ジムデート
ダイエットにおける運動の重要性は、最早俺から改まって語る必要はないくらい一般的だ。
そんな中でも、俺から敢えて言うことがあるとしたら……。
「林、ジムに興味はあるか?」
「ジム?」
林は可愛らしく小首を傾げた。
「……まあ、ないこともない。でも、ウォーキングだけだと駄目なの?」
「あまり好ましくない」
「そうなの?」
「ああ、有酸素運動では筋肉が付かないそうだからな」
「……と、言うと?」
「さっき俺は、摂取カロリーと消費カロリーの関係性をお前に語ったが、一番大きな消費カロリーの要素が何か知っているか?」
「……新陳代謝?」
「そう、新陳代謝だ。俺達くらいの年齢だと、一日あたりの基礎代謝量は、男で千五百キロカロリー。女だったら千百キロカロリーくらいだそうだ。俺達の食生活を鑑みると、一日の摂取カロリーは大体二千キロカロリーくらい。つまり、摂取カロリーの半分近くは基礎代謝が賄ってくれているわけだ」
「ほへー」
「しかし、ダイエットってのはつまるところ、エネルギー不足に陥らせて体内の脂肪を消費させていく作業だから……自ずと代謝も下がってしまうんだ」
「なるほど。だから代謝を下げないために、ジムで筋トレもしようってことね」
「そうだ。代謝量が減ることは、体重減少の一番の妨げになるからな。そういう理由でも、過度な節食は控えるべきなんだ。節食すると、体は勝手に代謝を下げるようになるそうだ」
「へー……あんた、マジで詳しいね」
「ああ、調べたからな」
「調べたくらいでそんなになるもんなの?」
「お前、俺を誰だと思ってるんだ?」
「得意げに語っていることが癪に障るって点を除けば、説得力のある言葉だねっ!」
林が快活に微笑んだ。
そうだろ?
「……でも、ジムにまで行く必要あるのかな?」
唐突に、林は俯いた。
どうやらまだ、ジムに行くことは抵抗があるようだ。
「まだ、お金はあんまり貯まってないのか?」
「ううん。そういうわけじゃない」
林は首を横に振った。
「ただ……なんかハードルが高いイメージがあるの」
ははあ、なるほど。
「新参がバーベル上げようとすると常連に舌打ちされるとかないのかな?」
「何だよ、お前らしくもない心配だな」
林といえば、高校時代は女王様と呼ばれる程、気高く、喧しく……喧しい女だったのに。そんなこいつが、まさか筋トレ愛好家にビビッているだなんて。
これはこれで面白いかも。
「大丈夫だ。そういうのはアマチュアだから」
「アマチュア?」
「そう。プロは遠目から見守ってくれる」
「それなら近くでアドバイス送ってほしいんだけど」
「おいおいっ、わかってないな林! それじゃあプロとは言えないじゃないか! アハハ!」
「……あんたの笑いの壷がわからないよ、あたしには」
高笑いをする俺を、林は冷たい目で見てきた。
「まあ、安心しろ。何も一人で行け、と言っているわけじゃない」
「ん?」
「俺も行く」
俺は林を安心させるように、グーサインを作った。
「……ああ、なるほど」
林は、納得したようだった。
「あんた、自分も久しぶりにジムに通いたいから、あたしのダイエットをダシに誘ってきたわけね?」
……ぎく。
「違うが?」
「じゃあいいよ。あたし一人で行く。大学も忙しいあんたに迷惑をかけるのもかわいそうだし」
俺は黙った。
こういう時、こいつは一々意地が悪い。
目を細めて林を見ると、奴はニヤニヤしながら俺を見ていた。
「……悪かった。そうだよ。最近、俺も体がなまってきていたから……折角だし、お前と一緒にジムに行こうと思ったんだ」
「最初からそういえばいいのに」
「なんか、癪だなって」
「あんたって意外と感情的な行動をするわよね」
あははっ、と林は笑っていた。
そんな笑っている林に言いたいことがある。
感情的な行動をするのは、お前も一緒だからな?
