林恵のこれから
ヒロイン視点となります(四回目)
帰省した日の夜。
あたしは久しぶりの我が家で一泊することになった。
「ほこりっぽい」
久しぶりの自分の部屋は、半年近く部屋を空けたせいかほこりっぽい。山本を絶対にこの部屋に入らせるわけにはいかないと思った。もし部屋に入れたら最後、綺麗になるまで帰らないとか駄々をこねそうだ。あたしは現状フリーターなので問題ないが、あいつには学業がある。さすがに、あいつは帰らないとまずいだろう。
「お風呂、ありがとうございました」
一階で山本の声がした。病院で遅くまで、山本はお父さんの看病を手伝ってくれた。
結果、母の許しを得て、山本は今晩我が家に泊まっていくことになった。
一階から、楽しそうに雑談をする声が聞こえてくる。あいつ、偏屈なところはあるがコミュニケーションに難があるわけじゃないから……普通にお母さんも楽しそうな声を飛ばしている。
一階に降りようか、あたしは少し迷っていた。
正直、気まずい。
お母さん相手に思っているわけではない。あいつに対して思っている。最近のあたしは本当におかしい。内心に秘めた思いを自覚してから、あいつに目を合わせることさえ出来ずにいる。
こんなこと、本当に……生まれて初めてだ。本当、女王様だなんて仇名が滑稽に思えて仕方がない。
今日はもう寝ちゃおうかな。
そう思いベッドに寝転がったが、そう言えばお風呂にも入っていないことを思い出した。
そろそろーっと抜き足差し足で、あたしは一階のお風呂に向かうことにした。
ガラガラと音を立てて、リビングと廊下を仕切る扉が開いた。
「おう。林」
「ひゃぁっ」
自宅で、我ながら情けない声が漏れた。顔が熱い。目を合わせられない。
タイミング悪く部屋から出てきたのは、山本だった。
「……どったの」
「お風呂、入ろうと思っただけ」
「そっか。先に頂いた。悪かったな」
「別に。気にしないで」
「……うん。じゃあ俺、そろそろ寝ようかな」
「は、早いんね」
「おう。どうせなら明日、この辺散歩したいじゃないか」
「……ふうん」
その散歩に一緒に行きたいな、と思った。でも、今それを頼み込むと、赤子のおねだりみたいな言い方になりそうで止めた。
それに……山本は、デリカシーを要さない部分は結構自分本位だから、一緒に行くのを拒む線は全然ありえる。もし断られた時のことを考えたらやばい。最悪癇癪を起こしかねない。
「お前も行くか?」
「……え?」
願ってもない誘いだった。まさか向こうから言ってくれるとは。行きたい。それが本音だ。
……だけど。
「だ、大丈夫」
「あ、そう?」
……仕方ないじゃない。
こいつと二人きりで散歩なんて、幸せすぎて死ぬ。死ねるじゃない。死ぬ。
本当、よく今日まで二人で一緒の部屋で暮らせていたと思う。
……考えないようにしていたのに、思い出してしまった。
あたし、これからどうしよう?
チャポン、と山本の部屋より広い浴槽に浸かりながら、あたしは一人考えていた。
あたしのこれから。
山本の部屋に戻るのか。
それとも、実家に残るのか。
山本は言ってくれた。
大事なのは山本の意思ではなく、あたしの意思だと。あたしは……正直。
……そう言えば、山本は一体、どうしてあたしに実家に帰るように願い出たのだろう?
