ラーメン屋
「久しぶりだよね。こうやって夜一緒に歩くのも」
笠原を背負いながら、俺は夜道を歩く。耳元にある笠原の口から、こそばゆい声が耳に届く。
ふいに、俺は夜空を見上げた。
田舎とは違う、都心の住宅街は、あまり星空が見えない。田舎に住んでいた頃は星空をありがたがったことなんてなかったのに、失ってから初めて、人は尊さに気付くものなんだなとしみじみと思った。
「そうだったか」
「うわー、酷い。高校時代の君だったら考えられないようなことを言ってる」
「そりゃあ、今は恋人じゃないし」
「……アハハ。薄情だなあ。恋人だった時は、わざわざあたしが来るまで駅のホームで待っていてくれたのに」
「まあなあ。そう言えばお前、体育で足をくじいてさ。学校最寄りの駅まで一人、足を引きずって来たことあったよな」
「あったあった。あの時の山本君、顔面蒼白でさ。やった甲斐があったよ」
「俺をイジるためだけに痛い思いしたの? 中々クレイジーだな」
「でしょ? 一刻も早く君に会いたくてさ、頑張った」
俺は黙った。
そんな時くらいしか、俺と一刻も早く会いたい時はなかった、ということか?
それとも……。
これ以上はいけないと思って、俺は一旦足元を見た。そうして顔を上げた。
「お前、腹減ってないの?」
「どうして?」
「さっき、全然何も食ってなかったじゃん」
「合コンだからさ、あんまりはしたなく思われたくないじゃん?」
「その割に一次会で切り上げたじゃねえか。奴らが少し可哀想だ」
「いいの。君に、はしたなく思われたくなかっただけだし」
俺はもう一度顔を下げた。今の顔は多分、我ながら、笠原には見せられたものではない。
「……どっかで腹ごしらえするか」
「あっ、じゃああたしラーメン食べたい」
「おい」
さっきのはしたない云々の話はどこ行った?
「いいじゃん。女の子だけだと、ラーメン屋って入りづらいの。恋人っぽい人と一緒に行けば、ちょっと楽」
「そっすか」
言葉少なく、俺は返事を返した。
……そう言えば。
「お前、もう酔った振りはしなくていいのか?」
「うん。もう大丈夫」
「……いくら一次会で切り上げたかったからってお前、酔った振りまでする必要はないんじゃないのか?」
「あれ、もしかして一次会、切り上げられたくなかった?」
「そうは言ってない」
「えー、嘘。だって入江ちゃんとすっごい仲良く話してたじゃん」
「それはそれ。これはこれ」
「……へー、そうなんだ」
「お前、俺の言葉を信じてないな?」
「そんなことないよ?」
「信じてないじゃないか」
笠原という女は、いつだって人当たりの良い言葉を使う。彼女の言葉は信じてはいけない。それは、たった三ヶ月ながら彼女と交際をした俺だからわかることだ。
「本当だ。今、俺は誰かのせいで傷心の身でな。新しい恋なんてする気はない」
そう言えば、そういう意味だと笠原が酔った振りをしたのはとても良いタイミングだった。あのまま話が発展して、もし二次会をやろうと向こうに提案されたら、俺はその話に乗っかっていたかもしれない。筋トレ話のためだけに。
「……誰かって、誰のことだろうね」
「誰だろうな」
しばらくの無言。
俺の足音だけが、住宅街の道に響く。
「お前、酔ってないならそろそろ降りろよ」
「ヤ」
「……そっすか」
「うんっ」
「……そう言えば、駅前にラーメン屋があったな」
「じゃあ、そこに行こうか」
「わかった」
俺は笠原を背負ったまま、道を歩く。
大学の最寄り駅の前にたどり着いたのは、それから十分後。俺が笠原をおろせたのは、件のラーメン屋にたどり着いたそこから更に五分後だった。
彼女とは違い、俺はさっきの居酒屋で結構な量のご飯を食べた。
そのせいで腹は結構満杯だったが、彼女が隣にいると少しその満腹感も薄らいだ気がした。
「お前、普通盛りなんて食べれるの?」
食券を買う時、笠原の頼んだ商品に俺は思わず尋ねた。
「うん。あ、でも……食べれなかったら残り食べてね?」
「……えぇ」
「ね?」
「……わかった」
「うん。あたしが残したら間接キスになるね」
「そっすね」
ドギマギしながら、俺達は狭いラーメン屋のカウンター席に隣同士で腰を落とした。