どっちつかず
一日の講義が終わり、俺は帰路に着いた。
いつもなら一人、のんびりと音楽でも聞きながら、電車に揺られるところなのだが、今日は生憎、俺はとある女子と一緒に乗車していた。
「……ね、ねえ、山本さん? あたしも本当に行かないといけないの?」
今、怯える顔で上目遣いに俺を見るのは竹下とやら。
俺の大学の、同じ学科の同級生。
そんな彼女と俺が、どうして一緒に電車に乗っているのか?
しかも、相手はさっきから怯えた様子で。
もしかしたら、端から見たら思うかもしれない。
犯罪の臭いがする、と。
「すまんな」
「……あたし、まだ死にたくないんだけど」
あ、犯罪の臭いどころか一歩手前まで来ていたわ。
涙目の彼女に居た堪れない顔を作りながら、俺は次の言葉を考えていた。こうして、泣きそうな女子相手にかける言葉を、俺は持ち合わせてはいなかった。
「すまん。俺も背に腹は代えられないんだ」
上の人間に歯向かえず、犯罪の片棒を担ぐ。
まるで、末端やくざにでもなった気分だった。
今、俺達は俺の家へ向かっていた。
本来、ほぼ今日が初対面の彼女を連れ込むような場所ではないのだが……俺の同居人が、今朝、どうしても彼女を今日、家に連れてこいと迫ったものだから、こうなっている。
「もし本当に嫌なら、逃げてもいいんだぞ?」
一応、俺は尋ねた。
「いいよ。元はと言えば、あたしが山本君に無理に勉強教えてって言ったことが原因だもの」
「それは……」
まあ、そうかもしれないが。
言葉に詰まった。
「ま、まあ、暴力とかは振るわないと思うから、安心してくれ」
「本当?」
「ああ」
「すごい怖そうな人だったけど……?」
「外見はな。中身は……」
最近はおとなしいが、高校時代はそれはもう酷かった。
暴力……は、ないが、嫌った相手は徹底的に嫌うような奴で、俺も嫌われていた。
とは、言えないなぁ……。
これ以上、竹下とやらを不安がらせるのは、可哀想だ。
「仕方がない。ご機嫌を取る方針で行こう」
俺は提案した。
「ご機嫌を……?」
「そうだ」
「どうやって? お菓子でも貢ぐの?」
「あいつ、今、ダイエット中だからなあ」
「そんなことも知っているんだ」
「同居人だからな。当然だろう?」
竹下とやらは不自然に黙ったが、俺は気にせず、林のご機嫌取りの策を考えた。
「女子って、どういうこと言われたら嬉しいんだ?」
そして、考えた結果、俺は答えを導くことが出来なかった。
「なあ、お前は、どんなこと話している時が楽しいんだ?」
「え……?」
うーん、と竹下とやらは唸った。
「嫌いな人の陰口を言っている時……?」
「性根が腐った回答だ」
「う、うっさいよ!」
しかし、嫌いな相手の陰口を言っている時、か。
……確かに、高校時代の林は、俺の悪口を言っている時はいつも楽しそうだったな。
よし。
「竹下。もし話に困ったら、俺の悪口を言うんだ」
「え」
「きっとあいつ、大喜びするぞ」
「……同居相手の悪口を言われて?」
「ああ」
「あなた達、そんな関係なのにどうして同居なんてしているの?」
「そりゃあ、やむを得ない事情があって」
大真面目に言ったのだが、竹下とやらは目を細めていた。
「まあ、わかった。考えておく」
「おう」
そんなやり取りをしていく内に、電車は最寄り駅に到着した。
俺達は電車を降りて、アパートへ向かった。
道中、会話はない。
会話をするような間柄ではないし、友達が少ない(いない)俺達が、相手の気持ちを察して会話をするなんて無理な話なのだ。
ただ、竹下とやらの足取りは歩けば歩く程重くなっていった。
どう見ても、俺の家に来ることを躊躇っている。
それが見て取れた。
「着いたぞ」
しかし無情にも、俺達は無事、家へとたどり着いてしまうのだった。
「……ねえ、山本君?」
「何だ」
「帰っていい?」
「ここまで来て……?」
臆病風を吹かすにも後の祭りすぎるだろ。
「もっと早く言えよ」
「……だって」
「いいよ」
「え?」
「言える雰囲気じゃない状況を作ったこっちも悪いんだ。むしろ、すまない。……来たくないのなら無理強いはしない。こっちのことはこっちで何とかする。だから、帰って大丈夫だぞ」
竹下とやらは、目を丸くしていた。
「山本くぅん……」
「今にも泣きそうな顔をしている」
そんなに嫌だったのか……。
まあそうだよな。
林、怖いよな。
「あたしが帰って、山本君、ぼこられない?」
「されようがされまいが、お前が気にするところじゃないだろ?」
「……本当にいいの?」
「ここまで来てどっちなんだよ」
今朝出会った時もそうだったが、どっちつかずな奴だ。
「竹下。お前、帰りたいのか? 帰りたくないのか?」
「……帰りたい」
「わかった。なら帰れ。でも、とか、だって、とかそんなことはいい。お前がしたいようにしろ。お前が決めなきゃ、意味がない」
そう言うと、竹下とやらはしばらく俯いて黙った。
「ごめん」
そして、謝罪をして踵を返した。
「おう。すまなかったな。気をつけて帰れよ」
「うん……!」
一先ずこれで竹下とやらに何かが及ぶことはなくなっただろう。
今はとりあえず、それでいい。
そう思ったのだが……。
「扉の前で何やってんの?」
家の扉が開かれ、出てきたのは林だった。
……バッドタイミング。
まるで錆付いた歯車のように、ギィーギィーと音を立てるかのように、竹下とやらは林の方を向いた。
……折角、帰そうと思ったのに。
どっちつかずな状態だから、タイミングを逃したんだぞ?
「け、今朝ぶりです」
「ん」
林は、竹下とやらから目を逸らした。