さっきの話だと、タイミングが良かったからだと言っていたが……裏があるような気がするのはどうしてか。
お風呂上がり、あたしはキッチンへと足を運んだ。熱い湯に浸かりすぎた。少し、冷たい麦茶でも飲みたかった。
「あら」
「あ、お母さん……」
キッチンにはお母さんがいた。
手にはタブレット。見ていたのはスカッと系動画。早口ボイスが妙に耳に馴染む。
「いい趣味してるね」
「あんたも見るの?」
「バリバリ」
「そうなの。良いわよね。こんな馬鹿な人間がこの世の中にはいるんだって思えるもの」
「わかりみが深い」
……そう言えば。
「そう言えば、山本はスカッと系動画を見ている時はちょっと嫌そうな顔をしてる」
「へえ、そう」
「うん。それ以外だと……勉強中も良く嫌そうな顔してる。ひな壇芸人にリアクションを取らせて、動画サイトのおもしろ動画を垂れ流すだけの番組にも嫌そうな顔してる。唯一楽しそうな顔してるの、掃除の時くらいだよ」
「掃除好きなの? 今どき珍しい」
「好きじゃない。あれは執着だよ。目についた掃除用具ひたすら買い漁ってさ。買った商品には必ず長文レビューを書くの。で、どんなに良かった商品でも強引にあらを探して星は絶対に四までしかつけない。今後に期待って言ってね。正直、ちょっと引く」
「えー、なにそれおもしろ」
しばらくあたし達は、山本の奇行の話題で盛り上がった。
「あんた、山本君のこと良く見てるのね」
「そ、そりゃあ一緒に暮らしてたら嫌でも見えるよっ!??」
「……そうね。一緒に暮らしていたら、ね」
お母さんはしみじみとした顔をしていた。丁度、スカッと系動画が終わる。
「山本君、明日は何時に帰るって?」
「……え?」
あたしは俯いて、顔を横に振った。
「知らない」
「そう。……で、あんたはどうするの?」
「何を?」
「ウチに残るか。向こうに行くか」
あたしは黙った。
……普通。普通なら、お父さんの病状を考えたら。最近まで疎遠だった家族事情を鑑みるなら。
あたしは、実家に残るべきなんだろう。
「……まあ、都心に出るのはちょっと不便だけどさ。ここはここで、住み慣れた土地だし、衣食住を心配する必要もないし、お母さんもいるし。……お父さんもいるもんね」
……でも。
でも、あたしは……。
「ごめん。でもあたし、山本のところにいたい」
「……そう」
お母さんは微笑んでいた。
「好きなんだ、山本君のこと」
「しゅ、しゅきじゃないしっ!」
顔を真っ赤にしてあたしは否定する。だけど、狼狽えすぎたその姿に、お母さんは大層楽しそうに笑いだした。
「……素敵な出会いじゃない。大事にしなさいな。中々いないわよ。あのツンデレお父さんと最初から打ち解けられた人」
「あ、あれ打ち解けられてたの?」
「最高のコミュニケーションでしょ」
「あれがいいの? あの人は」
「……つっけんどんしている人だけどさ。あの人が一番喜ぶことって、あんたのことを褒めてもらえることなのよ?」
「……そうなの?」
「えぇ」
「……そうなんだ」
全然、知らなかった。
今まであたし、全然お父さんのこと知ろうとしてなかったんだ、と実感させられる。
罪悪感もある。
あんな仕打ちをしたのに、再びあたしは親元を離れようとして……。
でも。それでも、あたしは山本とまだ一緒にいたい。
「意思は固いようねえ」
「……うん。ごめんね」
「いいわよ。普通のことでしょ。親元を離れるだなんて。むしろ、ずっとここにいられる方が困る。いつか人は、自立と責任を取らないといけなくなるの。あんたは、それが今なのよ」
「……うん」
「まああたしは良いけど、彼はいいの? あなた達一応、まだ友達なんでしょ?」
「うぇぁ……い、痛いところ突かないでよ」
まあ、それは憂い事でもあるのは事実。
……でも、山本は前、あたしに言ってくれたんだ。山本の部屋に残るか、一番大事なことは、あたしの気持ちだって。
山本ならきっと……。
「まあ、とりあえず良かったわ。あなたが元気そうで。こうして再会も出来たしね」
「……うん」
「うん。……灯里ちゃんに相談して、正解だったわ。本当に」
「……え?」
「あなた達、昔から仲良かったものね。……恵?」
灯里の名前が出て、あたしの中に邪な感情が生まれた。
お母さんは、灯里にあたしのことを相談していた?
そんな頃に、あたしは山本に実家に帰るよう願い出られた?
……タイミングが、あまりに良すぎやしないだろうか?
