対岸のある海
「さて、目的は達成しちゃったね」
雑貨屋を出た後、林は少し名残惜しそうに言った。
「これからどうする?」
「まあ、帰るにはまだ早いよな」
時計を確認すると、時刻はまだ十四時前。電車に揺られた時間は一時間。これから同じだけ電車に揺られることを考慮すると、もう帰路につくのは勿体ない気がしてくる。
「意外」
「何が」
「あんた、ものぐさそうだから、もう帰ろうって言うかと思った」
「お前、俺のこと何だと思っているの?」
さすがにその言い分は酷くない? 場所が場所なら俺も事を起こすよ? どんな事を起こすかというと、癇癪を起こす。泣きわめいた俺は、凄いぞ? 何より、年甲斐もない行動だから、とても醜い。
「ごめんごめん。それじゃあ、こっからどうしようか」
林は言う。
「そうだな。そう言えば結局今日、お前が行きたい場所に行ってないな」
「え、そうだっけ?」
「牛たん屋も雑貨屋も、俺の願いだろう」
「……あー。うん」
林は億劫そうに頷いた。その態度から見るに、彼女はこのまま、事なきを得れるなら、自分の行きたい場所には行く気はなかったようだ。
「で、どっか行きたい場所ないの?」
「……うーん」
「ないのか?」
急かすように言った後、俺は少し後悔をした。別にまだまだ時間はあるんだし、特段彼女を急かす必要はないからだ。
「……まあ、歩きながら考えるか」
「ごめん」
「謝る必要なんてないだろ。ただ少し意外だ。お前、こういうところ好きそうなのに」
「……まー、嫌いではないよ。ただ、上京してすぐに粗方来たからさ」
そう言えば、林の元恋人は社会人だったらしい。社会人と交際していれば、費用は向こう持ちだっただろうし、お出かけだって多少遠出も出来たはず。そうなれば確かに、今更横浜に来たって感動は薄いかもしれない。
「とりあえず、スポットらしいスポットに行ってみるか」
「赤レンガ、山下公園とか?」
「そうだな」
「……そう言えばあんた、海好きだったよね」
林は言った。それに首をかしげたのは俺。海が嫌いだったからではない。一体どこからその情報を仕入れたのか。それが気になったのだ。
「いや、動画サイトの履歴。あんた安眠用に、さざなみの動画見ながら寝ているじゃない」
最近では動画サイトで『安眠 波の音』とか調べると、数時間さざなみが流れるだけの動画があったりする。俺は、大学に入学した頃から、その音を聞きながら寝るようになった。理由は特にない。強いて言えば……将来社会人生活を送れるかの不安。大学で友達が出来るかの不安。留年とかしないよなの不安。とにかくたくさんの不安を考えると、夜、中々寝付けない日が増えたからだ。
……めっちゃ理由ある。
とにかくそんなわけで、俺は不安な夜にも熟睡出来るように安眠方法を探して、見つけたのがその動画だった。ちなみに、さざなみの音は入門編。個人的におすすめなのは寝台特急の運転中の音。軽い旅行気分になれて、かつ電車とは思えないくらい静かで、とても気持ち良く眠ることが出来る。後は、ホットアイマスクとかも付けると最高だ。
「……人の履歴を探るだなんて」
まあ、それはタブレットを貸す時に危惧していたことだ。今更とやかく言う気はない。今の俺の発言は、ただのノリだ。
「良いじゃない。エッチな動画見てること告発したわけじゃないんだから」
「そうだね」
それは、是非何も言わないでくれると助かる。
「ま、とにかく海見ようよ。あんた海、好きなんでしょ?」
「甘いな林。俺は確かに海は好きだ」
俺は得意げな顔を作って言った。林のオーラは、既に語っている。あ、これ面倒くさいやつだ、と。
「何よ」
「対岸のある海は、海じゃない」
「あ、これ面倒くさいやつだ」
「海ってのは、さざなみもそうだが更に遠く。水平線を眺めることも楽しいんだ。冬場の風が強い日だと水平線が揺れているのがわかったりする。まあ、強風で砂が吹き荒れ、目に入るのとトレードオフだがな。とにかく、対岸が見える海はそれだけで減点だ。つまり東京湾は駄目。汚いし臭いし」
「あーはいはい。ほら行くよ」
林は俺の抗弁も聞かず、俺を引っ張って歩き出した。人の話を聞かないなんてなんて奴だ。さすがの俺にも、怒ることだってあるんだぞ。……まあ、これは怒らないことに分類されるから、まったく問題ないんだけどね。
「うわー、綺麗」
山下公園。手摺を掴んだ林は、少し涼しそうに海を眺めていた。今は真夏だし、それも手伝って気分は爽快なことだろう。
「ほら、あんたも」
「……おう」
「何? まだ対岸がどうの、気にしているの?」
「対岸があるかないかは減点対象なだけで、それが要素で全部駄目と思っているわけではない」
つまり、楽しいってことだ。とてもそうは聞こえないのは、俺の性格があまのじゃくだからに他ならない。
「あんた、本当に素直じゃないわね」
「悪かったな」
「ううん。……今素直なあんたを想像したけど、ちょっと気持ち悪そう」
「そうかいそうかい」
そう言えば、今日の林は随分と饒舌だな。
どうしてだろう。今日の彼女は、自分の行きたい場所なんて全然回っていないのに。
……もしかすると彼女は、どこに赴いたか、より……誰と赴いたか。そっちで楽しさを覚えるような人種なのかもしれない。
いや、ないか。
だとしたら彼女は……俺と一緒に色々巡ったから、今日……今を楽しんでいることになる。
彼女は高校時代、恐らく俺のことが嫌いだった。
そりゃあ、今回の一件を通じて、多少は彼女も俺への評価を改めたことだろうが……三年間で形成された感情が、たった数週間で変わり切るだなんてあるはずがない。
「……ね、山本?」
「ん?」
「……船、乗らない?」
林は、微笑んでいた。
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