ツンツン
「い、いやあ、本日はお日柄もよく、絶好の山本君宅お伺い日和ですね!」
いきなり饒舌になったのは、竹下だった。
ん、などという簡素にも満たない返事を寄越した相手のせいで、彼女はどこからどう見ても普通ではなかった。額から汗。饒舌に話している割に、口は少し震えていた。
「いや、そういうのいいから」
林は冷たく言った。
明らかに不自然。
だが、一つ疑問がある。それは、林が今、どうしてこんなにも機嫌が悪そうなのか、ということだ。
俺には心当たりが一切ない。
……で、あれば。
笠原か?(バカ)
なら、致し方なし。
元彼女の尻拭いをするのも、元彼氏としての務めだろう。
「林、その態度はないだろ。折角場を和ましてくれようとしているんだぞ?」
「うっさい。バカ」
「……」
一蹴だった。
それこそ、死体となった俺に、全力でトーキックをかますくらいの蹴散らされ方だった。
「こ、ここがお二人が住んでいる家ですか。あたし、朝から楽しみだったんです!」
「いや、玄関前での会話、聞こえてたからね?」
ヒュー、と冷たい風が流れた気がした。
まあ、少し考えれば、林が玄関を開けた理由が俺達の声が聞こえたから、なことくらい想像が出来そうだが。
もしかしたら竹下も、そう思いはしたが、そうでないことを祈って敢えて口にしたのかもしれない。
それにしても、だ。
家に入った後、気まずい空気が流れることは想定していたが、まさか入る前からこんな惨憺な状況になるとは思ってもみなかった。
こうなれば……。
「林、いつも迷惑ばかりかけてすまないな」
ずいっと、俺は林に一歩迫った。
「な、何……?」
林はたじろいだ。
「いや、こうして思うと、俺はダメダメだなと思わされたんだ。本当、俺ってなんてダメな奴なんだろう」
俺は、背後に立つ竹下に合図をした。
気づけ。
言え。
そう合図したつもりだった。
何を言うか。
それは勿論、ここに来る道中、竹下に吹き込んだあれだ。
『もし話に困ったら、俺の悪口を言うんだ』
背後の竹下が何かを察した気がした。
「ま、まったくー! 山本君はダメダメだなあ!」
そう言ったのは竹下。
「山本のこと悪く言うのやめてくれる?」
今日一番不機嫌に言い放ったのは、林。
そして!!!
今日一番冷ややかな玄関前。
重い……重い、空気が流れていた。
重すぎて肩が凝りそうだ。
「うそつき」
「……すまん」
俺は背後の竹下に謝罪した。
しかし、まさかこんなことになるだなんて、予想だにしなかったのだから仕方がない。
何事もトライアンドエラー。
この失敗を糧に、次の成功を生むしかない。
……そんなこと、今の竹下には到底言えないが、そう思って開き直ることにした。
林が上目遣いに俺を睨んでいた。
そして、少ししてため息を吐いた。
「そろそろ家に上がったら」
「へ?」
竹下は間抜けな声を出した。
「何よ。入りたくないの?」
「いや……そういうわけじゃ」
「……どうせ、山本に吹き込まれたんでしょ?」
「そうです」
「そうだ」
「あんたまで返事するな」
林にまた睨まれた。
「そんなこと気にしないから、さっさと上がったら? ここで話しているの、近所迷惑だよ」
「確かに」
「お、お邪魔します」
ようやく、俺達は家に入った。
ただ、きっと今、内心、竹下は気が気ではないだろう。
一体、林の奴にどんな酷い仕打ちをされるのか、と。
「あっちで座ってて」
林はキッチンに立ち、俺達をリビングに促した。
「お前は?」
「いいから」
有無を言わさぬ態度だ。
仕方なく、俺達はリビングへと向かった。
「……なんでこんなに早く帰ってくるのよ」
キッチンから林が言った。
「お前が早く帰ってこいって言ったんだが?」
「早く帰ってこいって言われて、なんで早く帰ってくるのよ」
「……すまん」
テーブルの対面に正座する竹下に、不憫なものを見る目で見られた。
「尻に敷かれてるなー……」
竹下は小さく呟いた。
「あ、忘れてた」
林が言った。
「ひっ……」
手には、包丁を持っていた。
それで何を企んでいるのか。
俺達はたじろいだ。
「……何?」
「いや……」
「ね。そっちの……」
林は意に介した様子はない。
「あんた、夕飯は?」
「え?」
「夕飯。……というか、名前は?」
「あ……竹下です」
「それは苗字でしょ」
「寧々です……」
「寧々、か。で、夕飯は?」
「え? えぇ……と」
「夕飯。一人暮らし? この辺に住んでるの?」
「ひ、一人暮らしです。夕飯は……いつも一人で寂しく。ホームシック気味で。壁との会話も慣れてきました」
「そっ」
え、軽っ。
そんなサラッと流すような内容だったか?
竹下、自嘲気味に笑っているぞ……?
そもそも、壁と会話なんて出来るんか?
「じゃあ、今日はウチで食べな」
「えっ」
えっ。
「……そ、そんな。あたしみたいな奴が、お二人の邪魔をするだなんて」
「は? 別に邪魔でもなんでもないんだけど」
「……え」
「だってあんた、山本の友達なんでしょ?」
「……」
「山本の友達を、あたしがもてなさないわけにはいかないでしょ」
「おかんか」
突っ込みながら、合点がいった。
確かに、おせっかいな林ならこれくらいのことはしそうなもんだな。
「……いいんでしょうか」
「は?」
「あたしなんかが、もてなされてしまって」
「あんた、何言ってるの?」
林は、ニカッと笑っていた。
「当たり前じゃん」
「……」
「?」
「ふぇぇぇ……」
泣き出した。
「ねえ山本。この子、ちょっと感情の起伏激しくない?」
「それはもう俺がさっき突っ込んだ」
「あ、そう」
林はキッチンに包丁を置いてから、竹下を慰め始めた。
絶対言っちゃいけないんだろうけど言うわ。
この女めんどうくさっ!!!
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