表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/152

お盆休み

 深夜バイトを終えて、俺は部屋に帰宅していた。深夜バイト前の暗闇の中出掛ける時の気分は最悪だが、深夜バイト明け、白む世界を歩く時は何故だか気分が良い。

 

「ただいま」


 俺の住む部屋は六畳一間。一人暮らし用の築二十年、鉄筋コンクリートのワンルーム。本来であれば、帰宅時に挨拶をするだなんて、俺と違って行儀良い人くらいしかいないのだが、最近の俺は挨拶をしてから部屋に入る。

 それは当然、その言葉を告げる相手が部屋にいるから。


 林恵。

 高校時代の俺の同級生で、上京後に付き合い、同棲までした彼氏にドメスティック・バイオレンスをされて、俺の部屋に匿われた女の子。


「おかえり。朝ごはん食べる?」


「うん。ありがとう」


 彼女をこの部屋に匿って、そろそろ二週間。

 奇妙な形で始まった俺達の同棲生活は、意外にもここまで大きなトラブルなく、平穏無事に過ぎている。


「そう言えばあんた、そろそろお盆だけどどうするの?」


 彼女が振る舞ってくれた朝食は、白米、スクランブルエッグ、ウインナー、そして味噌汁。一般的な家庭の朝食であるが、一人暮らしの朝食としては豪勢なそれだ。

 それらを食べながら、お盆が間近に迫ったことを鑑みてか、林は俺に尋ねてきた。


「帰らないよ」


「なんで?」


 俺がお盆に帰らないのは大層意外だったのか、林は尋ねてきた。

 彼女としては、どうなんだろう。俺に実家に帰ってほしいのか。ほしくないのか。ちょっと考えると答えは出る。多分、帰ってほしいに違いない。しょうがない。付き合ってもいない異性と、事情があるとはいえ二週間も同居しているのだ。ここに来た経緯も踏まえて、彼女の心中はお察しだ。


「帰りのチケット取れなかった」


 お盆は社会人も休みとなる、所謂帰省ラッシュの時期。公共交通機関は、狙い目とみて運賃を上げてくるし、それでも席が取れないくらい、電車は人でごった返す。

 大学入学のため上京し半年。俺はゴールデンウィークも実家に帰らなかった。このアパートに住み始めてすぐはホームシックだった。だけど、一人暮らしを満喫する内に、他人のいない環境にすっかり体は慣れてしまった。そうこうしている内に、俺は機を逃したのだ。


「ごめんな」


「なんで謝るのよ」


 林は、呆れたように苦笑した。

 彼女はきっと、俺となんて一緒にいたくないと思ったから謝罪したのだが、宛は外れたらしい。


「お前は実家に帰らないのか? ……と、忘れてくれ」


 彼女は今、絶賛親子喧嘩中。恐らく、実家に帰る選択肢はないだろう。


「そうだね。悪いね、一人暮らしの邪魔をして」


「気にするな。お前がいると料理しなくて済むからな。こっちとしても楽で仕方がない」


 彼女はおおよそ全ての家事を担ってくれている。炊事。洗濯。家計簿なんかも付けてくれている。唯一、掃除は俺の領分だ。申し訳ないが、それだけは譲る気はない。絶対にだ。


「ごめんね」


 林はもう一度謝罪をした。


「だから、気にするなよ」


「そうじゃない」


 じゃあ、一体何だって言うんだ?


