冷静になる時間がいる
林の母が運転する車の中、林と彼女の母はずっと話をしていた。久しぶりの親子の再会。普通であれば明るい話が展開されるような状況なのだが、聞こえてくる話はどれも暗いことばかりだった。
もっぱら、話題の中心にあったのは林の父の話だ。
俺達が林家の車に乗り込む前、玄関先で林の母が放った一言で、親子の感動の再会だなんて雰囲気は一気に吹き飛んでしまったのだ。
「肺がんなの」
道中、林の母が伝えた林の父の病状は、どうやら芳しいものではないらしい。
「皮肉なもんよね。あの人、私があなたを妊娠したことが分かった日にタバコは止めたの。母体に悪いからって」
「……お父さん」
「まあ、きっと長年の無理が祟ったのね。あの人、仕事熱心だったから。あなたには言う必要もないでしょうけど、あの人、他人に凄い厳しいでしょ? でも、自分にはもっと厳しいのよ?」
そもそも、他人に厳しく出来るのは、自分に厳しいことへの裏返しだと俺は思う。
厳しく当たられたら普通、人は厳しい人を嫌いになる。嫌われる覚悟のある人しか出来ないんだ。厳しくすることは。
「まあ、色んな人に恨まれていたけどね。でも、家族のためって言って同期の中で一番に部長になったし、たくさんの人に頼りにはされてた。あなた、あの人がオーバーワークで三回くらい倒れたこと知らないでしょ? まあ、美談じゃないわよ? あたしとしたら勘弁してほしかった。心身ともに疲れるし。……でもあの人、絶対にあたしの願いは聞いてくれなかったわ。そう言えば」
「……うん」
「唯一叶えてくれた願いと言えば……あなたを幸せな人生を歩ませてあげてって、そんなことくらいかな」
「……そっか」
林の返事に覇気はない。多分、罪悪感に胸を締め付けられているのだろう。
ここまでの話を聞いている中で、俺は少しだけ林の父の人となりを知れた気がした。たった数十分の話で、彼の一体何を知れるのだろう、とも思ったけれど、知れたと思えたんだ。
……似ていたんだ。
曲がったことが嫌いで。
他人本位で。
誰からも褒められないというのに、娘から嫌われるというのに、自らの考えに頑固で。
……本当、数分聞いただけで林の父は……林にそっくりだって、思わされたんだ。
そうなれば、勘当話の一件もおおよそ理解が及ぶ。
多分、勢いで言ってしまっただけなんだろう。自分の娘がワガママ勝手なことばかりを言うから、それに腹を立てて勢いで言って。後悔して……。
それで引っ込みが付かなくなって、後の祭りになったのだ。
まさしく、今の林と同じ状況だったのだろう。
林は多分、今人生で一番の後悔をしている。
どうしてもっと父と向き合わなかったんだろう。そんなことを考えているに違いない。
窮地に立たされて初めて、林は自らの内心での父への想いに気付いたのだ。
どうしてそこまでわかるのかって?
そりゃあわかる。
だって俺達は、一月も一緒に生活をしていたのだから……。
しばらく彼女の父の話が続いた後、車内はとても辛気臭い空気が流れた。
部外者の俺に、彼女達の会話に口を挟む権利はない。だから声は出さない。まあ、声を出せてもこの空気を変えれる自信もない。
「……林」
ただ、例え俺にこの場で口を挟む権利がなくても、空気を変えれずとも、俺は声を出した。
「お前のお父さん、凄い人だな」
「……そうだね」
いつか、俺は林に言ったことがあった。
それは確か、高校卒業後、彼女と久しぶりの再会をして、そうして俺の部屋に匿った日の出来事だ。
殴られているにも関わらず、彼女はそれでも健気に恋人の家に戻ろうと考えていた。その時、俺は林に言ったのだ。
「他人本位な生き方が出来るだなんて、とても素晴らしいことだよ。本当に」
林は言った。
きっと今、林の中の父へのわだかまりはなくなっただろう。
『お互いに冷静になる時間、ちょっと欲しかったんだ』
そう言えば、俺は同じく林を匿った最初の日に、彼女に言われた言葉を思い出した。
林。
どうやら冷静になる時間が本当に必要だったのは……お前と元恋人ではなく、お前とお前の父だったみたいだな。




