76 白蛇ちゃんよ、永遠に
その後――。
水星宮に帰った苺苺は、いつも以上に盛大に腹綿が飛び出した白蛇ちゃんたちを目にして、「ひえええ」っとその惨状に叫んだ。
「ううう。白蛇ちゃんよ、永遠に……」
苺苺はえぐえぐと泣きながらその腹に頬擦りする。
お別れの頬擦りが終わったら、いつものように棺に入れて薪と一緒に小さな竈に焚べる。
そして、これまたいつものようにお風呂のお湯を沸かし始めた。
「ふんふんふ〜ん。ふんふ〜ん。ふふっふー」
鼻歌交じりに湯浴みを終えた後は、寝る支度を済ませて寝台に横になる。
「うーん。今日は大変な一日でした」
「にゃあん」
お腹の上に、ぴょんと猫魈が軽やかに着地する。
最高位の百花瓏玉が皇太子妃に下賜されたのは実に百年ぶりらしく、あれから選妃姫の会場はなにが起きたのかと思うほど騒がしくなった。
他の妃には参加賞程度の百花瓏玉を形式的に、そして機械的に下賜したのに対し、白蛇妃に対しては誰にでもわかるほどの甘い笑みを浮かべながら最高位の百花瓏玉を下賜するということは、つまり――……
皇太子は白蛇妃ただひとりを寵愛しており、次期皇后になる彼女を少しでも害する者は許さないと、後宮中に周知するようなものだ。
『なんで白蛇妃が皇太子殿下のご寵愛を!?』
『わたくしが、わたくしが下位の百花瓏玉を賜るなんて……っ』
他の妃たちは悔しそうに歯噛みし、そんな彼女たちを推し慕う女官たちは悲鳴をあげて騒然とした。
まさか紫淵から一生手放す気はないと溺愛宣言されたとも気づかぬ苺苺は、『皆の者、解散せよ』という宵世の声でお開きとなった選妃姫の会場を、紫淵に誘われるままに退席した。
その後は天藍宮に招かれ、ほっぺたが落ちるほど美味しい夕餉をご馳走になった。
卓子に並んだのは、紅玉宮で初めて夕餉をご馳走になった時と同じく、木蘭の大好物ばかり。
それで立夏雪とかわゆい木蘭の共演を叶えてくれなかった紫淵を、苺苺は仕方なく許したのだ。
(そういえば、選妃姫の会場を退席する時に……金切り声をあげながら、喧嘩腰で春燕さんや鈴鹿さんに食ってかかってくる女官たちもいましたね。ふたりは大丈夫だったのでしょうか? あの時は対応に忙しそうに……んん? 忙しそうというか、『喧嘩上等!』と宣言されたのち、ひたすら春燕さんの声が聞こえていたような……?)
「それにしても、あれはまるで戦場でした。皆様あんなに熱くぶつかり合うほど、こちらの簪がお好きなのですね……。わたくしにはどれも最高位のものに見えましたが」
「にゃーん?」
「ふふっ、そうですね。紫淵殿下が下賜されていた百花瓏玉はどの意匠もすべて歴史的価値と造形美に溢れていて、素晴らしいお品に感じられました。ですがこちらは」
苺苺は枕元に置いていた、とろりと輝く希少な琅玕でできた紫翡翠の牡丹が咲き誇る簪を手に取る。
上品に揺れる金の飾りが翡翠に触れ、りりんと透き通った硬質な音が響いた。
「木蘭様の瞳の色のようで特別にかわゆいです。これを髪に挿していれば、きっと後宮中の皆様にわたくしが木蘭様推しであることが伝わりますわねっ」
(ふっふっふ。明日、髪を結い上げるのが楽しみです!)
苺苺は下賜された百花瓏玉を手にしたまま、ふにゃふにゃの笑みを浮かべながら眠りについた。
◇◇◇
……その夜。
苺苺は不思議な夢を見た。
丑三つ刻、悪夢のような嵐の中――七歳くらいの年齢の自分が、兄に手を引かれながら後宮の奥深くにある宮に行く夢だ。
そこには玉の汗をかき、ひどい呪詛に蝕まれている美しい少年がいた。
彼の皮膚には黒い紋様が這い、周囲にはおびただしい量の青紫の燐火が燃えている。
「これは悪鬼の呪詛だそうだ。紫淵殿下は出生時より後宮の妃嬪たちからの悪意に蝕まれていたせいで、歴代の皇太子より悪鬼の呪詛を多く受けていてね」
「お兄様、悪鬼の呪詛とはなんですか?」
「燐華国に封印された悪鬼が、皇帝の長子に残した呪いのことだよ。このままでは紫淵殿下は、悪鬼の呪詛に蝕まれて鬼と化してしまうだろう。……そうなると彼に待ち受けるのは死よりもつらい、死だ」
今よりも少し若い兄の静嘉が、眉を下げて幼い苺苺の頭を撫でた。
「そ、そんな、大変です……! わたくしが絶対になんとかいたします!」