いや、わからない。
山本がさっき言っていた通り、あいつはあたしに実家に帰れとは、再会を果たした日から言っていた。タイミングの件は事実なんだろう。
……でも。
思い出してしまう。
思い出したくないのに、思い出してしまう。
……昔、二人が付き合っていたって事実を。
……もしかして。
実は、二人はまた交際を再開したのではないだろうか?
二人の仲は、二人の会話を聞いているだけで嫌って程わかる。わかってしまう。
そんな二人が交際を再開したらあたしは……。
あたしは、二人にとっておじゃま虫に違いない。
……あたしを追い出すために、あたしを実家に戻そうって魂胆だったの?
あたしはもう、あの家にいちゃいけないの?
わかっている。
山本はそんなこと一言も言ってない。
灯里と山本が今回の件、繋がっていたかも全てあたしの憶測だ。
だけど。
……だけど。
そう、思わずにはいられない。
本当、あたしはいつからこんな……嫉妬深くなったんだ。
結局、その日の晩は一睡も出来なかった。
昨晩、あたしはお母さんに山本の部屋に帰ると告げた。でも今日のこの時間になってもまだ、あたしは山本に一緒に帰る旨を伝えていない。
怖かった。拒絶されるのが。
そうなる確証はないのに。そうなることが怖くて言い出せなかった。
……山本が帰りの身支度を始めたのは三十分くらい前だった。昼ご飯を食べて、そこでお母さんと和気あいあいと話して、お母さんに駅までの運転も頼んだりなんかして。それからのんびりと準備を始めた。
時間はもう、一刻の猶予も残されていない。
なのにあたしは、言い出せない。
怖くて。
怖くて。怖くて。
言い出せない……。
「二日間ありがとうございました」
「いいのよ。また今度是非来てね」
「はい」
結局、山本には何も言い出せなかった。
あたしは山本の見送りもせず、ベッドで一人丸まっていた。
……馬鹿だなあ、あたし。
山本に何か言われたわけでもないのに。
山本と灯里が、また付き合いだしたってのもあたしの妄想なのに。
こんなことで、山本との関係を終わらそうとして……ホント、馬鹿。
「林」
ベッドで丸まるあたしのいる自室に、山本がやってきた。
……多分、最後の別れでも言いに来たのだろう。
山本は何も言わない。
一月も一緒にいたのだ。積もり積もる思いがあり、言葉も中々出ないだろう。
スーッと、山本が深く息を吸った音がした。
「帰るぞ」
山本は言った。
あたしとの別れの言葉を……。
「え?」
「帰るぞ。久しぶりの実家だからって、いつまでそこで丸まってんだ」
「……帰って、いいの?」
あたしはベッドから体を起こして、山本を見た。
……そう言えば。
こうして彼と顔を合わすの、随分と久しぶりな気がする。
「当たり前だろ。あそこだってお前の家だ」
……なんだろう。
なんなんだろう。
この気持ちは。
苦しくて。痛くて。
こんなにも嬉しいこの気持ちは。
……一体。
「いいの?」
「あん?」
「帰っていいの?」
「馬鹿言え」
山本の強い口調に、あたしは少し緊張した。
「俺がお前に、一度でもあの部屋に帰っちゃ駄目って言ったこと、これまであったか」
……だけど、すぐにそんな緊張も緩まった。
本当。本当、まったく……。
「ない。ないよ」
「だろ?」
「うん。……うんっ!」
あたしは立ち上がった。
再び、山本の部屋に戻るため、立ち上がったのだ。
こうしちゃいられない。
すぐに帰りの準備をしないと。
電車に、遅れちゃう。
「……山本?」
あたしは気付く。
あたしと実家の自室で二人きり。密室の状態。
山本の様子が、少し変だった。
「……林、すまん。帰る日、一日ずらしてもいいか?」
「ぇ?」
……一体、何をするつもりなのだろう?
そんな……。
そんな……よりにもよって実家なのに。
帰る日をずらしてまで……!?
い、一体、何を……。
……でも。
でも、山本の頼みなら、あたしは……。
「この部屋綺麗にしてから帰りたい」
「いいから帰るよ」
あたしは山本の首根っこを捕まえて強引に山本を部屋から連れ出した。山本は癇癪を起こしていた。
四章終了です。オチたな。
今日は三話だけ投稿です(ニッコリ)
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