物音
到着した会員ジムの人入りはあまり多くなかった。
平日昼間。
恐らく、ジムに通うような自分磨きに勤しむ社会人は来れない時間帯が幸いしたのだろう。
「貸切だね」
林が言った。
「おう。器具なんでも使いたい放題だな」
「そうだね。やりたい放題出来るね」
「その言い方はなんだか不適切な気がする」
「へへっ」
林が得意げに微笑んだ。
正直、微笑んだ意味はよくわからなかった。
「それじゃあ、着替え終わったらこの辺で集合な」
「はーい!」
更衣室で、俺達は一旦別れた。
ジム用に用意した靴を履き、運動しやすい軽装に着替えて、廊下に戻った。
「お待たせ~」
半袖Tシャツ、ショートパンツにレギンスという格好で、林が更衣室から出てきた。
「どう? 似合ってる?」
「それ毎回聞く?」
既にこのジムには、林と何度か訪問済み。
その度、彼女は今と同じ格好をしている。
そして毎度、彼女は同じ質問を投げかけてくる。
もう言い飽きたぞ、というのが、俺の感想だった。
「……確かに、ちょっと痩せたかもな」
「えっ、本当!?」
またサイテー、と罵られるかもと思ったが、意外にも喜んでくれた。
……喜んでくれるなら、言わなければよかった。
「ほら、ジムが混む前にトレーニングしちゃおうぜ」
「はーい」
早速、俺達はトレーニングを開始した。
「じゃあ山本、ランニングマシンに乗りたいからセッティングよろしく!」
ジムに来て林が最初に乗るマシンは、毎回ランニングマシンだ。
ただ、彼女は異常なまでの機械オンチ。
当然、何度説明しても、自分自身でランニングマシンのセッティングをすることが、林に出来るはずがなかった。
故に、俺が彼女のランニングマシンのセッティングをした後、俺も自分のトレーニングを開始するのが、毎回の流れになっていた。
「じゃあ行くぞー」
「はーい」
ランニングマシンが稼働を始めた。
それと同時に、林はスマホを取り出して、動画を見始めた。
「きゃー、サモエドかわいー」
最近、彼女が好む動画の系統が、スカッと系動画から動物動画に変わりつつある。
正直、スカッと系動画の音声を聞くのも嫌になる時があるから、動物動画にハマりつつある状況は非常にありがたい。
「ねー、山本ー。あの部屋でもサモエド飼おうよー」
「駄目」
ただ、こうしてペットをねだるようになったのは少し面倒だ。
冷静に考えてほしい。
六畳一間に二人で生活しているだけで若干窮屈に感じるのに、そこに大型犬なんて追加したら、もうしっちゃかめっちゃかだぞ。
「かわいーなー。かわいーなー」
……付き合ってられるか。
俺は自分のトレーニングを始めることにした。
ジムでのトレーニングを再開して気付いたが……どうやら上京してしばらく碌な運動をしなかった結果、随分と体が鈍ってしまったらしい。
以前は持ち上げられた重量が持ち上げられなくて、俺は深い絶望に襲われた。
故に今、俺は肉体改造に高いモチベーションを持っていた。
林のダイエットを成功させるためにも、丁度良いタイミングでもある。
「ふんっ……ふんっ……」
滝のように汗を掻きながら、息を荒げて、俺は高負荷トレーニングを続けた。
「山本、終わったー」
しばらくして、林が俺の方に近寄ってきた。
「……ハァハァ。そうか」
「うわあ、すっごい汗だね。息もあがってるじゃん」
「……ハァハァ」
「……大丈夫?」
「……筋肉が」
「?」
「筋肉がエキサイトしてる」
「バカか?」
林の目は冷たかった。
「そんなに苦しそうなのに、よく筋トレ続けるわね」
「まあな」
「何が楽しいの?」
「お前、バカか?」
俺はタオルで額の汗を拭った。
「何も楽しくない」
「ついに頭まで筋肉に支配されたのね」
「……これは先行投資だ」
「つまり?」
「今、これだけ苦しんだんだ。筋肉だって応えてくれるはずだろ?」
「本当に頭まで筋肉に支配されてる……!」
林は心底引いた様子だった。
「……ねーねー。あたしもそれやってみたいんだけど」
「は?」
「あたしも、その筋トレやってみたい」
「……わかった」
クールに構えつつ、内心で俺は微笑んでいた。
また一人に筋肉を布教してしまった。
そうだよな。
立派な大胸筋、ほしいもんな(恍惚)。
「ねー、これ、どうやるの?」
「悪い悪い。使い方から教えさせてもらいます」
「なんで敬語?」
俺は懇切丁寧に、器具の使い方を説明した。
林は頭の上に疑問符を抱えながらも、とにかく器具を使ってみる気にはなったようだ。
「……ふんっ」
……おお。
「……んっ」
おお……。
やるやんけ。
林の奴、中々どうして……おおっ。
やるやんけ。
しかし、一つだけ修正が必要な箇所がある。
「林、その持ち上げ方だと腰を痛めるぞ」
正しいフォームを教えるべく、俺は林の腰に手を伸ばした。
「ひゃんっ」
林の腰に俺の手が触れた途端、林が変な声を漏らした。
ガッシャーン!
そして、重りが大きな音を立てた。
しばしの静寂。
「ご、ごめん……」
「俺こそ、悪かった」
俺達の間に、気まずい雰囲気が流れた。
ただ心底、今日のジムの利用客が少なくて良かった、と思った。




