説得
突然の雨が降り出したのは、俺が林の作ってくれた夕飯を食べてしばらく経った後だった。所謂ゲリラ豪雨。窓を打ち付ける雨も大粒で、結構な雨音が部屋中に響いていた。
「ただいまー」
林はそんな土砂降りの外を、どうやら走って帰ってきたようだ。
「凄い雨だったな」
「うん。もうびしょびしょ」
「……風呂、入れよ」
「そうするー」
パタパタと、廊下が騒がしい。
テレビを見ながら俺は、また林に実家帰省のことを話すタイミングを逸したな、と少し項垂れた。
雨音に混じりながら、シャワーが流れる音が小さく聞こえた。
テレビの雑音と雨音と混じって、その音は大層小さい。だけど、いつも以上にその音に意識が向いてしまうのは仕方のないことだった。
……さっきまで俺は、林になんと説得して彼女の実家へ帰省させるか。それをずっと考えていた。
周知の事実として、彼女は頑なな女だ。そして、自分の気に入らないことにははっきりと嫌と言えて、凄まれたら凄い怖い。そんな人。
そんな人にこれから俺は……実家に帰省しろと説得をするわけだ。
これが、ただの帰省だったら話は楽なのに。
彼女は親に勘当された経緯があるというのだから、困ったもんだ。
……ふっ。
ただ、侮ることなかれ。
俺だって馬鹿じゃない。林に実家帰省の相談を拒否られる未来は事前に想定済み。その時、彼女を再度説得する手段だって無論講じている。
……彼女へ言うに先立って発表しよう。俺が小一時間頭を悩ませた末に編み出した、三つの策を。
一つ。餌で釣る。
二つ。脅す。
三つ。慰安旅行を提案する。
皆思ったことだろう。
え待って。碌な案がない、と。
甘い。チュッパチャップスくらい甘いよ、君達。
……わかる。
碌な案が浮かんでない!
餌で釣るって何だ。彼女は欲求薄めな女だが、特に食欲が旺盛ではないことは俺はよく知っているではないか!
脅すって何だ。それじゃあ元恋人のやってることと変わらんじゃないか!
そして……慰安旅行!
正直、これが一番ありえない。
林が、俺となんて一緒に旅行したいわけがないだろ!
身の程を弁えろ、馬鹿!
……ふぅ。
詰んだわ。
完全に詰んだ。
こりゃあ……駄目だ。彼女を実家に帰省させる術、まるで思いつかない。
正攻法でいったら凄まれ。
搦手を使ったら怒られ。
脅したら社会的に抹殺され。
旅行を提案すれば引かれ。
全て……碌な結果になる未来が見えない。
……ごめん。笠原。俺、無理だったよ……。
「ふぅー、さっぱりした」
林はバスタオルで髪を拭きながら、半袖のTシャツとショートパンツという、いつもの寝間着の出で立ちでリビングに戻ってきた。
俺はビクリと体を揺すった。
対する林は……部屋に戻るやいなや無言になった。風呂上がりのせいだろうか。頬を染めて唇を噛んで、俺に背中を向けて、ベッドの方を向いて座った。
……というか、最近思ってんだけど。
いや、もしかしたらただ勘違いなだけかもしれないんだけど。
一応、いやそれは……ないとは思うんだけど。
俺、最近林に避けられていないか?
顔も合わせてくれないし。
背中ばっかり見せてくるし。
他の人の前だと、口数も露骨に減るし。
……俺、なんか嫌われるようなことしたっけ?
……あー。
そもそも俺、あいつに嫌われてたわ。
……やっぱり、俺では林を彼女の実家に連れ戻すのは……無理かもしれない。
……だけど。
ここで諦めたら、男が廃る。
「林、ちょっと良いか?」
背中を向けて座っていた林が、バスタオルで髪を乾かしていた体をビクッと揺らした。
「……な、なぁに?」
林の声は、なんだか少し甲高い。熱でもあるのだろうか? まあ、なんでも良い。
「……頼みがある」
「な、何よぅ……」
「……お前、お前の実家に帰ってみないか」
意を決して、俺は言った。
林は黙った。
彼女の言葉を求める俺も黙った。
雨音とテレビの雑音だけが、部屋中に響いた。
……林はしばらくして、体をこちらに向けた。それなりの時間悩んでいた。多分、ようやく答えが出たのだろう。
俺の願い出に対する答えを考えていたわけではないだろう。
……馬鹿なことを言う俺に、凄むか。キレるか。殴るか。蹴るか。そういう思考を巡らせていたのだろう。いや、よりにもよって彼女が暴力を振るうことはないはず。
……つまり。
凄まれる?
俺は生唾を飲み込んだ。
「いいよ」
そして、林は俺に凄んだ。
……ん?
「え?」
「いいよ」
……凄んで、ない?
「あんたのお願いなら、いいよ」
「……あー。うん。そうか。うん。……ありがとう」
「……その代わりさ」
「ん?」
「山本も、一緒に来てくれない?」
「……え」
なんでそんな修羅場に俺を巻き込もうとするの? 嫌なんだけど。
「……ごめん。でもお願い」
林は俺の気持ちを察しているようだ。
それでも、林は頼み込む。
「怖いんだ。怒られるの」
そして、林は久しぶりに俺に顔を見せた。
その顔は……恐怖に怯えていた。いつか、コンビニで再会を果たした時と同じ顔を、林は俺に見せていた。
「……わかった」
まあ、俺が彼女の親にキレられるだけで彼女が実家に帰れるのなら、安いもんか。
「ありがとう」
林の微笑みを見たのは、随分と久しぶりな気がした。
「あんたには本当、感謝してもしきれない」
10,000pt突破しました。ありがとうございます。皆様の日頃からの心温まるご声援のおかげです。
ちゃんと数えたわけじゃないけど、多分自己最速での10,000pt超えです。マヂ感謝。
そんな状況下で言いたいことが一つあってですね。
そろそろ俺、書籍化したいっす(泣)。
評価、ブクマ、感想よろしくお願いします!!!




