鼻声
俺達の通う高校は一緒だったが、林と俺の最寄り駅は二駅違う。都内の二駅差なんて歩いて数分程度の区間もあるが、田舎の二駅差は歩いて一時間以上もザラだ。
林の最寄り駅に降り立って、俺の目の前には知らない世界が広がっている。
「行こ」
しかし、当然ここは林の良く知る世界。
一切の迷いなく、林は俺を引っ張り駅改札の方へと歩き出した。
そう言えば俺達は、未だ手を繋いでいる。
ミーンミーンと遠くでセミが鳴いている。俺の地元は都心よりも気温が高く、九月になった今でも昼間になれば額に汗が滴るくらい、暑くて暑くてたまらない。
「お前の家、ここから歩いてどんなもん?」
「三十分くらいかな」
「それは歩くの無理だ」
「そうだね」
改札の前、一旦手を離さなければいけない状況に置かれ、林はなんだか少し名残惜しそうに手を離した。俺なんかの手でも握っていたいくらい、実家に帰るのが嫌ってことなんだと思う。
ただそう思うと、林をここに連れてきたことに少しだけ罪悪感を覚える。
「タクシーで行こう」
「そうだな」
林の提案に、俺は乗っかった。
駅のロータリー。そこのタクシー乗り場にいたタクシーに乗り込み、俺達は彼女の家を目指した。
俺達以外の人がいる環境だからか、林の口数はめっきりと減った。最近、林は他人がいる環境で俺といると、中々口を聞いてはくれない。俺への嫌悪感からだと思っていたが、多分、今日は別の気持ちだったと思う。
タクシーの窓越しに外の風景を見ている林は、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していた。しばらく前、林は男と同棲し故郷を捨てる選択をした。もう、ここに戻ってくることはないとも思っていただろう。だからこそ、再び見たこの景色に、余計にこみ上げる思いもあるのだろう。
「千五百円です」
タクシーの運転手に運賃を払い、俺達はタクシーを降りた。
住宅街の一軒家の前に、俺達は佇んだ。
「……ここか?」
「うん」
さっきとは違い、林に重い雰囲気が立ち込めていた。緊張しているのは、見ていればわかった。
「……押すよ」
「おう」
林は意気込んで実家のチャイムに手を伸ばす。……しかし、彼女の人差し指は中々チャイムに触れない。チャイムと指の間に、途方もない距離があるかのように、まったく触れないのだ。
林の手は、震えていた。
覚悟はしていたのだろうが、やはり……。
俺は、代わりに押すかという提案はしなかった。
ここまで付いてきた身ではあるが、林と、林のご両親の問題はあくまで俺は部外者なんだ。彼女の選択を促さないなんて、あってはならない。
林は、悔しそうに唇を噛み締めていた。押したいのに押せない。彼女の顔には、そう書かれていた。
そんな時だった。
彼女の実家の扉が、開いたのは。
「……恵?」
彼女の実家から出てきたその人は恐らく……。
「……お母さん」
何の気なしで家から出てきた林の母は、もう会うことのないと思われた娘との再会に、口元を抑えていた。目尻には涙がうっすら見えた。
「どこ行ってたのよ、もうっ」
林の母は、林を抱きしめた。声は震えていた。
「……ごめん」
林の謝罪の声も、震えていた。何となく、今の林の気持ちはわかる。一月も一緒に生活をしていたからだろうか。
いいや、泣きそうな林の顔を見れば、それは一目瞭然だった。
「ごめんなさい。お母さん」
……電車の中で林は、彼女の父への恨みは口にしていた。だけど、彼女の母への恨みは特別、何もなかった。林は結構態度に出る人だし、彼女の母への恨みを口にしなかった辺り、恨みはまるでないのだろう。
だから、素直な心境を吐露出来たんだ。
「……良いのよ。良いの。だってまた、帰ってきてくれたんだもの」
「……うん。ぅん」
「それで、そちらの方は?」
突然話を振られて、俺はビクッと体を揺すった。
……達観していて忘れていたが、そう言えば俺、これから修羅場に巻き込まれるんだった。
「……もしかして、前言ってた恋人さん?」
「違ぅ……」
林は鼻をすすりながら、滝のような涙を流していた。
「え」
林の母の俺を見る目が、途端に警戒するものに変わった。
……まあ、そりゃあそうなる。
俺は苦笑した。早速の修羅場だぜ。俺も泣きそう!
「その恋人とは、別れた……。DVされたの。彼は、あたしを助けてくれたの……」
娘からのとんでもないカミングアウトに、林の母は口をあんぐりとさせていた。まあ、いきなり情報を全て理解しろって言っても無理があるよな。自分の娘がドメスティック・バイオレンスの被害に遭っていただなんて、信じたくもないだろうし。
「彼がいなかったらあたし……あたしぃ……。もゔ……ここにモドってごれなかっだ」
鼻をすすりながら涙ながらに林は言った。
今の林の顔は、それはもう酷いものだった。
俺が彼女を部屋に匿った時でさえ、ここまで感情を露わにすることはなかった。
……やはり、なんだかんだここが、彼女の家、ということだったんだろう。
林の母の俺を見る目は、みるみる軟化していった。
「……そう。そう……。良かったわね。素敵な人に出会えて」
林の母は、泣いて俯いた林の頭を優しく撫でた。
「あなたも……えぇと」
「あ、山本です」
「山本君。……そう言えば、高校の授業参観で見たことあった気がするわ」
「それは……よくご存知で」
俺は苦笑した。
「そう。……本当、ありがとう。ありがとうございました」
「や、やめてください」
林の母が丁寧に頭を下げて、俺はあわあわした。それからもしばらく、俺は林の母に頭を下げるのを止めてと言ったが、彼女は気が済むまでそれを止めなかった。
とりあえず林には、持参していたティッシュを渡してやった。
チーンと鼻をかむ娘を見ながら、林の母はどこか嬉しそうだった。
「……それで、お母さん。どこ行こうとしていたの?」
未だ玄関先にいる俺達の中で、目を真っ赤に腫らした林は彼女の母に尋ねた。
「ああ、そうだった。うっかり」
林の母は、お茶目に手を叩いた。
そして、少し寂しそうに俺達に微笑んだ。
「折角だし、あなた達も行く?」
「え、どこに?」
「病院」
嫌な予感が過ぎったのか。林の顔色は、スーッと青くなった。
「お父さん、今入院しているの」
そして、林の母は言った。
俺は皆に真摯でいたいと思う。でもただ一つ、俺はずっと皆に嘘をついてきた。
言うべきか言わないべきかずっと悩んでた。でも、言うしかないんだって最近思い始めてる。
今回の一件を真摯に受け止め、反省して、今後は一層皆さんに真摯に作品を書き続けていきたいと思ってる。
だから、どうか怒らないで聞いてほしい。
1日2話投稿するってやつ、あれ、嘘なんだ。
本当、ごめん。なんて謝罪していいかもわからない。でも、許してくれると言ってくれたら嬉しい。
本当にごめんなさい。
1日2話投稿、1日坊主でごめんなさい。




