撫でる
歯切れ悪く、林が言った。
頭を撫でてほしい。
俺は首を傾げた。
言葉の意味はわかる。彼女の願った、俺のするべきことも明確だ。
ただ、首を傾げずにはいられなかった。
林は今、一体どういう感情で俺にそれをお願いしたのだろうか。
林は頬を染めて俯いて、恥ずかしそうにしている。どうやら俺に理由を教えてくれる気はないらしい。
仕方なく、俺は一人考えることにした。
ただ、考えていく内に何となくわかり始めていた。
……多分。
多分……。
林は一人っ子だから、甘えられる存在が欲しかったのだろう(バカ)。
実家に住んでいた頃、林は父親から厳しい指導を受けていた。
上京した後は、元恋人に酷い仕打ちをされ、心も体も傷つけられた。
だから、きっと林は余計に、そういう対象を無意識の内に求めているんだ(大バカ)。
「わかった」
「えっ」
林は驚いた顔で俺を見た。
「い、いいの……?」
「お前がそれを望むなら、駄目だなんて言わないさ」
「は?」
……なんで凄む?
一応これ、お前が願ったご褒美なんだけど。
「断るわけないだろ」
「なんでよ」
「俺に出来ないことじゃないからな」
林は黙った。
俺からしたら、今の言葉に嘘偽りは一切ない。
そもそも、ご褒美を与えると考え至った時点で、ある程度の恥はかき捨てる気だった。
林が要求してくると想像していたご褒美に比べたら、頭を撫でるだなんてそれくらい、生易しいもんだ。
「あんたってさ、本当お人好しだよね」
「出来ないことをやれるようにしろというのなら、そうかもしれない。ただ俺は、出来ることをするだけ。それだけなんだ。だから、こんなのはお人好しなんかじゃあない」
「そんなだからあんた……モテないんだ」
「なるほどわからん」
俺がモテない理由がわからない、と言うよりは、林が俺のどこを見てモテないと言ったか。それが曖昧だって言いたかった。
じゃあもし、俺がモテるようになるには、一体何を対策すれば良いのか。林の言い振りだと、それがよくわからなかった。
まあ、生憎今の俺は恋人を欲しいとなんて思っていないし、林に事実を突きつけられても改善はしないだろうし、深く聞く気はない。
ただ、似たようなことを彼女を部屋に匿った日にも言われたな。
俺は苦笑した。
「……あんたはさ」
「ん?」
「あんたは、モテる必要ないよ。ううん。モテるべきじゃない」
「え、なんで?」
「……とにかく、駄目だから」
なんでだよ。理由を提示しろよ。
そう言いたくなったが、まあ今は言い返さずにいておいてやろうと思った。
「あんたなんかこの部屋であたしの面倒を見てればいいの」
「面倒を見ているのはお前で、俺は見られている立場だろ」
「……知らない」
知らないなら、仕方ないか。
俺達はしばらく無言になった。
ただ一応、話の流れ的に、俺はこれから彼女が計画を達する度に、彼女の頭を撫でてやらねばならなくなったわけだ。
まあ、俺も了承したし、それは全然問題ではない。
だったら、一応今日の俺の目的は無事、達せられた。そういうことになるだろう。
「ねえ?」
林は俺を見て呼びかけた。
「なんだ?」
林の目は、少し挑発的に見えた。
「……味見したいんだけど」
「……何の?」
「あんたの手の具合をさ」
林は、自分の頭部をポンポンと軽く叩いた。
味見。
つまり……今、ここで撫でろ、ということか。
「わかった」
断る理由もない。
何なら俺、毎週一回はこいつの要求でこいつの髪にドライヤーをかけているし。
俺は体を林に寄せた。
すると林は、俺から体を遠ざけた。
「なんで逃げる?」
「……不可抗力」
「本当は嫌なんじゃないの?」
「そんなことないっ!」
「あ、はい……」
怒鳴られると思っていなかった。
俺は気を取り直して、林に体を寄せるのだが……林は俺から逃げていく。
「逃げるな」
「う、うっさい」
見れば、林の顔は何故か赤い。
熱でもあるのだろうか。
しばらく俺達は、体を寄せて離して、そんな一進一退の攻防を続けていた。
内心、思う。
とても不毛な時間だと。
「いい加減にしろ……っ」
思わず、俺は一気に林に迫って、彼女の二の腕を鷲掴みにしていた。
ひっ、と林から小さい悲鳴が上がると……。
バタン。
バランスを崩した林に覆いかぶさるように、俺もまた倒れ込む。
「……ごめん」
気づけば、俺は林を押し倒した形になっていた。
林は俺から目を離すように顔を横に向けていた。
右手を伸ばすと、林は怯えたように目を閉じた。
一瞬、邪な感情が俺を襲う。
少し思った。
この状況に身を流しても、良いのではないかと。
頭に向かうはずの手が、林の頬に軌道を変える。
前から意識しないようにしていたが、思っていた。林の肌は綺麗だな、と。
……止めないといけないのに、不思議なもんだ。
止まりそうもない。
ピンポーン。
チャイムが鳴って、俺は我に変える。
「……悪かったな」
そして、俺は林の上から退く。
謝罪の言葉の後、林の泣きそうな目が視界の端に見えた。
『宅配便でーす』
呼び鈴に応じると、若い青年の声が室内に響いた。
九章終了です。
みなが忘れていた簿記試験を受けるという設定を唐突に思い出していれました。
なんでタイトル撫でるなのに撫でる以上のことをしようとするのか
目を離すとすぐこれだよ
そろそろ林家のことも書くかと思った
評価、ブクマ、感想よろしくお願いします!!!