今はもう昔の話③
学校帰りの駅のホーム。俺はスマホを弄りながら一人の少女を待っていた。過ぎ去っていく電車にも乗らず、我ながら健気に待っていたもんだと今では思う。
「ごめん。遅くなった」
「おう」
俺が待っていた人は、笠原灯里。あの日、関根先輩に告白し振られた彼女と鉢合わせて以降、俺達の奇妙な関係は三年生になっても続いていた。これでも俺は、最初の方は結構抵抗をしたもんだった。ジムにいる時間を増やし、電車の到着時間ギリギリに駅に行ったり、そういう抵抗だ。
彼女の連絡先を聞いたのだって、その抵抗の一つ。今日はパッション溢れてトレーニング長引くから先帰っててくれ。そうやって彼女を先に帰すように何度も取り計らったもんだ。
ただ、結局俺達の関係は学年が変わった後も続いていた。笠原と来たら、先に帰れといくら連絡しても、グーサインのスタンプを送っては駅に残っているだなんてことをしょっちゅう繰り返したのだ。最終的に、女子一人を夜分一人で長時間残すのも危ないと俺が折れたため、あの関係は続くことになった。
一体、俺との時間のどこに居心地の良さを感じたのか。そう内心で呆れた回数は数知れないし、それを当人に尋ねた回数だって最早覚えてない。
俺は聞く。
「お前、俺なんか待っているよりやったほうがいいことあるんじゃないの? 勉強とか」
大層捻くれた言い方になったのは、俺の性格が曲がっているからに他ならない。
こういうことを言うと、大半の女子は俺に呆れる。それか、なんでそんなぞんざいな言い方をするんだと怒るか、へそを曲げるか、泣く。
しかし、この笠原という女子は呆れることも、怒ることも、泣くこともない。
いつも、楽しそうに笑うのだ。
「じゃあ今度、一緒に勉強しようか」
「やだよ。非効率的だ」
三年に上がる頃には、俺もこんな捻くれた質問を彼女にすることはなくなった。彼女は残念ながら、俺の皮肉が通じないし、何ならその皮肉にカウンターを仕掛けてくる。それが、耐えきれなかった格好だ。
そうして俺達の関係は続いていく。
一つの秋、冬を超えて、春。それだけの時間、俺達はいつも一緒に帰宅をしていた。
不思議なことに、これだけの時間、一緒に帰宅をしているにも関わらず、学校はおろか登校の時も、俺達は一度も言葉は交わさない。登校の時に、時間が重なって一緒の電車に乗っていることは時たましかないが、学校でなんて同じクラスに所属しているのだから、会話をする機会はいくらでもあるはずなのに、だ。
まあ、それに気付いた当時は特別学校でまで笠原と会話をしたいと思ったことがなかったが、駅のホーム。そして電車の中ではフランクに話しかけてくる笠原という女子の性格を鑑みるに、それは少しだけ違和感を覚えさせた。
ただ、だからこそ……毎日、三十分くらいしか彼女と関係を紡ぐ隙がなかったからこそ、俺も彼女を拒まず、なんだかんあれだけの期間、一緒に帰るだなんて行為に及んだ気も少しはする。
いつからだろうか。
最初の方はとにかく彼女を避けるような行為を続けたこの俺が、彼女と話すあの時間を心待ちにするようになったのは。
短くて十五分。長くて三十分。一日二十四時間ある内の四十八分の一にも満たないあの時間が、気づけば俺の中では随分と尊いものになっていた。
彼女との関係の前進を望むような思いも芽生え始めた。
でも、そんなことを考え始めると決まって、俺は自分のこの捻くれた性格に足を取られる。この捻くれた性格のことが、俺は嫌いではなかった。そうでないとこんな性格のまま生きていこうだなんて思わないし。ただこの時ばかりは、少しだけその性格を煩わしいと思ったこともまた事実だ。
臆病風に吹かれた部分もある。
何より、彼女は男子からとてもモテるから。引く手あまただから。俺なんて没個性な男が独占出来るはずがないと、そう思ってしまったのだ。
そして、あの当時の笠原との関係は、心地よかった。俺は元来停滞を嫌う人間だった。にも関わらず、あの時ばかりは別にこのままでも良い。そんなことを考えていた気がする。
ある夏の日の放課後のことだった。
俺の母校は夏休み明けすぐに文化祭の準備が始まって、一月の準備期間を経て文化祭が開催される。残暑も残る暑い日に、俺達は大汗を掻きながら文化祭の準備を進めていた。
