33 これで証拠は出揃いました
「そ、そうでしょうか……ッ!?」
「むしろ皇太子殿下は、『苺苺の手のひらの傷に比べたら、これくらい我慢して当然のことだ』と表情ひとつ変えずに妾に言うだろう」
そうこうしている間に、龍血の辰砂に、ぷっくりとした柘榴石のような――木蘭の血の赤が溶けていく。
契約が正常に行われた証拠を見届けてから、苺苺は「薬箱はどこですか!?」と弾かれたように立ち上がると、急いで木蘭の指の手当をするための綺麗な布と消毒薬を用意した。
悪鬼武官からもらった薬壷を取り出し、軟膏を入念に塗り込む。
真剣に手当てを施す苺苺に気づかれぬよう、木蘭は遠い憧憬を滲ませた切ない双眸で眺める。
「……これでよしっと。湯浴みをされる際は気をつけられてくださいね。とっても沁みますから」
「わかった」
「ふう……、ドキドキいたしましたが、契約は以上で完了です。あとは木蘭様が呪毒の宿った食事に触れるだけで、この銘々皿に呪毒が形を伴って抽出されますので、それをわたくしが封じることで祓えますわ」
「試しにそちらの月餅に触れてもらっても?」と、苺苺は茶菓子を示す。
木蘭が従って自分の月餅を手に取ると――真っ赤な銘々皿の上に、ことり、とどこからともなくまったく見た目の同じ月餅が現れた。
「……は? まさか、その月餅が呪毒なのか?」
「はい。そのようです」
書物によると、どんな飲食物に宿った呪毒も、すべて茶菓子の形をとって現れると書いてあった。
しかし、何もなかった空間から突如現れた月餅は、同じ見た目といえど少し不気味である。
(でも、これが銘々皿の上に現れたということは……木蘭様の食事に長い間、呪毒が宿っていたという動かぬ証拠になります)
苺苺は険しい表情で、目の前の月餅もどきを睨んだ。
さて。呪毒は刺繍でも形代でもなく、白蛇の娘が自らに封じて祓わなくてはいけない。
書物によると、【呪毒の茶菓子は捨てたり腐らせたりすると呪詛になる】とあった。
「どのような味がするのでしょうか。ちょっとドキドキいたします」
「こんな怪しいもの、食べなくてもいい」
「いえ。わたくしが食べなくては、大変なことになりますから。――いきます」
苺苺は意を決して、はむっと食らいつく。
「ん……んんんん!?」
「ど、どうした?」
「お、美味ひいです……! なんということでしょう……。人生で食したお茶菓子の中で、一番美味しいです……っ!」
(なんと繊細な歯触り、洗練された甘みなのでしょうか! 見た目はもちろんのこと、食感も素晴らしいですわ。まるで超高級お茶菓子!!!!)
苺苺は月餅を片手に持ったまま、「餡が舌の上でとろけます……極上の月餅ですわ……」と頬をを抑える。
先ほどいただいた本物とは大違いだ。
(呪毒を抽出して作り出したお茶菓子だからこそ、この美味の頂点に君臨してしまったのでしょうか……っ!?)
「これぞ堂々たる王者の風格……。ううむ、菓子職人泣かせの神器ですっ!」
「そ、そうか。……苺苺の身体に害はないんだな?」
「ええ。わたくしはそう思います」
苺苺はペロリと呪毒の茶菓子を平らげた。
(――さあ、これで証拠は出揃いました)
木蘭の就寝時間や散策へ出かける頃合いを把握していて、なおかつ、昨日までは予定になかった唐突な来客の茶菓子に触れられる、女官。
「残念ですが、恐ろしい女官の方は……この紅玉宮にいる木蘭様付きの侍女のどなたかということになりますわ。けれど猫魈様を操れるほどの道士であっても、『白蛇の娘』が書き記した『五つの悪意の理』は、ご存知ないのかもしれませんね。わたくしも道術は齧っておりませんし、あやかしを強制的に操るすべも持っておりませんから」
そう結論づけた苺苺に、幼い妃は鷹揚に頷く。
「なるほど。確かに、あやかしや道術を操り用意周到に妾を害そうとする者が、異能持ちだと噂される『白蛇の娘』の前にわざわざ証拠を残すはずもない。だが、どうやって炙り出すかだな……」
「ええ。ですがこの勝負、有利なのはわたくしたちの方です」