愛の巣
デートに行く前に立ち寄った、林と彼女の元恋人の愛の巣。そこで見つかった使用済みのゴム。これから俺達はデートに行くというのに、いきなりの前途多難な展開だ。
少しだけ気まずさを覚えながら、俺は寝室に林を置いて一人リビングにいた。本当はこんな埃っぽい部屋には一分一秒もいたくなかったのだが、林がお目当ての衣服を見つけて、俺に外で待っていろと命じるのだから仕方がない。
「おまたせ」
「へくちっ」
くしゃみで返事をしながら、俺は林を迎えた。さっき寝室で二人で見つけたブツのこと、もう林は気にしていないらしい。
「おう。似合っているな。……へくちっ」
「ありがとう。くしゃみ我慢してくれたら、もっと嬉しかったんだけどね」
「ムードも何もなくて申し訳ない」
さすがに申し訳なくて謝罪をしたが、そもそもこんな埃っぽい部屋に俺を連れてきたのは林。謝る必要なんてなかったのではないだろうか?
「それにしても、ちょっと驚いた」
俺のしょうもない考えを悟ることもなく、林は言った。
「何が?」
「あんたが素直にあたしの格好、褒めたこと」
「……それのどこに驚く要素があるんだ?」
「そりゃだって、あんたいつも斜に構えているじゃない」
斜に構えていないとは言えないから、俺は口を閉ざした。
「なんか、素直に人のこと褒めるあんたがイメージ出来なかったの」
「そんなことないだろう。俺はいつも人のこと褒めてばかりだぞ」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃない。……と思ったが、そうでもないかもわからない」
「そら見たことか」
「……きっと、素直に褒めるべきなんだと思うくらい、お前とその服が似合っていたってことだと思う」
冷静に、俺は自らの言動を分析した。導き出した答えは、考えてみれば考える必要もないくらいにありきたりな答えだった。まあ、あの女は高校時代、学校でも有名な美人だった。そんな人が纏う服だなんて、どんな服であっても似合うに決まっている。
「どうした、顔が赤いぞ。……へくちっ」
「……別に。そろそろ部屋、出ようか」
「そうしよう。これ以上は鼻が痒くて耐えられない」
「……それは、素直にごめん」
ようやく、俺達は林の元恋人の部屋を出た。扉を出て、鍵をかけて、外に出て……林は、マンションを見上げていた。
「どうした?」
「……ううん。なんでも」
林の顔には、哀愁が漂っていた。どんな経緯であれ、彼女はここで数ヶ月生活を送った。どんな形であれ愛した彼と、時間を共有したのだ。濃密な時間を過ごしたのだ。
きっと俺なんかでは思い至らないようなことを、彼女は考えていることだろう。もしかしたら彼女自身、今自らがどうしてマンションを見上げるなんて行動をしたか、わかってはいないかもしれない。
「それじゃあ、行こうか」
「おう」
俺達は歩き出す。多分、もうここに戻って来ることはないだろう。俺も、当然彼女も。
ここに来るまでの道中は、酷いもんだった。林の顔は真っ青だし、俺もそんな彼女が心配で気が気でなくて、酷いもんだった。
でも、マンションを去って行く今は、酷く心が軽い。これから林とデートに行くからだろうか? はたまた、彼女の晴れた顔を隣で見ているからだろうか?
多分、どっちも正しい。
それにしても、高校時代は考えてもいなかった。あの林とデートをすることになるだなんて。
……あの時の俺は、林のことが嫌いだった。傲慢で勝ち気で高飛車な彼女が嫌いだった。多分、彼女も俺に抱いていた感情は似たようなもんだったと思う。
そんな俺達が、まさか地元から離れたこんな土地で再会し、同じ屋根の下で過ごす日が来ようとは思っていなかった。
ただ、そんな予想外な彼女と二週間生活を共にして思ったことがある。
それは、意外とこいつと一緒にいる時間も悪くない。そんな考えだった。
でも、俺達のこの時間はもうすぐ終わる。
もう彼女は、俺なんかが保護する必要は一切ない。そうなれば彼女は多分、俺なんかとは一緒にいるべきではない。
このデートが、彼女との最後の思い出になるだろう。
嫌い合っていた俺達の、最後の思い出になるだろう。
彼女を匿うことに決まった日、俺は彼女を保護するのを拒否しようと考えていた。高校時代の彼女が頭を過ると、彼女の境遇には同情するが、一緒にいたいとは思わなかった。
ただ、一緒に暮らしてみて……意外と、あの時間も悪くなかったな、と俺は思い始めていた。
まさか、こんな感情を抱くことになるとは思わなかった。
……まさか。
林と、まだ一緒に暮らしていたいだなんて。
そんなことを思う日が来るだなんて、多分、昔の俺に言っても信じることはないだろう。