林恵と妹
塾と思しき建物には、いくつかの垂れ幕が下げられていた。どうやらこの塾は去年、複数人を有名中学へ排出した実績があるらしい。
「そろそろ終わる時間のはずだ」
そんな山本の言葉を端から聞き、あたしは山本と一緒に彼女の妹が塾から出てくるのを待った。
しばらくすると、塾から子供達が出てき始めた。
よく見れば、塾の周りには塾生の保護者と思しき親御さん達が何人も立っている。そんな親御さんと会話を楽しむ塾生達。
「アハハ、じゃあまたね」
塾から出てきた一人の少女を見つけた山本は、黙って歩き出す。
あたしも、山本の後に続いた。
山本が近寄る少女は、友達と別れて少しして、山本に気づいた。
「あれ、お兄ちゃん」
「おう。久しぶり」
「本当だね。今日はどうしたの?」
「お前が帰ってこいって言ったんだろ?」
「え、あたしそんなこと言ったっけ?」
呆れる山本と、おどける山本の妹。
なんとなく、少しのこの会話を聞いているだけで、この二人の関係性がわかった気がした。
「お兄ちゃん、そちらの方は?」
山本の妹は、あたしに気づいた。
……妹ながら、あたしは軽く緊張した。
「ああ、こいつは林。俺の友達だ」
「へえ、そんな友達と、どうしてここに?」
「……紹介しようと思ったんだよ、皆に」
妹ちゃんが怪訝な顔をしている。
あたしは、山本が妹ちゃんの紹介もしてくれないせいで置いてけぼりだ。
山本は、一先ずあたしの紹介が済んだからか、少し満足げに見えた。
いやさ、あんた……全然足りてないからね?
「あたし、林恵。よろしくね。お名前、教えてくれる?」
あたしはなるべく優しい声で妹ちゃんに声をかけた。
ここで悪印象を与えるわけにはいかない。
平静を装いながら、あたしは内心必死だった。
「山本志穂」
「志穂ちゃんか、よろしくね」
笑顔で、あたしは志穂ちゃんに言った。
志穂ちゃんのあたしへの態度は、依然軟化する様子はない。
「恵さんは、お兄ちゃんとどういう関係なの?」
「え?」
あ、あたしに尋ねる……?
山本の顔を見ると、自分が声をかけられたわけではないからか、緊張感のない顔をしていた。
どうやら、あたしが答えるしかないらしい。
「今、お兄ちゃんと一緒に住まわせてもらっているの」
志穂ちゃんは、途端目を丸くしていた。
多分、彼女はあたしなんかより山本との交友が深いから……あの兄に同居人がいるだなんて、とかそんなことを思っているんだろう。
「二人は恋人なの?」
「そ、そういうわけじゃないんだけどね……?」
「え、恋人じゃないのに一緒に暮らしているの?」
「そうだね……。そうなる」
「……えぇ」
志穂ちゃんは困り顔になった。
まあ、仕方のない反応か。
ただ、この年齢の子に、あたしが前の恋人にドメスティック・バイオレンスされていたの、だなんてカミングアウトは出来ない。
「もしかして、お兄ちゃんのこと利用していますか?」
志穂ちゃんのいきなり切り込んだ質問に、あたしは言葉に詰まった。
志穂ちゃんは、どうやら年の割に賢い子のようだ。小学五年生。今の志穂ちゃんと同じ年の頃、あたしは一体、何をしていただろうか。
……多分、魔法少女に憧れていた頃だ。
そんな話は今はよくて……一体あたしは今、彼女になんて答えるべきなんだろう。
多分、変なことは言うべきじゃない。
……志穂ちゃんからしたら、当然の疑問だ。
大切な兄が、どこの馬の骨かもわからない女と一緒に暮らしていて、しかも恋人関係でもなくて、憤るのだって当然だ。
「利用なんてされちゃいない。こいつはこの前まで、プライベートな事情で傷ついてたんだ。だから、一時的に匿うことにした。それだけだ」
助け舟を出してくれたのは、山本だった。
スマートに、一部匂わせもしつつ、多方面に気を配った発言だった。
「……お兄ちゃんが女の子を匿うぅ?」
「変か?」
「そりゃあね」
「……そっか」
山本はしょぼんとしていた。
あれは多分、本人的にはまるで変だと思っていなかった、という反応だ。
ごめん山本。
さすがにそれは、あたしも変だと思う。高校時代のあんたのことを知っているから、余計に。
「……まあ、こいつにはお世話になりっぱなしだ。家事は大体全部こいつがやってくれている」
「つまり、お兄ちゃんが恵さんを利用しているってこと?」
「そうなるな」
「お兄ちゃん、酷い男だね。灯里ちゃんはどうしたのさ」
「……それは前にも話しただろう」
「だからってほったからし? それでいいの?」
……どうやら、志穂ちゃんの中での優先度は、あたしより断然灯里のようだ。
そのことが少しだけショックだった。
だけど、今初対面のあたしと、仲良くなった灯里と……どちらを優先するかだなんて、そんなの一目瞭然か。
そもそも、灯里と山本が別れたのはあたしのせい。
あたしのせいなんだ……。
山本のご両親と会える興奮と、子供みたいに駄々をこねる山本のせいですっかり頭から抜け落ちたが……あたしは、二人に贖罪をしないといけないのではないだろうか?
……それにしても、志穂ちゃん、手厳しいな。
こりゃあ、敵わない。
既に少し、心が折れそうだ……。
「とりあえず、家に帰ろっか?」
提案したのは、志穂ちゃんだった。
「そうだな」
「……恵さん」
「え?」
「手、繋いで帰ってもいいですか?」
「え?」
志穂ちゃんの提案にあたしは狼狽えた。
「嫌なのか? 繋いでやってくれよ」
「お兄ちゃんうっさい」
……緩急がエグい。
あたしは志穂ちゃんと手を繋いで、家に帰った。幸せな時間だった。それ以上の表現はありはしない。
うーん、まともw
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