61 後宮とは恐ろしいところです
万事休すか、と春燕が唇をぎゅっと噛み締めた時。
「……な、なぜ、私を……!?」
杖を持つ宦官たちに捕らえられたのは、床に崩れ落ちたままの姿で冤罪を訴えるように泣いていた美雀だった。
「美雀。お前のことは昨晩苺苺から報告を受けて、すでに宵世が調べている」
紅玉宮の幼い主人、木蘭は威風堂々とした足取りで捕らえられた美雀の前に歩み出ると、紫水晶の双眸を冷たく細めながら彼女を見下ろした。
「昨日、尚食局に搬入されていた野兎が一匹盗まれた。その際、『不自然な蓋つきの籠を抱えていた皇太子宮の女官を見た』と多数の目撃証言があったんだが、西八宮の下女がお前の顔を覚えていてな」
三年も一緒に働いたのだからわかる。彼女は美雀だった、と。
「…………っ!」
「妾も今朝報告を聞き、紅玉宮ではどう罰するべきか考えあぐねていた最中だった。だが、盗みだけでなく……――皇太子妃を未遂とはいえ二人も害そうとした罪、そして虚言を重ね、皇太子宮最上級妃付きの上級女官である春燕に濡れ衣を着せた罪は重い」
投獄され杖刑ののちに、上級女官から下女へ落とされるだけでは済まされない。
彼女には厳罰が下るだろう。
「毒茶の威力を試すなら、せめてどぶ鼠でも捕まえたら足がつかなかっただろうに。育ちの良さが仇になったな」
木蘭の言葉を聞き、美雀はギリっと奥歯を噛みしめる。
「美雀、妹妹……なんで……」
「姐姐が全部悪いのよ!! 昔からそう。利用してやってただけなのに勝手に姐姐づらして! そのせいで紅玉宮で私は姐姐の下に見られるようになったッ。私が街一番の美人で、誰からも可愛がられて幸せだったから嫉妬して、こうやって私に意地悪をするんでしょう!?」
「私が美雀を妬む? そんなわけないでしょう。私たち、いくら姉妹でも別人なのよ……? それに意地悪なんてしてないわっ」
「してるわ! 木蘭様にも白蛇妃様にも取り入って……私の出世の邪魔してるっ! 私が先に後宮に入ったのに……私が先に妃になるはずだったのに!! こんなのおかしいわ、姐姐はずっと私のご機嫌を伺って、なんでも請け負って、下女みたいに傅いててよ!!」
「宵世、連れて行け」
「御意」
「私の人生がめちゃくちゃになったのは姐姐のせいよ! 今すぐ紅玉宮から出て行って……ッ」
泣きわめく美雀は宦官たちにきつく取り押さえられながら、紅玉宮を後にした。
◇◇◇
「そ、壮絶な修羅場でした……。あれが後宮……恐ろしいところです……」
「あれくらいなら後宮では序の口程度のやり合いだ。死人が出なくてよかったな」
執務用の椅子に腰掛け、長い足を組んだ紫淵は憂いを含んだ顔で淡々と言う。
ここは皇太子の居城である天藍宮。
本来ならば夕刻となり後宮の門が閉ざされたあと、後宮妃は滅多なことでは門の外へは外出できない。
そんな後宮内皇太子宮は紅玉宮預かりの〝白蛇妃〟苺苺は、初めて訪れた天藍宮で紫淵の執務室に通されていた。
後宮から出てしまったという罪悪感でなんとなく居心地が悪い。
それに万が一、許可なく後宮を抜け出しているところを誰かに見つかったらと思うと、不安に駆られてしまう。
だって、あやかし用の地下牢に投獄された経験のある白蛇妃だ。問答無用で即刻打ち首になる気がするのも無理はない。
(わたくしは全力で木蘭を推すために後宮へ来ただけであって、後宮で死ぬ気はさらさらないのですが……! けれどもあのご様子では、)
「わたくしと木蘭様も、だっだだだ脱走罪で……!」
「寝室の内側から扉に閂をかけているから、女官に侵入される心配はない。外から声をかけて反応がなくても寝ているだけだと思うだろう。そのためにわざわざ俺が演技をして寝室に君を引き入れたんだ、問題はない」
苺苺がビクビクしていると、呆れ顔の紫淵が「心配する必要すらない話題だな」と首を振る。
まあ連れ出したのは皇太子宮を治める皇太子殿下本人なので、誰かにバレたところでどうとでもなる。
それにもし、二人の姿が目撃されたとしても、【皇太子殿下が白蛇妃と月下の逢瀬!? 天藍宮で禁断のご寵愛】と煽るような見出しと尾ひれと背びれと胸びれがついて、後宮全土に激震が走るだけなのだが。
苺苺はそんな状況下にあることにまったく気がついていない様子だ。
(はぁぁ……。ここに来るまでの間でどっと疲れてしまいました……。それに加えて、呪妖を視るためとは言え白蛇ちゃんを長く封印しすぎた弊害の疲労も……)
紫淵の執務机の向かい側に置かれた応接用の長椅子を勧められた苺苺は、そこに座ったまま〝白蛇の鱗針〟を片手にグッタリしている。
いくら異能の才が強まり、歴代の白蛇の娘にはなかった癒しの力を得たと言っても、常に悪意に蝕まれていると癒しの力も追いつかないものだ。
目の前には、夜光貝の総螺鈿細工が施された漆塗りの卓子がある。
普段の苺苺であれば、その緻密な吉祥図案と猫足の曲線美に心底感服するところなのだが、今は「きらきらしていてきれいですね、まるでおほしさまのようです」と現実逃避をする感想しか浮かばなかった。
「ふふふ、ふふふ」
「……苺苺、君はよほど疲れたんだな。言動が支離滅裂だ。かわいそうに」