「あたしに配慮してくれたんでしょ? 実家に帰るの」


 俺は黙った。


「あんなことがあったばかりのあたしの状況を配慮して、実家には帰らず、あたしと一緒にいて元気付けようと思ったんだ」


「俺がそんな気が利くと思うか?」


「この前、親と電話してたでしょ」


 この前の早朝。

 俺のスマホに親からの電話が届いた。内容は要約すると、お盆は家に帰るのか、の意だ。俺は、その電話ですぐにお盆も家に帰らない旨を伝えた。親は意外にも、俺に帰ってくるようにやんわりと要望を出してきた。久しぶりに、馬鹿息子に掃除でも手伝ってもらいたかったのかもしれない。

 それでも俺は、それを断った。……正直、いくら混むといっても、実家に帰省するまでの電車がないだなんてそんなことはない。何なら、大学生の夏休みは長いのだから、時期をずらせば帰省は容易。


 それでも俺は……。


「そういうの、言わないのが礼儀ってもんだろ」


 顔が熱い。まったくこの女、油断も隙もありゃしない。今度からは電話一つも細心の注意を払わねば。折角、こっちが無用な遠慮をされないようにと取り計らったのに、これじゃあ頑張り損だ。


「ごめんごめん。だって……あんまりにも素直じゃないからさ」


「……二週間も一緒にいて、気付かなかったか」


「アハハ。そうだね」


 林はひとしきり笑って、俺を見据えた。


「まったく、あんたは捻くれ者だね。高校時代からそうだったの?」


「高校時代より、もっと前からだ」


「救えないね」


「そうだろう?」


「……もっと素直な感情を出していたら、きっともっと楽しい時間を過ごせたと思う」


「俺の人生が楽しいものだったかどうかは、俺が決めるものであって、お前が定義づけるもんじゃない」


「その通りだね」


「……認めるんかい」


「だって、その捻くれ具合のおかげで、あたしは救われたんだから」


 ……それはどうだったんだろうな。

 今回、俺が林を助けることが出来たのは、偶然俺達が高校の同級生で、偶然彼女が俺が働くコンビニに入店してきて、偶然、彼女の怪我を俺が見つけてしまったからだけだ。


 タイミング、運、背景。全てが噛み合ったからこそ、生まれた結果だ。


 ただ逆を言えば、俺以外の人でも、タイミングと運と背景が伴えば、間違いなく彼女を救ったはずなのだ。

 もしかしたら、俺はあの時、彼女を救うべきではなかったのかもしれない。彼女にもっとふさわしい人に、彼女を救ってもらうべきだったのかもしれない。


 卑屈になっているわけではない。

 これは、一般論だ。

 事実、林の話だと笠原は、俺が林を助けたことを大層驚いたそうだ。それは何よりも、俺が林を助けるような人には見えなかった。それを意味しているのではないだろうか。


 ……これ以上考えるのはやめよう。

 こういう思考は大抵、自身のモチベーション低下や気分を盛り下げるものだから。


 マインドを変えること。

 それは、様々なことに失敗してきた俺が導いた、より良い人生を築くための一つの術。


「……ねえ、山本?」


「何?」


「……お盆の間、時間ある?」


 似たような誘い文句を、俺は最近彼女にされた。


「ある」


 その時俺が誘われたのは、スマホ購入の付き添い。


「じゃあさ、ちょっとデートに行かない?」


 ……しかし、今度は。


「俺じゃないといけないのか?」


「……あー、どうだろう」


 林は一瞬、逡巡して、真剣な眼差しを俺に向けた。


「うん。あんたじゃないと駄目だ」


「なんで?」


「あんたがあたしの命の恩人だから」


 それは、タイミングと運と背景が伴ったから成っただけ。ただ、どんな形であれ、俺がそれを成したことも、また事実。


「それと……そろそろあたし、ここを去るわけだからさ」


 林の物件探しは、それなりにスムーズに進んでいる。

 そろそろ、不動産屋のところで契約をするくらいに、彼女のそれは進んでいた。


 ……確かに。

 そろそろここを去る彼女に、惜別の意味を込めて。


 一度くらい、デートをしても良いかもしれない。


「わかった」


 まもなく、俺は同意した。


「ありがとっ」


 嬉しそうに微笑んだのは、林だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 年齢、親に勘当、仕事してる?してない? で、まともな賃貸物件は借りれなさそう。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