「とにかく、決まりだな。しばらくの間は、カロリー制限と運動を習慣化する。運動は、こういったウォーキングだけじゃなくて、ジムにも通う」
「うん。わかった」
「それなら、スーパーだけじゃなくて運動用の衣類とかも買いに行くか?」
「おっ、いいねぇ!」
林は指を鳴らした。
「じゃあ、ここからは買出しじゃなくてデートだね!」
そして、意味不明なことを言い放った林に……俺は顔を歪めた。
「いや意味わからん」
「いや意味わかるでしょ。親しい異性が一緒に服を買いに行く。これがデートじゃなくてなんだって言うの?」
「デートの定義は? デートの基準は?」
「うっさい」
「論理的質問をうっさいの一言で退けられた」
なんというパワープレイ。
「……お前、そんなん感じでいいのか?」
俺は呆れ顔で言った。
「何がよ」
「お前ぐらいになると、異性と服を買いに行くなんてしょっちゅうだったろ? そうしたらお前、色んな男とデートしまくっていたことになるぞ?」
「はっ」
林は鼻で笑った。なんだかむかつく。
「お生憎様。これでもあたし、異性と服を買いに行くのは、あんたで二人目よ。もう一人はお父さん」
例のDV男はどうした?
と、尋ねたかったが……今更掘り返すのもどうかと思って、口をつぐんだ。まあ多分、当時の林はDV男に束縛されまくっていたようだし、その結果、服屋に一緒に行くなんてことがなかったのだろう。
「これでわかった? 異性が二人で服屋に行くことは、まごうことなきデートってことが」
「……まあ、お前の言い分はわかった」
得意げな顔の林に、俺は言った。
「まあ、異性との買い物がデートかどうかなんて、個々人の裁量次第だからな。お前はそう思い続ければいい。俺はそうは思わないから」
「……素直じゃないなあ、相変わらず」
うるせえやい。
「……ま、あんたがそういうなら、それでも構わないけどね」
林は、やけにあっさり引いてきた。いつものこいつなら、もっと食い下がりそうなものだが……。
「それじゃあ、これはどう?」
ただ……どうやら林は、異性が服屋に一緒に行くことはデート論であるという主張より、もっと示したい主張があるようだ。
「異性が、お互いの様子を見ながら運動をする。それも有料制のジムで。二人で」
「……」
「これは、まごうことなきデートでしょ?」
林が提唱したがっていたのは……ジムデート。
俺から林に持ちかけた、ジムでの運動を、林はデートであると言ってきたのだ。
……俺は言葉に詰まった。
異性が一緒にジムに行くことがデートか否か。
違う、と一口に否定することは簡単だが……。さっき俺が服屋に一緒に行くことをデートではないと提唱した理由は、林が異性と服屋に行く機会に恵まれていたと思ったからだ。
一々、服屋に一緒に行くことをデートと言っていたらキリがない。だからデートではないと言った。
ただ……多分、林は異性と……いやそれどころか、これまで人生で一度もジムになんて行ったことはないだろう。
「あー、楽しみだな。あんたとのジムデート」
林はわざとらしく、ジムデートの部分を強調して言った。
「なんで、一々デートって言いたがるかね」
そんな林に向けて、俺は呆れた口調で言った。
そもそも、どうして林はこうも一々、俺にデートを強調してくるのか。そんなことをするメリットがあいつのどこにある? 何なら、デメリットばかりポツポツ浮かんでくるぞ。
とはいえそれでも、いくつかは俺の頭の中にも浮かんだことがある。
例えば、林が俺をからかいたいから、だとか。
例えば、林が俺を貶めたいから、だとか。
……でも多分、林はそういう邪な感情を浮かべるような奴ではない。
この数ヶ月の同棲生活を経て、俺が知ったあいつの姿では……。
「そんなこと、決まっているでしょ?」
多分、林は……。
「あたしがあんたとデートしたいから。それだけだよ」
男勝りな微笑を見せて、林は俺に言い放った。
「……あっそ」
「あれ? 照れた?」
「……そう見えるか?」
「……わからない」
わからない、か。
……正解だよ。
ダイエットしたからダイエット論を語りたかったが、かいつまんだ結果凄い中途半端になった気がする。
でも消費カロリーと摂取カロリーの話は、痩せたい人は覚えておいた方が良いぞ。
俺はそれで痩せたから。
ここまで書いてもやはり、書籍版2巻直前に書く話ではないと思ってしまうな!
あはは!