スマホ
林の元恋人が逮捕されて、彼女は晴れて自由の身となり、しばらくぶりに外に出掛けることになった。向かった先は不動産屋。彼女はこれから、しばらくの時間をかけて今後の拠点を探すらしい。
それから彼女は、家事をしている時以外はタブレットを使い物件探しをするようになった。元々恋人と一緒に住んでいた部屋には、戻る気はないらしい。辛い記憶が詰まった場所だし、それは同意だった。今度、同棲開始当初に持ってきた荷物だけは引き上げに行く。林はそんなことを俺に教えてくれた。
「山本、今日ちょっといい?」
お盆も迫ったある日のこと。林は言った。
「なんだ?」
「行きたい場所あるんだけど」
「……俺も行かないと駄目なのか?」
「うん。そうだね。来てほしい」
俺は、林の言葉を訝しむように聞いていた。不動産屋に行くのも、彼女は俺同伴ではなく一人で赴いた。それなのに今更俺と一緒に行きたい場所なんてあるのだろうか。
「俺じゃないと駄目か?」
はっきり言おう。内心俺は、林の願い出を面倒臭がっていた。というか、彼女の生態がわかっていないから、臆病風に吹かれたというのが正しいかもしれない。これで彼女に、パリピがいそうな海に行こう、とか言われたら溜まったもんじゃない。
「うん。あんたじゃないと駄目なの」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、林は真剣な眼差しではっきりと言った。
このくらいで俺は、さっきまでの気持ちは放って、どきりと心臓を跳ねさせていた。一応、今回の一件は、俺は彼女のために随分と尽力した。もしかしたら彼女は、そんな俺にお礼をしたいとでも考えているのかもしれない。つまり、デートとか、そんなことを考えているのではないだろうか。
……いや、ないな。
「どこに行くんだ?」
「スマホを買いに行きたくて」
「わかった。いいぞ」
「ごめんね。あんた、機械に詳しそうだからさ」
「そんなに詳しくないぞ。ああでも、お前よりは間違いなく詳しい」
「あー、嫌味な奴っ!」
アハハ、と笑い合って、俺達は部屋を出た。向かう先は、この辺の携帯ショップ。彼女に聞けば、契約会社にこだわりはないそうだ。だったら、一番の近場で契約でいいかと尋ねると、問題ないとのことだったので、本当に最も近い携帯ショップに俺は彼女を連れて行った。生憎俺は、どの会社のどのプランが安いかとか、その辺はわからない。
「いらっしゃいませ。整理券を取ってお待ち下さい」
携帯ショップの店員が言った。
「意外と混んでんね」
「そう言えば今日は土曜日だったな。社会人とかも来ているんだろう」
「なるほど」
とりあえず整理券を受け取って、俺達は購入するスマホを物色し始めた。
「そう言えば、あんたのスマホってどこのやつ?」
「ソ○ー」
「へー、りんごのマークじゃないんだ」
「日本人はりんごのマークのスマホを思考停止で買うけど、世界シェアは二位だからな」
「えっ、そうなんだ。じゃあ一位はソ○ー?」
「いや、ソ○ーは圏外だ」
「えっ」
スマホという分野でいえば、国産ブランドはかなり低迷気味だ。まあ、年二回は新商品が発表され、その度に新たな機能を追加、とかやってれば、今の日本の技術力では太刀打ち出来ないのが実情か。
「じゃあ、一位は?」
「サムゲタン」
「どこのメーカー?」
「韓国」
「へー、あんた、随分詳しいね」
お前が知らなすぎるだけでは、と言いたくなったが、彼女から見たら一般常識な分野なのに、俺がまったく知らないだなんて分野もあるだろうし、何の気なしに相手を下げるような発言をする必要はない。
「だろ?」
「うん。初めてあんたのこと、尊敬したよ」
何の気なしに相手を下げるような発言をする必要ないだろ、おい。
「……まあ、日本人が買うならりんごのマークでも全然問題ないと思うぞ。むしろ推奨。何が良いって、カバーの種類とかが馬鹿に豊富」
「あー、確かに。どこにでも特設コーナーあるよね」
「おう。そうだろう」
「……そう言えば、あんたはなんでソ○ーのスマホなの?」
「りんごのマークは、皆が使いすぎて嫌じゃん?」
「いきなりしょうもない理由」
「サムゲタンは……まあ、ちょっとね」
「ふうん」
「なんだかんだ俺は、国産メーカーが好きだ」
「なるほど。……あたしはどうしようかなと思ったけど、りんごのマークのスマホって高いんだよね」
色とりどりのスマホの下にはタグがあるが、確かにりんごのマークのスマホは少しお高い。まあ、このメーカーの製品は全体的にお値段高めだ。明らかに日本の消費者を舐めている。それだけは間違いない。
「……決めた」
「どれにするんだ」
「ソ○ー」
林は、二カッと笑っていた。
「あんたとお揃いだね」
俺のスマホは、高校卒業と同時に新調しており、一世代古くなったが、まだ店頭に並んでいた。一世代古い機種を買えば、最新機種より値段は少し落ち着く。だから彼女は、それを選んだんだろう。
「そういうの止めろ。取り違えるだろ」
もっと別の……気恥ずかしいから止めてほしいという意思もあったが、自意識過剰とからかわれそうで、俺は言えなかった。
「取り違えられても良いように、変なもの見ないようにしないとね」
「……お前なあ」
俺が呆れるのとほぼ同時に、丁度、林の持つ整理券番号がカウンターから呼ばれた。林は足早にカウンターに行き、件のスマホを購入するのだった。
お揃いだね。
帰り道、俺の脳裏には、林のさっきの笑みが離れない。
すぐに俺はかぶりを振った。もうすぐ彼女は、俺の家を去る。そうしたら俺達はまた、元の知り合いに戻る。だから、変な勘違いはするんじゃない。
そう、自分に言い聞かせた。