今はもう昔の話④
笠原はあの晩、俺に告白の結果を教えてくれることはなかった。その日は悶々とした気持ちで眠りについたことを覚えている。
一体どうして、あの時笠原は俺に男子に告白されたことを教えたのか。そして、その答えを言うのを渋ったのはどうしてなのか。それは高校を卒業した今でも答えがわからない。
でも、あの日をきっかけに色々と、俺は最近のなよなよした気持ちを払拭させる必要があると思い始めた。とはいえ、だったら笠原に告白する決心がついかと言えばそんなことはない。多分、あの時の俺はまだあれだけなよなよしながら、笠原への好意を自覚してはいなかった。
きっかけは、多分文化祭。
文化祭の後夜祭。例年では文化祭実行委員長がその後夜祭の司会進行を務めることになっていた。その後夜祭ではキャンプファイヤーをして男女が踊り狂ったり、とにかく文化祭終わりという状況も相まって、とても浮かれた雰囲気の時間が流れていた。
俺は、その後夜祭の司会進行を断った。それは俺の性格によるところが大きい。捻くれた性格の俺に、そんな大役を務めさせようなものなら、きっと場はとんでもない雰囲気になるだろう。つまり、その選択は逃げではなく、戦略的撤退。
そんな俺の代わりに司会進行を受け持ったのは、笠原だった。
笠原の号令の下、後夜祭に残った生徒達は尊いその時間を楽しんでいた。
俺はと言えば、家に帰りたいと思って時間が過ぎるのを待っていた。パリピが浮かれるあの状況を俺なんかが楽しめるわけがなかった。それでも帰らなかったのは、立場上の問題だ。
一人、校庭で浮かれる連中を離れた場所で俺は眺めていた。
闇夜の中、中央にオレンジ色の灯りを保つキャンプファイヤーの前で、皆が笑っていた。
そんな時だった。
「笠原さん」
一人の、男子が声を上げた。
呼び付けたのは、笠原。浮かれた周囲が途端、その男子と……そうして後夜祭司会を務めていた笠原に視線を注いだ。恐らくこの時点で、連中はこれからかの男子が笠原に何をするつもりか。それは理解していたはずだ。指笛だったり、野次だったり、激励だったり、スマホで動画撮影を始めたり、甘い空気が、その場に流れた。
「何?」
笠原はいつも通りだった。いつも通り笑顔で、優しい、そんな少女だった。
男子の呼びかけに笠原が応えたことで、一層周囲が湧き上がり……。
そうして俺は、一人隅で、狂いそうになっていた。
男子が笠原を呼び止めた理由。
これから男子と笠原の間で巻き起こる何か。
そうして、周囲の期待するそれ。
こんなの、ズルいじゃないか。
俺は憤っていた。
周囲の期待。状況。ここでの告白なんて、早々断れるものではないではないか。
……その時だった。俺は思ったのだ。
こんなことなら、笠原に告白しておくんだった、と。
自分でも意外だった。
笠原へ、友達以上の特別な感情を抱いている自覚はあった。でもそれが、好意だとは思っていなかった。俺が人を好きになる時が来るだなんて、その時は思ってもいなかったのだ。
「ごめんなさい。あたし、好きな人がいて」
笠原は、苦笑しながら男子の告白を断った。
男子は、笠原に告白を断られて、頭を抱えて悔しがった後、周囲と一緒に笑っていた。
よく笑っていられるな、とその時は思った。
だけど、俺はそんな男子に少し憧れを覚えた。
……文化祭後夜祭。キャンプファイヤーの前。絶好のシチュエーション。そこで、好きな人に告白する。そして、振られようと後腐れなく友達と笑っていられる。
名も知らない彼のことを、俺は尊敬し、そうして自分の体たらくに後悔をした。
俺の嫌いな後悔をしたんだ。
文化祭の後夜祭が終わり、生徒達は帰宅していった。
文化祭実行委員は、火元確認などをした後、帰宅していくことになっていた。
「笠原、今日も一緒に帰らないか?」
意外と言葉はスムーズに出てきた。
緊張もなかった。
「うん。わかった」
笠原は、俺の申し出に応じた。
そうして俺達は、文化祭実行委員の皆が帰宅したのを見送った。
「……ちょっと意外だ」
暗闇に包まれる校庭に佇む俺達二人。笠原は言った。
「何が」
「まさか、山本君に一緒に帰ろうだなんて言われるだなんて」
「……確かに」
俺は苦笑した。これまでの俺は、ずっと受け身だった。笠原に一緒に帰ろうと言われたから一緒に帰って。笠原が告白されたと聞いたから、ただ内心で邪な感情を抱えて。
ただ、それだけだった。
「悪かったな。林とかと一緒に帰りたかっただろう」
「ううん。多分、先に帰ってたよ。本当、皆酷いよね」
「……そうだな」
緊張はない。
だけど、何を言えばいいのだろう。
俺は適当な返事を返しながら、考えていた。
……だけど、すぐに思い至った。
別に、着飾る必要なんてない。
いつも通りでいいではないか。
駄目で元々。だったらただ、言いたいことだけ言う……いつも通りで良いではないか。
「笠原、俺、お前のことが好きなんだ」
さっきまで騒がしかった校庭で、俺の声はよく響いた。
なのに笠原は、全然返事を返してくれない。聞こえていなかったはずはない。
だったら、駄目だった、ということだろう。
まあ、それもまた仕方がない。脈がなかったんだ。それだけの話なんだ。
……不思議と気分は清々しかった。振られようと、後悔がなかったからだ。
「あたしも」
静けさ極まる校庭で、俺は一瞬耳が遠くなった気がした。
笠原の言った言葉が、聞こえなかった。いいや違う。聞こえていた。だけど、理解出来なかったんだ。
「え?」
「あたしも、山本君のこと、好きよ?」
「……そっすか」
「うん」
「…………そっすか」
俺の体の感覚は、鈍っていた。笠原と両思いになれたと言うのに、どんどんどんどん鈍っていっていた。実感がわかなかったんだ。笠原と、両思いだっただなんて。
「帰るか」
「……うん」
両思いだったと言うのに、俺達の間の空気は前とまるで違った。すっかり笠原とは打ち解けて、もう気まずい雰囲気になることさえまるでなかった。なのに今は、気まずいを通り越して、ギクシャクしている。
「ねえ山本君?」
「ん?」
「……あたし達、恋人ってことでいいのかな?」
「……うん」
まあ、そうなるだろう。両思いだったのだから。
「そっか」
「……うん」
「そっかそっか」
「……こ、恋人って、どんなことするんだろうな?」
「わかんないね」
しばらくして、俺達は苦笑し合った。
この作品のヒロインって誰だ?