71 叩頭せよ
そんな木蘭の言葉を聞き最初に反応を示したのは、一番背の高い中性的な容貌の美姫、碧家出身の淑姫だった。
「感謝いたします、白蛇妃」
彼女は美しく丁寧な所作でもって叩頭する。
その凜とした声に、我に返った五妃たちはどこか不満そうに戸惑った表情を浮かべながらも、「感謝いたします」と淑姫に続くようにして叩頭した。
女官たちもそれに習い、続々と皆が叩頭していく。
苺苺はその光景にびくりと肩を揺らして、猫魈を抱きしめる。
「ど、どうぞ皆様、頭をお上げください」
後宮に来てからというもの、見知らぬ妃や女官たちに嫌われることは幾度もあったが、感謝されることなどあっただろうか。
(木蘭様暗殺阻止のために駆けつけたのですが、まさかこんな風に皆様にお礼を言われるだなんて)
「事件が起きる前に駆けつけることができて、よかったです」
照れくさい気持ちではにかみながら、苺苺は微笑みを浮かべた。
「……東宮補佐官殿、この場の指揮を頼めるか」
「御意」
木蘭に代わって、怖い表情をした宵世が前に出る。
「朱若麗を捕縛せよ」
「……っ!」
黒い胡蝶が舞う中、若麗は東宮侍衛長によって捕縛された。
◇◇◇
茶会は中止になり、集った妃たちはその場で解散となった。
宵世の采配で青衛禁軍の東宮侍衛がそれぞれ彼女たちの護衛に付き、各々の宮へと帰路につく。
捕縛された『木蘭暗殺未遂事件』を起こした犯人、朱若麗は、朱家次期当主の三の姫という立場から、紅玉宮で取り調べが行われることと決まった。
場所を移した一行は、紅玉宮にある木蘭の私室に向かう。
入室可能な関係者は限定され、木蘭、宵世、東宮侍衛長、そして若麗となった。
「木蘭を三度も暗殺しようなんて。馬鹿な真似をしたなぁ、若麗? 木蘭は俺たち朱家の宝だったんじゃねーの?」
この垂れ目の東宮侍衛長こそが、紫淵のもうひとりの腹心。
木蘭が白州を訪れた際に、木蘭の後ろに控えていたあの般若護衛。齢十九になる朱家当主が次男、零理であった。
朱皇后陛下の随分歳の離れた弟君にあたり、紫淵とはそれこそ赤子の時からの幼馴染になる。
そして零理にとって、若麗は血の繋がった姪に当たった。だが彼は、両膝で跪かせた若麗の首に、長剣の刃先を戸惑いもなく向ける。
しかし、若麗は「誤解です」と静かに首を振った。
「木蘭様、私はあやかしとなにも関係ありません。一体なぜ、私があやかしを使役するのですか? それに木蘭様を暗殺しようだなんて、理由がありません……!」
「野苺の葉茶の有毒性について、自然な会話を装って美雀に吹き込んだのはお前だな?」
木蘭の言葉に、若麗ははっと息をのむ。
「美雀が春燕に抱く劣等感を感じ取り、うまく煽って操作したんだろう? 春燕はちょうど苺苺を紅玉宮預かりにしたことに反発し、事あるごとに意見していた」
そんな春燕を紅玉宮の中で孤立させようと、美雀が他の女官たちに、
『春燕は悪口が多くて意地悪なところがあるの。昔から私も、姐姐には虐められてきたわ』
と喋って裏から根回ししていたというのは、美雀が捕まった後に女官たちから聞いた話だ。
美雀はその劣等感を、いつしか木蘭や苺苺にまで向けるようになっていた。
「春燕を評価する妃が邪魔だと、憎しみを抱くようになっていた美雀に毒のことを話せば、春燕を紅玉宮から追放するために行動に移すと理解していたのだろう?」
「そんな、ことは……」
「一度、猫魈を使った妾の暗殺に失敗していた若麗のことだ。自分の手を汚さずに妾を暗殺できる方法を考えて、美雀が事を起こしてくれるのを待った。違うか?」
美雀は春燕が事件を起こしたことにし、紅玉宮を追放されたらいいと考えた。
木蘭と苺苺を暗殺できるかどうかはどうでも良かった。
ただ春燕が被る罪の大きさが、大きければ大きいほどいいと考えていたのだ。
計画が失敗したら、野苺の葉茶を作った張本人である苺苺に罪を被せられるし、逃げ場は十分にある。
「お前の計画では、あの時ついでに苺苺も糾弾して追放するはずが……とんだ失敗だったな」
木蘭が鼻であざ笑うと、若麗は顔色を変えてギリっと奥歯を噛み締めた。
「美雀の計画が上手くいけば、『犯人である春燕は白蛇妃に毒された』だの、『やはり白蛇の娘が紅玉宮に不幸をもたらす』だのと言って追い出す予定だったんだろう? あやかしを紅玉宮に引き入れるには、〝異能の巫女〟が邪魔だからな」
「選妃姫が始まって今日で九十九日目です。それで悲願を成就するために、邪魔で邪魔で仕方がなかった白蛇妃を、今日はまんまと紅玉宮に閉じ込めた。なぜあなたは、木蘭様を暗殺してまで――紅玉宮の妃になりたかったんですか?」
木蘭の言葉を引き継ぎ、木蘭を守るようにして立つ宵世が言う。
「……紅玉宮の、妃、ですか? うふふっ。まあ、皆様。どうしてそんな突拍子もないお話になるんです?」