俺と笠原は、クラスの文化祭実行員に選出され、クラスの催し物の準備には混じらず、文化祭の仕事をこなしていた。
一体どんな巡り合わせか、俺は文化祭の実行委員長に選出された。俺の性格を知らない馬鹿な教師が、俺の期末テストが学年一位だったことを下級生に漏らし、担ぎ上げられた結果の成り行きだ。
集団行動が苦手な性格の俺に、文化祭の実行委員長という仕事は苦労が耐えなかった。
それでもなんだかんだ仕事を滞りなくこなせたのは、他の真面目な文化祭実行委員や笠原の尽力があったからに他ならない。
この辺からだったと思う。俺の性格が少し、前よりも人間らしくなったのは。
そして、件の日の放課後。
いつも通り文化祭準備の仕事に明け暮れる俺の前に、笠原はやってきた。
「ねえ山本君。今日、一緒に帰らない?」
「いや、いつも一緒に帰ってるだろ」
「あっ、そうか。アハハ」
笠原は笑っていた。彼女の笑顔から、目が離せない。
「……そうじゃなくて、たまには学校から、一緒に帰ろうよ」
文化祭実行委員で帰宅時間が被ることもあったにも関わらず、俺達は未だ律儀に駅のホームで出会う形で一緒に帰っていた。
「いいのか。林とかと一緒に帰らなくて」
「うん。向こうの準備は佳境みたいで、帰りの時間が合わないからさ」
「そっか」
そんな一幕を経て、クラスの連中や文化祭実行委員の連中を見送った後、俺達は二人で学校から帰宅するのだった。
「お疲れ」
「おつかれ。大変だね、文化祭実行委員長」
「そうだな。まったくあの野郎、マジで覚えていろよ」
「アハハ。また加古川先生の悪口言ってる」
文化祭実行委員長に仕立て上げられた日から、俺は暇さえあれば下級生を担ぎ上げた教師への愚痴を笠原に漏らしていた。
「なんだかんだなんとかなりそうだね、文化祭」
「そうなってくれないと困る。責任感に押しつぶされ、俺の胃に穴が開く」
「そんな弱メンタルだっけ?」
「ああ。日々、不安と戦っているぜ」
「……お疲れ様」
笠原は、苦笑していた。
「じゃあ、そんな実行委員長様を労って、コンビニ寄ってかない?」
「……ああ、わかった」
こうして笠原と一緒に学校から帰宅したのは、初。
多分、笠原以外の人となら、そんな誘いには乗らなかった。あの時の俺の最も大事なものは、自分の時間だった。
「あー、涼しい」
「ね。アイス食べない?」
「それだ」
「うん。奢るよ」
「それはいい」
「えー……」
項垂れる笠原を背後から眺めながら、俺達はアイスコーナーへ歩いた。
彼女とは対等な関係でいたかった。だから、奢る奢られるでその均衡が崩れるのが、嫌だった。
俺達は別々にアイスを購入して、駅までの道中でそれを食べていた。
「……よくするのか?」
「ん?」
「林とかと、買い食い」
「……あー。あんまりしないかな」
「そっか」
「うん。……だから、山本君とだからしたんだよ」
「……そっすか」
得意げに微笑む笠原の顔は見れなかった。
彼女は、今みたいな思わせぶりな発言がとても多い。一瞬、勘違いしそうになるから止めてほしい。そんな発言をされると思ってしまうのだ。もしかしたら、それが勘違いなんかではないんじゃないかと。
……まあ、そんなはずもない。
笠原の人気ぶりを考えたら、今でさえこの関係は上出来な部類。これ以上、高望みをするだなんて多分、烏滸がましいんだろう。
俺は現状維持が嫌いな質だ。
だけどあの時の俺は、臆病風に吹かれ、笠原との関係を停滞させようとしていたんだ。
「ねえ、山本君?」
そんな俺の心は、多分見抜かれていた。
「……あたし、ね。告白された」
笠原に、見抜かれていたんだ。
「後輩の男の子でさ。ずっと前から好きでしたーって。びっくりしちゃった」
「……それで?」
俺の声は、震えていたと思う。
笠原は、俺の言葉を待っていたと思う。
「なんて、返事をしたんだ?」
「……どうしたと思う?」
笠原は、魅惑的に微笑んでいた。
これ五話で終わるのか?
日間ジャンル別一位に返り咲いていました。ありがとうございます!
評価、ブクマ、感想よろしくお願いします!!!