38 なにやつです!?
それから半刻後――。
打ち合わせの段階では、亥の刻以降に、寝物語を聞かせた設定の苺苺が眠った設定の木蘭の部屋から出発し、『恐ろしい女官発見器』と化したぬい様を片手に紅玉宮の女官を監視するため暗躍する……という予定だったのだが。
不眠症に悩まされていたはずの木蘭が、寝台に横になった途端にすやすやと眠ってしまったので、白蛇ちゃん抱き枕を抱えながらお喋りをしていた苺苺は部屋を出るに出られなくなっていた。
(せっかく久しぶりにぐっすりと眠れたのですもの。不用意に音を立てて、起こさないようにしなくては)
木蘭様の安眠をお守りいたします! と強い使命感を抱きつつ、物音を立てないようにしながら辺りに気を配る。
猫魈の事件では、女官に命を狙われたという衝撃もあっただろうに、そして皇太子殿下に苺苺を無罪にするよう便宜を図ってくれたり、今日もお礼にと茶会を開いてくれたりと……連日の疲労を押してまで苺苺のために仁義を尽くしてくれた幼妃に対し、敬服せずにはいられない。
そんな木蘭に訪れた、ささやかな休息。
ぬい様の効果がばっちり現れている証拠だが、そのぬい様が裂けた途端、疲労困憊の身体であっても木蘭は目を覚ましてしまうだろう。
できるなら、今夜ばかりは裂けてくれるなと形代に願いたくなる。
(このまま木蘭様が起きなければ、半刻くらい経ったあとに作戦通り部屋を出ましょう)
そう決めて、静かに新しい刺繍を始める。今夜は『白蛇の鱗針』は使わない。
(この円扇ができあがったら、木蘭様へ贈りましょう。……そうですわっ。わたくし用の円扇もお揃いの図案にしたら、誰もが夢見る推しとのお揃い円扇が叶います……! 楽しみですわね)
どこからか月琴のやわらかな音色が聞こえてくる。
弾き手はきっと、月琴の名手と名高い若麗だろう。
(なかなか眠りにつけない木蘭様を想って演奏しているに違いありません)
ただの女官の腕前とは思えないほど上手だ。
(若麗様のお部屋から弾いているのでしょうか? それとも中庭で?)
なんて考えている頭に気持ちのよいもやが掛かってくる。
「ふぁぁ……」
ついつい小さく漏れたあくびを、針を持っていない方の手で押さえこんだ。
しかし、緩やかに心と身体を解す優雅な調べは、昨晩から徹夜でぬい様を作っていた苺苺にもよく響く。
そうして微睡みに誘われ始めた苺苺は、いつもの就寝時間を迎えると、こくりこくりと船を漕ぎ始めたのだった。
◇◇◇
「……俺はいつの間に眠って……――なぜ、苺苺がここに寝ているんだ」
広い寝台の上で上半身を起こした美青年は、寝台に腰掛けた状態で倒れている少女を見つけて、寝ぼけていた思考が一瞬で覚醒した。
「作戦と違うじゃないか。だから泊めたくなかったんだ。いや、俺が寝室に入れたのがそもそもの間違いか……」
ああ、頭が痛い、と美青年は骨ばった大きな手のひらで額を押さえる。
夜中の紅玉宮を、ただの客人である白蛇妃が女官も付けずにうろうろするのは、非常に怪しい。
だから女官に見つかった時のために、『幼い木蘭が寝物語をねだったせいで遅くまで妃の寝室にいた苺苺は、自室の場所がわからずにうろうろしていた』、という言い訳を作れるようにした。
それなら見張りがどんなに夜中まで及ぼうとも、他の女官を気にせずに、悪意を向けられている頃合いを見計らって犯人探しに行ける。そういう計画だった。
だが実際はどうだろう。
「……とにかく、眠ってしまった俺が悪いな。この姿で見つかれば面倒が増える」
今は過去の過ちを後悔するよりも、彼女を起こさないように部屋を出なくては。
そう思って立ち上がった瞬間、ぎしりと大きな音を立てて寝台が軋んだ。
「……っ!」
「んう、木蘭様? 起きられましたか? ……ごめんなさい、わたくしとしたことが、ついうっかり眠ってしまって――!?」
上半身を起こし、寝ぼけ目を擦っていた苺苺が次第に大きく目を見開く。
「きゃ――」
「すまない。静かにしてくれ」
「むぐ、むぐうぅ」
ここに居るはずのない、銀花亭で出会った悪鬼武官と〝同じ声〟を持つ寝衣姿の美青年を前にして驚きの悲鳴をあげそうになった苺苺の口元を、大きく無骨な手が素早く覆った。
(ななななにやつです!?)
むぐむぐと言葉にならない声がもれる。
美青年はぎゅっと眉根を寄せて非常に困惑した表情であったが、真摯な瞳を苺苺に向け、
「俺の名は、燐 紫淵。この国の皇太子だ」
しっかりとした口調で、そう名乗った。
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