変わり果てた人
病院の一室。
林の父は眠っていた。前の彼の顔は見たことがない。ただ、悲痛そうな林の顔。そして、とても健康的に痩せたと思えない顔を見れば、彼の病状は理解できた。
内心、少しだけ思っていた。
林の母が、林の父の病状を騙っただけってことを。それはそれで酷い話だが、その方が精神的に楽だと思った。こんなことなら、修羅場に巻き込まれた方が良かったと思った。
しかし、現実は非情だ。
「……お父さん。久しぶり」
いつもより優しい声で、林は父の耳元まで近寄って囁いた。
俺は少し驚いていた。林も、こんな優しい声が出せたんだ。
「最近は寝ている時間が随分と増えたわ。今日も、起きるかはわからない」
「……そっか」
「どれだけ恨んでても、起こさないであげてね?」
「うん。わかってる」
起こすなとは言われたが、林は彼女の父の手を優しく握った。安心したかったんだと思う。
手を触ったことが原因か。それはわからない。
ただ、最近目覚めないと言っていた林の父は、重そうにまぶたを開けた。
起きると思っていなかった。
林の横顔にはそう書かれていた。
今、林が恐怖を顔に貼り付けている理由は……。彼女の母から、彼女の父を起こしたことを咎められると思ったからか。それとも……。
林の父の意識は、少し薄いように見えた。
それでもしばらくの時間を経て、ようやく周囲を見回すようになり、一人の少女を見つけた。
「……おう」
「久しぶり」
「元気にしてたか。バカ娘」
「……うん」
「……心配してたぞ」
「…………うん」
短いやり取りで、これまで二人がわだかまりを抱えていたことも、それがほんの少しだけ解消されたことも、わかった。
少しだけ安心して隣を見ると、林の母と目があった。そうして俺達は、苦笑しあった。
「一人暮らしは大変か」
「……ううん。あたしもう、一人暮らし、してないから」
「……あぁ、そうか」
林の父は、思い出したようだ。
しばらく林の父は、再び周囲を見回した。
……そして。
「……君は?」
俺と、目があった。
「この人は山本。……あたしのーー」
「……林」
俺は、林を呼び止めた。
「今、彼は俺に答えを求めたんだ」
……多分、林の父は勘違いをしている。断片的に知る彼の記憶では、勘当前の林は恋人との同棲を始めた直後だった。久しぶりにあった愛娘の隣の男。そんなの恋人以外、思いつかないではないか。
林の父は、怒っているのだろうか?
別にそれでも構わない。
病弱な彼に何をされても、たかがしているから。そう思ったわけではない。
……ただ俺は、俺なりにけじめを付けたいと思っていた。
どんな形であれ俺は、林を部屋に匿った。そうして、生活面ではいつも頼りにさせてもらってしまっているのだ。
彼からしたら不服だろう。だって彼は、林の妻から……林を、素晴らしい人生が歩めるように、と頼まれているのだから。
こんなどこぞの馬の骨に、娘が利用されているのを面白がるはずがない。
だから、これはけじめなんだ。
「はじめまして。僕は山本と言います。林さんは……僕の、友達です」
「恵にお前みたいな奴は似合わないな」
「友達でも、ですか?」
「友達でもだ」
「……その通りですね」
俺は苦笑した。
高校時代、彼女は俺なんかとは違う世界で生きていた。高校を卒業し、大学生活を始めて、彼女に何があったのか。俺は断片的なことしか知らない。
でも思う。
彼女は、俺の部屋なんかにいて、俺なんかの世話係を務めるような器の女じゃない。
多分、彼女なら本当は……もっと素晴らしい人生を歩めたはずなんだ。
「僕は、どうすれば良いんですかね?」
「……わからないか?」
「えぇ」
「娘の隣に、いてあげてくれ」
「……友達として、ですか?」
「当然だ。私の目が黒い内は、絶対に許さない」
「わかりました。任せてください」
「大した自信だ」
「出来ないことではないので」
「そうか……」
静かに、林の父は微笑んだ。
「頼んだよ、山本君」