくなったの」
「……そうなの?」
「ああ。つか、お前だって聞いたことある噂だろ。あいつが木材の発注忘れたから、ああなったって」
「あんた、文化祭実行委員だったのに噂レベルの話しかしないの? 真相知っているんじゃないの」
前田は黙った。
その通りだとでも思ったのだろうか。
「いやでも、あいつならありえる話だと思っててさ。だってあいつ、たまに実行委員の仕事に行くといつも先輩に偉そうに文句言ってたぜ?」
先輩と衝突する山本の姿は、まあ想像が付いた。
「たまに?」
ただ、他にあたしは前田の発言で気になった部分があった。
「え? ……ああ、そりゃあ、毎日行っていたわけじゃないさ。部活……とか、それなりに忙しかったから」
「文化祭準備期間は部活禁止だったでしょ」
「……お、俺以外の奴だってそんな感じだったぞ?」
だから、自分は悪くない、と。
「と、とにかくさ。あいつは仲間内でワイワイやっている中、いきなり先輩達に偉そうに物申して、場の空気を悪くするそんな奴だったんだ! だから皆思ったわけだよ。あいつが木材の発注を忘れたって噂が流れた時、あいつが自分の思い通りに行かなかったことへの腹いせでそれをやったって」
「……そう」
前田の言い分は、よくわかった。
「あたし、そろそろ帰るね」
「え?」
「今日はありがと。貴重な話が聞けたよ」
「え? え……お、おいっ」
前田の声にも気を留めず、あたしは喫茶店を後にした。
後はもう、帰宅するだけ。それだけだ。
……内心では、気持ちはぐちゃぐちゃだった。
当時の山本の思惑だとか、その辺がわからないから整理が付かない。それがこの状況の原因だ。
ただ、わかっていることが一つ。
前田はあの木材発注漏れの原因が、山本の腹いせだと言ったが……あの山本に限ってそれはない。
自分の言い分を重ねて、考えてみてほしいものだ。
前田は、自分の非を絶対に認めようとしなかった。
なのに山本はあの時、自らの非を認めて謝罪をしたんだ。
……もし、本当に腹いせでそれをやったとして、山本はどうして周囲に謝罪を繰り返す必要があったのか。
普通だったら。
普通の子供だったら……癇癪を起こしたように、前田のように責任転嫁をするのだ。
……だからわかる。
山本に限って、そんなことは絶対にしない。
それだけは、わかるのだ。
やっぱバウアーって凄いわ。
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