林恵はデレデレ
志穂ちゃんとの出会いは、あまり良いものではなかったと思う。彼女の優しさ、というか甘えん坊さに助けられ、一緒に手を繋いで歩いて帰ることには成功したが、もう少し信頼してもらえるようにならないと。
志穂ちゃんと手を繋ぎ、先を歩く山本に続きながら、あたしはそんなことを考えていた。不思議なことに、あたしは今、何かに対して相応の覚悟を奮わせていた。
多分、志穂ちゃんをここで籠絡出来ないと、あたしと山本家の関係が険悪になる。そんな考えから生まれた覚悟だった。
「ね、ねえ志穂ちゃん。勉強は楽しい?」
「え? ……うーん。別に」
「そうなんだ」
「うん。恵さんも塾に通ってた?」
「え? あー、中学の時はね」
「そっかー。あたし、お兄ちゃんと似てなくて、そこまで頭良くないんだよね」
「そうなの?」
「うん。だからお兄ちゃんなんて嫌い」
……たかだか勉強が出来ない程度で、兄のことを妬んで、そんなことを思うのか。
まあ、今まで志穂ちゃんは、山本と相当比較されて育ってきただろうし、それであれば文句を言いたくなる気持ちもわからなくはない。
だけど、その程度のことで山本のことを嫌いになる?
……いくら兄妹だからって、到底許せることじゃない。
「あたしが困っている風だと、すぐにどうした、だとか、勉強教えてやろうか、だとか。そんなことをうざいくらいに言ってくるの」
それは、あんたのことを想ったからこそ出た発言だ。
煩わしく思うことさえ、お門違いだ。
……やばい。
この子にわからせてやりたい。
暴力は駄目だけど、それ以外なら……。
「少しは自分の心配するべきだよ、お兄ちゃんは」
「……え?」
「お兄ちゃんは、あたしなんかより立派な人生歩めるよ、多分。だから、他人の心配よりどうすればもっと良い人生を自分が歩めるか。それを考えてほしいもんだよ」
……ふぅん。
「わかる。あいつ、自分のためとか言って鬱陶しいくらいこっちの心配してくるよね」
「ね。ね! そのくせ、難しい言葉と偉そうな態度で、自分のために行動したまでだ、みたいな感じで話してくるの! 本当うざい!」
「わかるー」
山本は本当、素直じゃない。
志穂ちゃんの言う通り、あいつは他人のために自分が嫌われることも疑問に思わないし、後悔もしない。そして、いつも優しくあたしの面倒を見てくれるんだ。
「あいつ、絶対自分の意見は曲げないよね。それでいて無駄に面倒見が良いし。本当うざい」
「アハハ。恵さんわかってる。本当そう。うざいうざい!」
なんだ。志穂ちゃん。よくわかってるじゃん。
うんうん。
そうだよね。
山本は本当、そういうところうざくて、優しいんだ。
そんな山本の優しさに触れたからこそ、あたしは山本に恋をしたんだ。初めての恋をしたんだ。
「ねえ恵さん、家でのお兄ちゃんってどんな感じなの?」
「え? そうだなあ……」
あたしは顎に手を当て、楽しそうな顔で少し考えた。
山本が、家だとどんな様子なのか。
どんな感じにうざくて、優しいのか。
まさか、共通の想いを持つ相手との会話がこれ程楽しいだなんて思わなかった。
既にあたしは、最初志穂ちゃんに抱いていた緊張感だとか、畏怖だとか、そういうのは全て吹っ飛んでいた。
これも全て山本のおかげだ。
山本のおかげであたしは、志穂ちゃんとこうして打ち解けられたわけなのだ。
それからの道中、打ち解けたあたし達は色んな話をした。
「恵さん。頭撫でてー」
「えー? もう、仕方ないなあ」
志穂ちゃんの髪は、艶があり、とても柔らかかった。
「恵さん、メグちゃんって呼んでいい?」
「えー? もう、仕方ないなあ」
「メグちゃん、抱っこ!」
「えー? もう、仕方ないなあ」
「……すっかり林が、志穂に籠絡されている……!」
遠くで山本の声が聞こえた気がした。