58 百花瓏玉目録
「本当よ。あんたのせいで紅玉宮が落ちぶれたらタダじゃおかないんだから! ……頑張ってよね!」
「もちろんです、春燕さん」
「白蛇娘娘なら『百花瓏玉』を賜われるなのです」
「ちょっと! そこまでは望んでないわよ! それは木蘭様のものなんだからっ」
百花瓏玉とは、選妃姫で皇太子殿下から妃に下賜される褒美だ。
その名の通り百花の美しさを持つ最高級の宝飾品で、指輪、腕輪、首飾り、額飾り、笄、簪があって、それぞれに金、銀、白金、そして至極の宝石をあしらっていると聞く。
選妃姫の最終選抜ではこれらで着飾り、その美を競うとか。
つまり、それまでに賜った『百花瓏玉』の希少性で妃嬪たちの力関係はすでに決すると言ってもいい。
一回目の選妃姫では、妃嬪たちには階級を表す官名と宝石の名を冠した宮が与えられた。
二回目の今回は、八人の妃の誰かひとりに百花瓏玉のひとつが褒賞として下賜されるはずだそうだ。
「木蘭娘娘なら『鴿血紅寶石の蓮花簪』、白蛇娘娘なら『白翡翠の花雫額飾』が似合いそうだと言っていたのです」
「言ってないったら!」
春燕と鈴鹿のふたりのやりとりに、クスクスと鈴を転がす笑い声がいたるところから漏れる。
いつも自室で繰り広げられるやりとりがここでも見られるとは思わず、苺苺も「ふふっ」と思わず頬を綻ばせた。
「お二人とも、とっても詳しいのですねぇ〜」
苺苺の周囲にぽけぽけと花が飛んでいる幻覚を見た春燕は、「ふんっ、こんなの常識よ」と顔をそむける。
「むしろこれくらい知ってなきゃ、皇太子宮の上級女官になんてなれないんだから」
「『百花瓏玉』の位と階級を事細かに示す、『百花瓏玉目録』があるのです」
鈴鹿の言葉に、木蘭が鷹揚に頷く。
「皇帝宮の宮女を選ぶ秀女選抜試験でも、皇太子宮の宮女を選ぶ女官登用試験でも、『百花瓏玉目録』に関する試験がある。目録の写しが配布され、正式名称と宝石の種類、それから過去にどのような妃嬪たちが賜ったかという歴史を学ぶ筆記試験が実施されるんだ」
「へええ、そうなのですね」
「上級女官は妃嬪に最も近い存在だ。『百花瓏玉』を知らなくては、自らの主人をそれに相応しく着飾ることも、たしなめることもできないからな」
「なるほど、なるほど。勉強になります」
木蘭の説明に苺苺が大きく頷くと、木蘭は幼妃に似合わぬ呆れた表情で頭を抱える。
「……苺苺、水星宮にもあっただろう? 『百花瓏玉目録』の写しが」
「いいえ? あったのは『王都妖怪大事典』でしたね?」
「は? 『王都妖怪大事典』?」
木蘭が「意味がわからない」と突っ込んだのと同時に、茶会の準備を進めている侍女たちもポカンとする。
「なにが書いてあったか聞くのは負けた気がするが、なにが書いてあったか聞いてもいいか」
「ええ。なんでも、昔々に王都に現れたあやかしさんたちを事細かにまとめた大辞典だとか」
「ほう、それで?」
「黒墨で描かれた写実的な画風が猛々しく、夜はちょっぴり眠れなくなりましたが……。あやかしさん達について、とても勉強になりましたわ! ところどころ虫さんも載っていたので、冗談みたいな読み物なのかもしれませんけれど」
そう語った苺苺は探偵のようにキリリと表情を引き締めて、指先をぴんと一本立てる。
「なんと王都には、悪鬼と並んで最恐と呼ばれる最高位のあやかし〝饕餮〟も出たそうです……! 『王都妖怪大辞典』の解説によると、今もまだ王都にいるかもしれないとか。真相は謎のままです……!」
「そ、そうか」
それって宵世だな? とは言えない木蘭であった。
(ということは、水星宮に『百花瓏玉目録』を配布される係の方が、間違えて『王都妖怪大辞典』を置いていかれたのでしょうね。おかげさまで猫魈様のお姿やお名前も勉強できましたので、ありがたかったです)
と、苺苺と木蘭の話がひと段落したところで。
筆頭女官の若麗が侍女たちに目配せをする。茶会開始の合図だ。
上級女官五人はそれぞれの位置について、今日も時間を惜しまずに手作りした茶菓子をしずしずとつぎ分け始める。
「木蘭様、苺苺様。本日はお茶菓子は三種の餡の煎堆、それから艾饃饃をご用意いたしました」
白胡麻がまぶしてある丸い煎堆の中は、落花生餡、紅小豆餡、黒胡麻餡だ。
発酵させた米粉と小麦粉から皮を作り、餡も全て手作りしたそうだ。
端午の節句の訪れを一足早く知らせる艾饃饃は、昨日のうちに夕露時の御花園で摘んだ春蓬を使ったらしい。朝でなく夕方に収穫するのは、日中に陽気をたっぷり浴びて糖分を増やした葉は甘くなるからだ。
みずみずしい翡翠色に蒸しあがっている小ぶりの姿は、それこそ『百花瓏玉』と例えたくなる。
「こちらの艾饃饃は珍しい形をしていますね? ひとつは木蓮の意匠ですが、もうひとつはまさか、苺の花でしょうか……?」
「はい。こちら私が型から作らせていただきました」
女官の中で一番背の高い、いかにも先輩という雰囲気の怡君が腰を曲げ、少しはにかみながら言う。
「怡君さんが?」




