安眠席
本作二巻のコミカライズが明日9/19発売となります!
是非買ってください!
しばらく車の運転を続けて、最初の緊張もほぐれてきた頃、俺は助手席に座る女に目をやった。
「すぴー」
林は寝ていた。
さっき電車の中で散々眠っていた癖に、気持ちよさそうに眠っていた。
さっき俺の車に乗ることにビビっていた癖に、安らかな寝顔をしていた。
「こいつ、本当に肝が据わってるよなぁ」
こっちは林の命まで預かっているため、気が気ではないというのに……。
まあ、久しぶりの車の運転にもようやく慣れ始めて、少しは落ち着きを取り戻しつつあるとはいえ……眠るのはさすがにないのではないだろうか。
……それこそ、そう。
助手席に座る人間は、眠るためにそこに座るわけではないはずだ。
もし車の助手席が眠る人向けの席だと言うのなら、その座席の名称は安眠席に変えるべきだ。
であれば、助手席の人間がするべきこととは……その名の通り、運転手の助手。
「助手席に座った以上、ナビするとかやることあるだろ……」
実に女々しく、愚痴っぽいことを言った後に、俺は思った。
「林にナビさせるのだけはないな」
だってこいつ、方向音痴だし。
こいつのナビに従って車を走らせたら、目的地にたどり着くのに倍以上の時間を要しそうだ。
であれば、林の指示する方向と真逆に進んだらうまくいくのか。
「多分、うまく行く」
問題は、だ……。
『あんた、なんでさっきからあたしの指示とは真逆に動くの!?』
……林の指示通り動かないことはつまり、彼女の機嫌を損ねる、ということ。
「うん。寝ていた方が良いまである」
ありがとう林、寝ていてくれて。
「本当、林の寝顔はいつ見てもかわいいなー」
あははっ!
一人で漫才をしていたところ、カーナビが右折するように指示を出してきたから、俺はそれに従った。
そもそも土地勘のない林にナビを頼まずとも、カーナビを頼れば目的地に到着することは可能である。
「……いきなり勾配がついたな」
しかし、本当にカーナビの指示する道は正しいのだろうか?
俺達が今向かっている先である昇仙峡は山の中にあることは知っている。
だけど、ここまでグネグネ道と急こう配の道が連続するとは聞いていない。
「……帰りが怖いなぁ」
そんなことを思いながら、車を走らせていると、山道の左手に山が見えた。
その山は岩山で、崖壁を破る形で、複数の木々が生えてきていた。
「うおぉぉ」
ここが日本だとは思えないような絶景に、思わず感嘆の声をあげた。
しかし、感嘆の声をあげている場合ではない。
山道で脇見運転など、命がいくつあっても足りやしない。
「林、起きろー」
俺は林を呼んだ。
「起きて写真撮っといてくれー」
「すぴぴー」
勿論、我が道を行く林が、俺の呼びかけで目覚めることはなかった。
「ふわぁぁ」
林が目を覚ましたのは、昇仙峡近くの駐車場で俺が車を停車した時だった。
「ごめん。あたし寝てた?」
「ああ、ぐっすりな」
「……本当ごめん」
林は意外と罪悪感を抱えたようだった。
「あんたの運転、意外と安心出来て……。転寝しちゃった」
「……ま、まあ、そういうことなら仕方がない」
ったく。次から気を付けろよ?
やれやれ。まったく。
「とりあえず、早速外に出て見ないか。昇仙峡と言えば滝が有名だが、ワイナリーとかロープウェイとかあるみたいだぞ」
「ロープウェイ!」
「うおっ」
林は俺にグイッと顔を寄せてきた。
「ロープウェイ! 乗りたい!」
どうやら元女王様は、ロープウェイをご所望らしい。
「わかった。じゃあ、行こう」
「うん!」
俺達は車を降りた。
ロープウェイがある方へ歩いていく最中、リムジンがあり、少しだけテンションが上がった。
「大人二人で」
ロープウェイ受付には長めの列がなされていた。
五分くらい並んだ後、俺はロープウェイチケットを購入した。
「いくらだった?」
列の外で待たせていた林に聞かれた。
「いいよ。これくらい俺が払う」
「は?」
「は?」
「あんたね。前とは違って、今はあたしも程ほどにお金溜まってきたんだよ?」
「それが?」
「だから、ここはあたしが持つ」
「いいよ。たかだか数百円だろ?」
「……二人で千六百円ね」
……こいつ、どうしてそれを?
林を見たら、受付のそばにある料金表を見ていた。
「……はい」
「……いいよ」
「いいから。これまでのお礼」
「……これまでの?」
「そ」
林はニカッと笑った。
「まあ、これくらいじゃあ返しきれないけどね」
……これを受け取らないと、林はまた不機嫌になるんだろうなぁ。
俺は渋々、林からチケット代を受け取った。
「じゃ、行こうか」
「林、ロープウェイの入り口はそっちじゃないぞ」
林は少し気まずそうな顔をしていた。




