41 仮初めの妃嬪
けれども、紫淵はそれを上手く取り繕って、「あー、その、続きだが」と話し出す。
「立太子してからは天藍宮での政務も増えた。けれども木蘭の姿では政務にも差し障りがあるだけでなく、万が一誰かに知られることとなれば命も狙われやすくなる。白州を訪れた理由は、その場で燐家最大の秘密を晒すことになろうとも、この呪詛を解いてほしかったからだ」
悪鬼の呪詛から解放されれば、逃げも隠れもしなくてよくなる。
だが悪鬼の呪詛は、人間の悪意ではないので苺苺の眼には視えず、未解決に終わった。
「悪鬼の呪詛はその後もひどくなり、年明けにはとうとう夜だけしか元の姿に戻れなくなってしまった。そのため俺の身を案じた皇帝陛下によって、成年を迎えてから封を解く予定だった皇太子宮が解禁されたんだ」
「木を隠すなら森の中というわけですね。その、朱家の姫として後宮に入られたのは……?」
「素性を徹底的に偽るために、仕方なく母上――皇后陛下を頼った」
この怪異が他者に知れ渡ると大変なことになる。だから千年の間、皇帝、そして皇太子の腹心の臣下を除いて秘匿され続けてきた。
それは今代の皇后陛下も変わらないはずだった。が、幼い姿の木蘭が、最も安全な立場である皇太子宮の最上級妃として君臨するためには、もはや手段は選べなかったのだ。
「皇帝陛下の口添えもあったからな。次期皇帝の座が約束された皇子を今さら陥れようなどとは、さすがの皇后陛下も思わなかったらしい。どこぞの高貴な血を引く自分の養い子として、皇后陛下が自ら内密に朱家の当主に掛け合った」
「なるほど。燐華国の国母となった娘の願いを、朱家の当主が無下にできるわけがありません」
「そうだ。木蘭の姿が娘に似ていることからも、なんらかの理由のある娘の実子ではないかと事情を察した当主は、木蘭を快く自分の養女として迎え入れた」
皇后陛下が気に掛ける幼姫だ。
もしも上級妃として取り立てられでもしたら、……いや、必ずそうなるのだから、莫大な利益と恩恵を受けるのは当然――木蘭を養女とした朱家。
「木蘭は便宜上、朱家の遠縁の娘になっている。国母となった娘の不義理の子かもしれない木蘭の秘密を、朱家の当主は絶対に墓場まで持っていくはずだ」
その証拠に今年、次期当主が三の姫の若麗を後宮の〝秀女選抜試験〟――西八宮で三年ごとに行われる皇帝陛下の妃嬪と宮女を選抜する試験に送り込んでいる。
十中八九、突然現れた養女が『八華八姫』の慣例に従って妃嬪に難なく納まるのに、次期当主が納得できなかったからであろう。
しかし木蘭の女官を募る際、もともと妃教育を受けていて、なおかつ現皇后に仕えていた若麗を侍女にしろと、朱家当主が言い出した。
やはりいざ選妃姫が近くと、妃養育を受けてまもない幼姫に朱家を任せるのが怖くなったのだ。
当主の命令は絶対である。次期当主であろうと、孫娘であろうと逆らえない。
若麗は命じられるがまま志願し、紅玉宮の侍女頭になった。
これが紅玉宮に朱家の姫が二人も存在する理由だ。
苺苺は朱家の当主や次期当主の命令に翻弄される若麗の心を案じ、そして知られざる木蘭の秘密に瞠目する。
「木蘭様にはそのような秘密がおありだったのですね」
「ああ。だが……今や夜中であっても、ほとんどこの姿には戻れなくなった。それが、昨日に続き今日までも戻れるとは……運が良いのか、悪いのか。今夜は念のために俺の寝衣を着ていて正解だったな」
紫淵は額に手を当てながら肩を下げてため息をつき、自嘲気味に言った。
それから長い髪をかき上げる。
怜悧な雰囲気をまとった絶世の美貌が、すっと苺苺を見据えた。
「俺の怪異の秘密は皇帝と皇后、それから幼い頃から共にいる信頼のおけるふたりの従者、そして――目の前にいる君しか知らない」
「ひえっ。それは、あの、申し訳ありません」
「……いや。もともと君を頼った時点で、一度は君にバレる覚悟をしていた。それが早かったか、遅かったかの違いでしかない。他言無用で頼む」
もし誰かに告げるような真似をしたら命はない――とは伝えられなくても、苺苺は十分に理解していた。
そしてもうひとつ。
皇太子の命を守るためだけに解禁された後宮に集められた七人の妃が、〝森〟になるためだけの役割しか持たぬ〝仮初めの妃嬪〟であることも。




