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22 皇太子の執着


 紫淵(シエン)の瞼には、こちらを見上げる彼女の笑みが焼き付いていた。


 やわらかく細められた、白妙のけぶるような長い睫毛に包まれた大きな紅珊瑚の瞳が、心底愛おしげに己を映す……その笑みが。


 胸の奥底に甘い痺れが走り、ぎゅっと切なく締めつけられる。


 紫淵が思考の海に浸りつつ眼下を眺めていると、ふと、朧げな記憶が蘇る。

 そうして、酷い呪詛に蝕まれていた幼い自分の命を救ってくれた、七歳の少女と重なった。


(……そうか。かつても、彼女は)


 丑三つ刻、悪夢のような嵐の中――悪鬼の呪詛に蝕まれて鬼と化し、死を待つしかなかった九歳の紫淵のもとに、次期白家当主の兄・白静嘉とともにやって来た『白蛇の娘』。


 あの頃、紫淵の皮膚には激痛をともなう悪鬼の呪詛が()いずり回り、頭部には鬼の角が生え揃い、確かに醜い姿に変わり果てていた。


 だが彼女は、そんな姿の自分に怯まなかった。


 彼女は幼い少女とは思えぬ所作でてきぱきと動き、清らかな水を汲んできては手ぬぐいを絞ると、紫淵の額に浮かぶ玉の汗を一生懸命に拭ってくれた。


(そうして彼女の命を削ってまでも、俺の命を……)



『未来の紫淵殿下は凛々しくて、お強くて、とってもかわゆい方なのです。……だから、ご安心ください。死んだりなんか絶対にしませんから』


 彼女は何度も、まるで未来でも見てきたかのように力強く口にする。

 あの激励が、幼い自分にどれほど響いただろう。



(彼女の手を握って礼を告げたいがために、〝どんな手を使ってでもこの後宮で生きながらえてやる〟と誓ったのに……。なぜ、今まで忘れていたんだ)


 こんな強烈な記憶をすべて忘れていたなんて不自然だ。


(呪詛を無理やり封じた影響だろうか。この怪異に侵され始めたのが十歳を越えたあたりだったのを考えると、辻褄は合う。……それにしても。なんだか大切な感情を忘れている気がして、胸の奥がもやもやする)


 彼女も、あの様子ではすべて忘れているのだろう。


 同じように忘れているのならまだいい。

 ただ、異能を持つと噂の『白蛇の娘』を頼った依頼人のひとりとして、有象無象と一緒くたに記憶の奥底に沈んでいるのなら寂しいと思った。


「…………どちらにしろ、もっと手際良く渡す予定だったのに」


 と紫淵は思わず顔を覆って、深く長い溜息をつく。


 彼女の笑みをみた瞬間、胸が鷲掴みされたみたいに苦しくなり、つい咄嗟に披帛(ひはく)で彼女の顔を隠してしまった。あんな粗野な渡し方は自分らしくない。


(ただでさえ大きな問題を抱えているんだ。できれば妃嬪とは一切関わり会いたくない。だからわざわざ名乗り出るつもりもなかったし、実際そうした)


 そうした、のだが。

 なぜだか、あの『白蛇の娘』のことになると胸になにかがつっかえたような妙な気持ちになる。


「はあ……。紫淵様、どうなさいましたか? ぼーっとしておいでのようですが」


「わからない。ただ目が離せないというか、もっと見ていたいというか、見ていて飽きないなとは思っている」


「なんですかそれは」


 皇太子の住まう〝天藍宮(てんらんきゅう)〟――いわゆる東宮御所直属の筆頭宦官、宵世(ショウセ)は胡乱げな様子で自らの主人を見上げる。


 紫淵の幼馴染にあたる彼は、厳しく辛辣な部分もあるが頼り甲斐のある補佐官だ。

 紫淵が病気で宮に篭っている(・・・・・・・・・・)間も、執務室で上手く立ち回ってくれている。


 だがその補佐官でさえ、後宮の歴史に倣って白苺苺が紫淵の脅威になると考えているらしい。


(果たして脅威になるだろうか? 観客もいない無人の四阿(あずまや)で心のままに舞い踊る、あの白蛇妃が)


 紫淵は『白蛇の娘』と初めて相見えた時の――いや、本来ならば二度目であった邂逅を思い出す。


(正義感の強い、実直な娘だと思う。多少、自己犠牲的なところはあるが)


 その印象は自身が九歳であった頃と寸分違わない。


(対価も要求せず、褒美もねだらず、心遣いを真摯に受け止めて喜ぶ。そのような女性が本当にこの世に存在しているとは、今でも信じがたい。後宮で生まれ育った俺にとって、女性とは……常に自分だけが愛されるためだけに競い合い、嘘をつき、妬み、自身の手を汚さずに殺しあう生き物だ)


 血の繋がった皇后からでさえ、本当の意味での愛など与えられた記憶がない。



 妃嬪とは、皇帝から向けられる寵愛を争う生き物なのだ。




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